都議会野次騒動。当の女性議員の質問内容を具体的に知りたいな。(哲




2014N624句(前日までの二句を含む)

June 2462014

 猫老いていよよ賢し簟

                           市川 葉

(たかむしろ)は竹を細く割って編んだ夏用の敷物。ひんやりとした感触を楽しむ。家から外に出さない猫でも、四季のなかで気に入りの場所は変化する。冬の日だまりや夏の風通しなど、猫はもっとも居心地の良い場所を選択する。掲句の猫も、どれほど年齢を重ねてもその賢さは衰えることなく、研ぎすまされた賢人のごとくしずかに目を閉じているのだろう。猫は犬と違って勝手で気難しいといわれるが、たしかにそんな面もある。飼い主はそこを利用することもある。例えば同集に収められる〈要するに猫が襖を開けたのよ〉などは、猫を飼う者にとっては苦笑とともに共感する作品であろう。失くしものや、食器を割ってしまったことなど、何度となく猫がやったことにしてこっそり罪をかぶせている。おそらく猫はすべてお見通しで、寝たふりをしてくれているのだろう。『ぼく猫』(2014)所収。(土肥あき子)


June 2362014

 満月の大きすぎたる螢かな

                           矢島渚男

月といっても、その時々で見える大きさや明るさは異なる。月と地球との距離が、その都度ちがうからである。正式な天文用語ではないようだが、月と地球が最接近したときの満月を「スーパームーン」と呼び、今年は8月11日夜に見られる。米航空宇宙局(NASA)によると、「スーパームーン」は通常の満月に比べ、大きさが14%、明るさが30%増して見える。掲句の月が「スーパームーン」かどうかは知らないが、通常よりもかなり大きく見える満月である。そんな満月の夜に、螢が飛んで出てきた。実際に月光のなかで螢が明滅するところを見たことがないので、あくまでも想像ではあるが、このようなシチュエーションでは螢の光はほとんど見えないのではあるまいか。螢の身になってみれば、せっかく張りきって「舞台」に上ったのに……、がっくりといったところだろう。螢の句で滑稽味のある句は珍しい。『船のやうに』(1994)所収。(清水哲男)


June 2262014

 潮干狩人波ひけば海来たる

                           辻 征夫

昔から、人と海は親しい関係にあります。辻さんは、それをユーモラスな構図に仕立てました。潮干狩りの人波が、一斉に引いたあとにはしばらくの間合いがありますが、人々の足並みをなぞるように海の波が静かに押し寄せてくる光景を遠望し、楽しんでいるまなざしがあります。陸と海との境界である砂浜を舞台にして、人間の時間と自然の時間が交錯しています。潮干狩りをする親子は、シャベルや熊手で砂を掘り、貝を手に取りバケツに入れます。現代の生活で失われている獲物をじかに採るという行為をとり戻して、縄文人のDNAがよみがえります。漁協が養殖し、事前にばらまかれている貝であろうと、子どもが太古のいとなみを体験することは貴重です。とくに、室内の遊びが多くなり、指先と目の条件反射で過ごす時間が長くなっている子どもにとって、砂と海にじかに触れ、掘り出しつかむ体験は、永く体に刻まれるでしょう。そんな遊びの時間も、潮が満ちてくると一斉に人々は人波を作って陸(おか)に向かって帰り支度を始めます。人は、家に帰らなければならない。親も子どももそう。満ちてきた遠浅の潮は徐々に波となり、今まで潮干狩りをしていた遊び場は、海になってしまいました。波は、帰らなければならない時間を教えてくれます。辻さんが、このように考えていたかどうかはわかりません。ただ、潮干狩りの一日を、他の要素をバッサリ切って人と波の動きに絞り込み、五七五の3コマに編集したことで、この一日がずーっと昔の一日でもあったような、そんな遠い心持ちにもさせてくれる俳諧です。なお、句集では、掲句の前に「潮干狩貝撒く舟のシャベルかな」があるので実景の句でしょう。『貨物船句集』(2001)所収。(小笠原高志)




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