球宴ファン投票で広島勢7人がトップ。うーむ。ま、いいか。(哲




2014N610句(前日までの二句を含む)

June 1062014

 サイダーや泡のあはひに泡生まれ

                           柳生正名

国清涼飲料工業会が提供する「清涼飲料水の歴史」によると、日本に炭酸飲料が伝えられたのは1853年、ペリー提督が艦に積んでいた炭酸レモネードを幕府の役人にふるまったことから始まる。その際、栓を抜いたときの音と吹き出す泡で新式銃と間違えた役人が思わず腰の刀に手をかけたという記述が残る。その後、喉ごしや清涼感が好まれたことで一般に広く普及した。掲句ではかつての役人が肝を冷やした気泡に注目する。それは表面に弾ける泡ではなく、コップのなかで生まれる泡の状態を見つめる。泡はヴィーナス誕生の美しさとともにうたかたであることのあわれをまとい、途切れなく、そして徐々に静まっていく。〈切腹に作法空蝉すぐ固く〉〈少年も脱いだ水着も裏返る〉『風媒』(2014)所収。(土肥あき子)


June 0962014

 梅雨冷えや指にまつはるオブラート

                           佐藤朋子

薬がカプセルに入れられるようになってから、あれほど普及していた「オブラート」を見かけなくなった。若者だと、知らない人のほうが多いかもしれない。「デンプンから作られる水に溶けやすい半透明の薄い膜のこと」などと説明しても、イメージがわいてくるかどうか。梅雨時に身体をこわしている作者は、苦い粉薬を飲もうとしている。いつものように何気なくオブラートを箱から取りだして薬を包もうとしたら、指にからみついてきてうまく広げられない。室温が低いために、オブラートが指の温度に敏感に反応したわけだ。ただそれだけの些事を詠んでいるのだが、このことがこのときの「梅雨冷え」の様子を具体的に告げていて、印象的な句になっている。ちなみに、「オブラート・oblaat」はオランダ語だそうである。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


June 0862014

 紫陽花や私の知らぬ父がいる

                           田頭理沙

らぬ間に、紫陽花(あじさい)を目にする季節になりました。梅雨どき、青空が見えない日でも青紫の色あいを見せて楽しませてくれます。紫陽花の咲き方は突然の来訪者に似ていて、気づいたら賑やかに路傍の座を占めています。七変化、手まり花、四ひら花など、呼ばれ方も多様なところは愛でられている証しです。作者田頭さんは、当時愛媛県伯方高校の二年生。父親との距離は微妙な多感な時期です。それゆえ句は切れていて、スーッと入ってきて、サッパリとした読後感があります。一般的に、父と娘は包み包まれる関係から出発します。娘からすれば父に従属している関係で、それは、父親という大きな揺り籠に抱かれているような揺籃期です。しかし、思春期に入ると、娘は揺り籠から外に出て、父親を距離のある他者として捉えはじめます。つまり、親子関係から、人生の先輩と後輩の関係へ、または、最も身近な男性として観察の対象となっていく時期にさしかかります。子どもが成長するときは、知らなかった経験をするときですが、田頭さんは、父を通して未知の社会と性差を感受しているのではないでしょうか。それは、紫陽花が七変化するように自身を幻惑させています。同時にそれは、私の知らぬ私との出会いでもあるでしょう。紫陽花は、思春期のとまどいを象徴する花として、人生の初夏に向かって生きる青春を詠んでいます。「私の知らぬ」で切れているところに、娘と父の距離が示されています。『17音の青春 2012』所載。(小笠原高志)




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