ヘ子句

July 0572014

 大日向あぢさゐ色を薄めけり

                           上野章子

の当たる場所を、日向、ととらえるのは概ね冬だろう。ひなた、というやわらかい音は、強くて濃い夏の日差しの感じとはやや違う。さらに大日向となると、そこにある光はさほど強くはないが広々と遍くゆきわたっている。作者は、たくさんの紫陽花がこんもりとまさに咲きに咲いたり、という感のある場所に居て紫陽花を見ている。雨の日には水の色を湛えていた紫陽花はことごとくしおしおと少し悲しげに見え、そこにどこか白く湿った日があたっているのだ。その真夏とは違う日の色がまさに、大日向、なのだろう。虚子の六女である作者、その句柄は天真爛漫といわれるが自由でありながら本質をとらえ平明だ。<あるだけの団扇とびとび大机><浜茶屋の夏炉に軽い椅子寄せて><夏蝶の去り残る花色いろいろ>。『桜草』(1991)所収。(今井肖子)


November 28112015

 小春日の人出を鴉高きより

                           上野章子

春には呼び合うように鳴きかわし、やがてつがいとなって繁殖期を迎え、子育てが終わると再び集団で森の中にねぐらを作って冬を越すという鴉だが、冬の鴉というと黒々と肩をいからせて木の枝に止まっている孤高なイメージがある。この句を引いた句集『桜草』(1991)の中にも〈鴉来てとまりなほさら枯木かな〉とある。まさに「枯木寒鴉図」といったところだが、そんな寒々とした鴉とは少し違った小春日の景だ。実際は作者が鴉を見上げているのだが、読み手は一読して鴉の視線になる。小春の日差しに誘われて青空の下を行きかう人間達を、見るともなく見ている鴉。その鳴き声がふと、アホ〜、と聞こえたりするのもこんな日かもしれない。(今井肖子)




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