レベルの差は如何ともし難い。希望的観測にうつつを抜かし過ぎた。(哲




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June 2662014

 東京ははたらくところ蒸し暑し

                           西原天気

日都心に通勤しているが、「はたらくところ」というのは実感だ。東京の都心は生活の匂いがしない。窓のあかない高層ビルの只中に緑はまばら、夏の日の照り返しを受けた舗道を歩くとあまりの暑さに息が詰まる。冷房のきいたオフィスと戸外の気温の落差に一瞬目がくらむほどだ。「はたらく」という忍耐の代償としてお給料がある。と、新聞の人生相談に書いてあったけど、憂鬱な表情で通勤している人たちはどうやって自分をなだめているのだろう。今朝もまた人身事故で電車が遅れるという告知が電光掲示板に流れる。やってられないなぁ、と思いつつ掲句を呟いてみる。『はがきハイク』(2010年7月・創刊号)所載。(三宅やよい)


June 2562014

 金魚売買へずに囲む子に優し

                           吉屋信子

秤棒をかついで盥の金魚を売りあるくという、夏の風物詩は今やもう見られないのではないか。もっとも、夏の何かのイベントとしてあり得るくらいかもしれない。露店での金魚すくいも激減した。ネットで金魚が買える時代になったのだもの。商人(あきんど)が唐茄子や魚介や納豆や風鈴をのどかに売りあるいた時代を、今さら懐かしんでも仕方があるまい。小遣いを持っていないか、足りない子も、「キンギョエー、キーンギョ」という売り声に思わず走り寄って行く。欲しいのだけれど、「ください」と言い出せないでいるそんな子に対して、愛想のいい笑顔を向けている年輩の金魚売りのおじさん。「そうかい、いいよ、一匹だけあげよう」、そんな光景が想像できる。金魚にかぎらず、子どもを相手にする商人には、そうした気持ちをもった人もいた。いや、そういう時代だった。掲句には、女性ならではのやさしい細やかな作者の心が感じられる。信子には多くの俳句がある。「絵襖の古りしに西日止めにけり」がある。『全季俳句歳時記』(2013)所収。(八木忠栄)


June 2462014

 猫老いていよよ賢し簟

                           市川 葉

(たかむしろ)は竹を細く割って編んだ夏用の敷物。ひんやりとした感触を楽しむ。家から外に出さない猫でも、四季のなかで気に入りの場所は変化する。冬の日だまりや夏の風通しなど、猫はもっとも居心地の良い場所を選択する。掲句の猫も、どれほど年齢を重ねてもその賢さは衰えることなく、研ぎすまされた賢人のごとくしずかに目を閉じているのだろう。猫は犬と違って勝手で気難しいといわれるが、たしかにそんな面もある。飼い主はそこを利用することもある。例えば同集に収められる〈要するに猫が襖を開けたのよ〉などは、猫を飼う者にとっては苦笑とともに共感する作品であろう。失くしものや、食器を割ってしまったことなど、何度となく猫がやったことにしてこっそり罪をかぶせている。おそらく猫はすべてお見通しで、寝たふりをしてくれているのだろう。『ぼく猫』(2014)所収。(土肥あき子)




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