今季のセパ交流戦も最終カード。月日がどんどん過ぎてゆく。(哲




2014ソスN6ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2262014

 潮干狩人波ひけば海来たる

                           辻 征夫

昔から、人と海は親しい関係にあります。辻さんは、それをユーモラスな構図に仕立てました。潮干狩りの人波が、一斉に引いたあとにはしばらくの間合いがありますが、人々の足並みをなぞるように海の波が静かに押し寄せてくる光景を遠望し、楽しんでいるまなざしがあります。陸と海との境界である砂浜を舞台にして、人間の時間と自然の時間が交錯しています。潮干狩りをする親子は、シャベルや熊手で砂を掘り、貝を手に取りバケツに入れます。現代の生活で失われている獲物をじかに採るという行為をとり戻して、縄文人のDNAがよみがえります。漁協が養殖し、事前にばらまかれている貝であろうと、子どもが太古のいとなみを体験することは貴重です。とくに、室内の遊びが多くなり、指先と目の条件反射で過ごす時間が長くなっている子どもにとって、砂と海にじかに触れ、掘り出しつかむ体験は、永く体に刻まれるでしょう。そんな遊びの時間も、潮が満ちてくると一斉に人々は人波を作って陸(おか)に向かって帰り支度を始めます。人は、家に帰らなければならない。親も子どももそう。満ちてきた遠浅の潮は徐々に波となり、今まで潮干狩りをしていた遊び場は、海になってしまいました。波は、帰らなければならない時間を教えてくれます。辻さんが、このように考えていたかどうかはわかりません。ただ、潮干狩りの一日を、他の要素をバッサリ切って人と波の動きに絞り込み、五七五の3コマに編集したことで、この一日がずーっと昔の一日でもあったような、そんな遠い心持ちにもさせてくれる俳諧です。なお、句集では、掲句の前に「潮干狩貝撒く舟のシャベルかな」があるので実景の句でしょう。『貨物船句集』(2001)所収。(小笠原高志)


June 2162014

 夏至の日に嫁ぐわが影寸詰まる

                           唐崎みどり

わゆるジューンブライドである作者。ヨーロッパでは雨が少なくいい季節である六月も日本では梅雨時、それをジューンブライドなどとは結婚式場の企業戦略にのせられているという向きもあるが、女神ジュノーに由来するとも言われどこかロマンティックだ。そして幸いこの句の作者は五月晴に恵まれ、今日の良き日を迎えている。寸詰まり、とは言うが、寸詰まる、という動詞は見当たらないのだが、ふと足元を見下ろした時の、嫁いでゆくという感慨とはかけ離れた感のある花嫁のつぶやきは、おかしみと同時に照れくささやもの悲しさの入り混じった得も言われぬ複雑な心情を言い留めている。『草田男季寄せ』(1985)所載。(今井肖子)


June 2062014

 妻ときて風の螢の迅きばかり

                           波多野爽波

波先生に師事していたころ、ご家族の話をうかがうことは少なかった。ただ、ある時、二次会の飲み会の席上で、奥さまの着物の着こなしが、お上手であることを、嬉しそうに話されていたことを思い出す。掲句、奥さまと歩いてきたら、風に乗った蛍が、速く飛んでいたという情景である。下五「ばかり」に、作者の心情が託されている。蛍と言えば、ゆらゆらと、ゆっくり飛び交っているのが、情緒あるもの。それが、風に流されて、速く飛んでいるのでは、情緒がない。意外性の中に、淡い失望を感じさせる。『湯呑』(昭和56年)所収。(中岡毅雄)




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