八木忠栄新詩集『雪、おんおん』(思潮社)の装画は故・三嶋典東。(哲




2014N625句(前日までの二句を含む)

June 2562014

 金魚売買へずに囲む子に優し

                           吉屋信子

秤棒をかついで盥の金魚を売りあるくという、夏の風物詩は今やもう見られないのではないか。もっとも、夏の何かのイベントとしてあり得るくらいかもしれない。露店での金魚すくいも激減した。ネットで金魚が買える時代になったのだもの。商人(あきんど)が唐茄子や魚介や納豆や風鈴をのどかに売りあるいた時代を、今さら懐かしんでも仕方があるまい。小遣いを持っていないか、足りない子も、「キンギョエー、キーンギョ」という売り声に思わず走り寄って行く。欲しいのだけれど、「ください」と言い出せないでいるそんな子に対して、愛想のいい笑顔を向けている年輩の金魚売りのおじさん。「そうかい、いいよ、一匹だけあげよう」、そんな光景が想像できる。金魚にかぎらず、子どもを相手にする商人には、そうした気持ちをもった人もいた。いや、そういう時代だった。掲句には、女性ならではのやさしい細やかな作者の心が感じられる。信子には多くの俳句がある。「絵襖の古りしに西日止めにけり」がある。『全季俳句歳時記』(2013)所収。(八木忠栄)


June 2462014

 猫老いていよよ賢し簟

                           市川 葉

(たかむしろ)は竹を細く割って編んだ夏用の敷物。ひんやりとした感触を楽しむ。家から外に出さない猫でも、四季のなかで気に入りの場所は変化する。冬の日だまりや夏の風通しなど、猫はもっとも居心地の良い場所を選択する。掲句の猫も、どれほど年齢を重ねてもその賢さは衰えることなく、研ぎすまされた賢人のごとくしずかに目を閉じているのだろう。猫は犬と違って勝手で気難しいといわれるが、たしかにそんな面もある。飼い主はそこを利用することもある。例えば同集に収められる〈要するに猫が襖を開けたのよ〉などは、猫を飼う者にとっては苦笑とともに共感する作品であろう。失くしものや、食器を割ってしまったことなど、何度となく猫がやったことにしてこっそり罪をかぶせている。おそらく猫はすべてお見通しで、寝たふりをしてくれているのだろう。『ぼく猫』(2014)所収。(土肥あき子)


June 2362014

 満月の大きすぎたる螢かな

                           矢島渚男

月といっても、その時々で見える大きさや明るさは異なる。月と地球との距離が、その都度ちがうからである。正式な天文用語ではないようだが、月と地球が最接近したときの満月を「スーパームーン」と呼び、今年は8月11日夜に見られる。米航空宇宙局(NASA)によると、「スーパームーン」は通常の満月に比べ、大きさが14%、明るさが30%増して見える。掲句の月が「スーパームーン」かどうかは知らないが、通常よりもかなり大きく見える満月である。そんな満月の夜に、螢が飛んで出てきた。実際に月光のなかで螢が明滅するところを見たことがないので、あくまでも想像ではあるが、このようなシチュエーションでは螢の光はほとんど見えないのではあるまいか。螢の身になってみれば、せっかく張りきって「舞台」に上ったのに……、がっくりといったところだろう。螢の句で滑稽味のある句は珍しい。『船のやうに』(1994)所収。(清水哲男)




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