July 042014
桐の木の向う桐の木昼寝村
波多野爽波
桐の木というと高貴なイメージがある。桐の木の向こう側にも桐の木が生えている。この場合、桐の木が二本だけというのは考えにくい。それ以外にも、何本か生えているのであろう。折しも、時は、昼寝の時間。村は静まりかえっている。秋櫻子の「高嶺星蚕飼の村は寝しづまり」と比較してみても面白い。現実に存在する村ではなく、メルヘンチックな風景画のように感じさせる。『湯呑』(昭和56年)所収。(中岡毅雄)
July 032014
夏みかん長い名前の人が買ふ
高橋 龍
この句のおかしみはどこから来るのだろう。もちろん夏みかんを買う人の名前なんていちいちわからないし、長い名前の人がたまたま夏みかんを買ったとしても、何てことはない。でもこうして俳句で読むと身体の奥をくすぐられるようなおかしみがある。「夏みかん」と「長い」と頭韻の響きの良さもあるのだけど、そのもったいぶり方に注目だ。夏みかんを買う人は長い名前の人!と限定することがありふれた行為に浮力をつけ「夏みかん」が新たな手触りを持って浮き上がってくる。これも五七五の定形の効果と言えるかもしれない。叙述は奇をてらっていないのに何だか可笑しい。そんな俳句に出会うとうれしくなる。『二合半』(2014)所収。(三宅やよい)
July 022014
朝ぐもり窓より見れば梨の花
高村光太郎
朝ぐもりは夏の季語。朝のうち曇っていても、曇っている蒸気が刻々と晴れてきて暑い夏日となる。今の時季、よく経験することである。そんなところから「旱の朝曇」とも言われる。また、梨は四月頃に白い可憐な花をつけるから、「梨の花」そのものは春の季語。作者は窓から白い梨の花を眺めながら、「今日も暑くなるのかなあ」と覚悟しているのかもしれない。梨の花の花言葉は「博愛」「愛情」である。どこか光太郎にふさわしいようにも思われる。梨には、弥生時代以来の「日本(和)梨」があり、ほかに「中国梨」「西洋梨」があるという。また「赤梨」と「青梨」に大別される。「梨の花」は春で、「梨の実」は秋である。梨は秋には桃などとともに欠かせないくだものである。掲句は月並句といっていいだろうが、光太郎の句は珍しいのでここに取りあげた。中村汀女に「朝曇港日あたるひとところ」がある。平井照敏編『新歳時記・夏』(1996)所収。(八木忠栄)
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