Nj句

July 0772014

 ヘッドホンのあはひに頭さみだるる

                           柳生正名

ッドホンというのだから、たしかに「あはひ(あいだ・間)」には「頭」がある。しかし私たちは普通、そこには「頭」ではなく「顔」があると認識している。だからわざわざ「頭」があると言われると、理屈はともかく、「え?」と思ってしまう。そしてこの人は、顔を見せずに頭を突きだしているのだろうと想像するのだ。つまり、ヘッドホンを付けて下うつむいている人を思い浮かべてしまうというわけだ。ヘッドホンからはどんな音楽が聞こえているのかはわからない。が、さながら「さみだれ」のように聞こえている音楽が、その人の周囲に降っている五月雨の音に、溶け込むように入り交じっているようである。そう受け取ると、おそらくは青年期にあるその人の鬱屈した心情が思われて、読者はしんと黙り込むしかないのであろう。『風媒』(2014)所収。(清水哲男)


July 1472014

 老人は青年の敵強き敵

                           筑紫磐井

書に「金子兜太」とある。ちょうどいま新刊の『語る 兜太ー我が俳句人生』(岩波書店)を読んでいるところで、この句を思い出した。水も滴るよい男(古いね)を指して「女の敵」と言うように、この句の「敵」は最高の賛辞である。人の褒め方にもいろいろあるが、「敵」という許せない存在も、レベルが上がってくると、許すどころか畏敬の対象にまで変化を遂げるのだ。この人のようになりたいとかなりたくないとかのレベルを超えて、「敵」はもはや、この句の範疇で言えば、「青年」の批評や批判の外に、あるいは憧憬や羨望の外に悠然と立っている。そして、こうした人物の存在はもとより希少である。それが「もとより」であることは、ちなみにこの前書を他の誰それに変更して読んでみると、はっきりわかるだろう。老人について書かれた最古の文章であるキケロの老人論に私たちが鼻白むのは、キケロがこの句を半ば一般論として押しつけようとしているからなのだ。『我が時代』(2014)所収。(清水哲男)


July 2172014

 喪に服す隣の庭の百日紅

                           宮本郁江

の句と同じ実景のなかにいたことがある。三年ほど前に、父と弟、そして母をたてつづけに失ったころのことだ。私の仕事場の窓からは、まさに隣の庭(正確には小さな児童公園)に「百日紅」が植わっていて、毎夏咲いている様子を楽しむことができる。真夏の暑さに耐え抜いて長期間咲く百日紅は、よく見ると一つ一つはそんなに強靭そうな花ではないのだが、咲いてかたまりになったところを見上げると、ふてぶてしいくらいに強そうに見える。作者が失った人は誰かはわからないけれど、「喪に服す」という決意のような言いきり方に、個人を偲ぶ気持ちの深さが感じられる。この世を去っていったかけがえのない命と、いまを盛りと咲き誇る花の命と……。嫌でもこの対比に心をとらわれざるを得ない作者の、戸惑いのなかにも自然の摂理を受容している一種茫とした感覚が読者にも染み入ってくるようだ。これをしも、自然の癒しの力と言うべきなのだろうか。わからない。『馬の表札』(2014)所収。(清水哲男)


July 2872014

 皆遠し相撲取草を結ばずに

                           矢島渚男

いていの人は「相撲取草」の名前も知らないし、知ろうともしないと思うが、この草は茎が強靭なので、昔の子供たちはこの茎を輪のように結んでお互いに引っ張り合い、勝負を競ったものだ。ある程度の年齢以上の人たちにとっては、そぞろ郷愁を誘われる雑草である。いまではすっかりこの遊びもすたれてしまい、もう子供ではない作者も、この草を結ばなくなってから久しい。炎天下に逞しく生えている相撲取草を眺めるともなく眺めていると、小さかったころいっしょに相撲取草で遊んだともがらや、往時のあれこれの出来事などが思い出されて、茫々の感にとらわれてゆく。何もかもが遠くなってしまった……。この一種のセンチメンタリズムは、私などには好もしい。それはおそらく、夏という季節の持ついわば「滅びの予感」から来るのだと思う。四季のなかでもっとも活性的な夏はまた、同時に滅びへの予感に満ちている。盛夏と言ったりするが、盛夏にはもはや明日はない。盛りの一瞬一瞬は、滅びへの道程だけだ。そしてこの道筋は、私たちの人生のそれにも重なってくる。『船のやうに』(1994)所収。(清水哲男)


August 0482014

 蝉時雨何も持たない人へ降る

                           吉村毬子

ま蝉時雨に降りこめられた格好で、これを書いている。午後一時半。気温は33度。先ほどまで35度を越えていた。何度か読んで、この句は二通りに解釈できると思った。一つは全体をスケッチのように捉えて、文字通りに何も持たない手ぶらの人が、激しい蝉時雨のなかで、暑さにあえいでいる図。しかしこの人は、あえいではいるけれど、へこたれてはいない。暑さをいずれはしのいでやろうという心根がかいま見える。もう一つの解釈は、何も持たないことを比喩的に捉えて、たとえば資産的にもゼロの状態にあり、血縁などももはや無し。世間とはほとんど無縁というか孤立状態に追い込まれていて、少し普遍化してみれば、この状態は多くの老人のそれといってよいだろう。そんな老人に、もはや蝉時雨に抗する元気はない。真夏の真昼どき、蝉時雨に追い立てられるようにして歩いていく。それを見ている作者のまなざしには、憐憫ではなくてむしろ愛惜に近い情がこもっている。誰にとっても、明日は我が身なのである。『手毬唄』(2014)所収。(清水哲男)


August 1182014

 島の子のみんな出てゐる夜店かな

                           矢島渚男

の「島」を「村」に替えれば、そのまま私の子供時代の光景になる。バスも通わぬ村だったから、陸の孤島という比喩があるように、村はすなわち島のようなものだった。むろん映画館もなければ、本屋すらなかった。そんな環境だったので、娯楽といえば年に一度の村祭くらいしかなく、わずかな小遣いを握りしめて、夜店をのぞいてまわるのが楽しみだった。夜店で毎年買いたいと思ったのは、ゴム袋に水を入れる様式のヨーヨーだったけれど、買えるほどの小遣いはもらえなかった。どんなにそれが欲しかったか。大人になってから、ヨーヨー欲しさだけで町内の侘びしい祭に出かけていったほどである。いまは知らないけれど、そのころ夜店を出していたのは旅回りの香具師たちだった。なにしろ日ごろは、村人以外の人を見かけるとすれば総選挙のときくらいだったから、点々と店を張っている香具師たちの姿は、ともかくも新鮮だった。夜店は決して大げさではなく、年に一度の異文化との交流の場だったのである。ヨーヨーばかりではなく飴玉一個煎餅一枚にしても、西洋からの輸入品のように輝いて見えていたのだった。『翼の上に』(1999)所収。(清水哲男)


August 1882014

 水を出しものしづまりぬ赤のまま

                           矢島渚男

リラ豪雨というそうだが、この夏も各地が激しい雨に見舞われた。山口県の私の故郷にも大量の雨が降り、思いがけぬ故郷の光景をテレビで眺めることになったのだった。ただテレビの弱点は、すさまじい洪水の間の様子を映し出しはするものの、おさまってしまえば何も報じてくれないところだ。句にそくしていえば「しずまりぬ」様子をこそ見たいのに、そういうところはニュース価値がないので、切り捨てられてしまう。「水を出し」の主体は、私たちの生きている自然環境そのものだろう。平素はたいした変化も起こさないが、あるときは災害につながる洪水をもたらし、またあるときは生命を危機に追い込むほどの気温の乱高下を引き起こしたりする。だがそれも一時的な現象であって、ひとたび起きた天変地異もしずまってしまえば、また何事もなかったような環境に落ち着く。その何事もなかった様子の象徴が、句では「赤のまま」として提出されている。どこにでも生えている平凡な植物だけれど、その平凡さが実にありがたい存在として、風に吹かれているのである。それにつけても、故郷の水害跡はどうなっているだろうか。農作物への被害は甚大だったろうが、せめていつもの秋のように、風景だけでも平凡なそれに戻っていてほしい。あの道々やあの低い丘の辺に、いつものようにいつもの「赤のまま」が、いつもの風に吹かれていてほしいと、切に願う。『延年』(2003)所収。(清水哲男)


August 2582014

 蝉殻を踏めば怖ろしうすき聲

                           中島夜汽車

ろしい句だ。とくに私のように、子供のころの夏休みの退屈紛れに、遊び半分で無数の蝉を殺戮(!)した者にとっては。思い出すだにおぞましい思いにとらわれるので、殺戮の詳細については書かないでおく。句の「怖ろし」をくどいと思う人もいそうだが、私には適当と思える。「蝉殻」は亡骸ではない。だからこそ、それが発する、発するはずもない「うすき聲」には、この世のものではない「怖ろしさ」があるのだ。いずれはこの声にとり殺されるのではないかと、読んだ瞬間にはぞっとした。道を歩いていて、気づかずに蝉殻を踏む。よくあることである。たいていの人は気にもかけないのだろうが、そこに「うすき聲」を聞いてしまった作者は、私とはまた別の意味で、蝉に対する特別な思い入れがあるのだろうか。気になる、ことではあった。『銀幕』(2014)所収。(清水哲男)


September 0192014

 その中の紺を選びし九月かな

                           木村三男

るほどな、と思う。が、読み返してみると、何も書いてない。書いてないは言い過ぎだろうが、書いてあることはいろいろな色彩の中から、(誰か、あるいは何か)が「紺」色を選んだという、はなはだ頼りないことだけである。それでいて、句の磁石は真直ぐ九月という季節を指している。したがって、何も書かれていないようでいて、作者の言いたいことは誰にでもわかりやすく、きちんと書かれているということになる。すなわち、ここにひとつの俳句の典型がある。好き嫌いはべつにして、俳句づくりは誰もがこの典型に突き当たらざるをえないのだろう。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


September 0892014

 しとしては水足す秋のからだかな

                           矢島渚男

の句を読んで思い出した句がある。「人間は管より成れる日短」(川崎展宏)。人間の「からだ」の構造を単純化してしまえば、たしかに「管(くだ)」の集積体と言える。記憶に間違いがなければ、もっと単純化して「人間は一本の管である」と言ったフランスの詩人もいた。つまり、人間をせんじ詰めれば、口から肛門までの一本の管に過ぎないではないかというわけだ。そんな人間同士が恋をしたり喧嘩をしたりしていると思えば、どこか滑稽でもあり物悲しくもある。飲む水は、身体の管を降りてゆく。夏の暑さのなかでは実感されないが、涼しい秋ともなれば、降りてゆく水の冷たさがはっきりと自覚される。飲む目的も夏のように強引に渇きを癒すためではなく、たとえば薬を飲むときだとか、何か他の目的のためだから、ますます補給の観念が伴ってくる。だからこの句の着想は、秋の水を飲んでいるときに咄嗟に得たものだろう。一見理屈のかった句のように見えるけれど、実際は飲み下す水の冷たさの実感から成った句だと読んだ。実感だからこその、理屈をこえた説得力がある。『天衣』(1987)所収。(清水哲男)


September 1592014

 毎日が老人の日の飯こぼす

                           清水基吉

日は「敬老の日」だが、「老人の日」でもある。前者は国民の祝日、こちらは第三月曜日と法律で決まっている。「老人の日」はその前の祝日であったが、この日を移動祝日化するにあたって「移動」に全国の老人クラブなどの反対の声が高かったため、時の政府は苦肉の策として2001年(平成13年)の祝日法改正の際、同時に「老人福祉法」も改正し、2003年(平成15年)から国民の祝日である「敬老の日」を9月第3月曜日に変更するかわりに、2002年(平成14年)から9月15日を祝日ではない「老人の日」、9月15日〜21日の1週間を「老人週間」として、法律で定めることにしたのだった。「敬老の日」と「老人の日」とでは、大きく意味が異なる。句のように「老人の日」の主体は「老人」であるが、「敬老の日」のそれは老人には満たない年代の人々である。「飯こぼす」はよく見かける光景だが、当人は決してぼんやりしていたりするからではなく、注意はしていても止むを得ず「こぼす」結果になることを恥辱だとも思い、自身への怒りでもあるところが、なんとも切なくて辛い。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


September 2292014

 落葉して地雷のごとき句を愛す

                           矢島渚男

き寄せられた落葉。こんもりとしていて、その上を歩くとクッションが効いているので足裏に心地よい。そんな情感を詠んだ句ならヤマほどありそうだが、作者は想像力を飛ばしてもう一歩も二歩も踏み込んでいる。積もった落葉の下には、何があるのだろうか。もちろん、土がある。ならばその土の下には何が埋まっているのだろうかと貪欲である。有名な「櫻の樹の下には屍体が埋まつてゐる」ではないけれど、作者はそこに地雷が存在すると想像した。そして地中の地雷は、いわば冷たく逆上しながらも、あくまでも静かに爆発の時を待ちかまえている。と、ここまで連想が至ったときに、自分の好きな句はそんな地雷のような構造を持った句なのだと閃いた。つまりこのときに作者の作家魂は、とつぜん地雷と化したに違いなく、だからここで「地雷のごとき句」と言っているのは、何某作の句という具体的なものではなくて、そんな気概を込めた未来の自作を指しているのだと思った。『延年』(2003)所収。(清水哲男)


September 2992014

 人知れず秋めくものに切手帳

                           西原天気

の回転のはやい人なら、「秋」を「飽き」にかけて読んでしまうかもしれない。それでも誤読とまでは言えないが、なんだか味気ない読みになってしまう。どこにも「飽き」なんて書いてない。「秋」はあくまでも「秋」である。中学時代、私もいっぱしの(つもり)の切手コレクターであった。半世紀以上経たいまでも、切手専用のピンセットのことや貼り付けるためのヒンジ、ストックブック(切手帳)ならドイツ・ライトハウス社製の重厚な感触など、いろいろと思い出すことができる。なけなしの小遣いをはたいて切手の通信販売につぎ込み、カタログを睨んで一点ずつ集めていたころが懐かしい。そうした熱気の頃を夏とすれば、やがて訪れてくるのは「秋」である。この時季にさしかかると、さながら充実した木の実が木を離れてゆくように、切手への興味が薄れていく。飽きるからではなく、実りが過剰になるからなのだ。つまり「人知れず秋めく」わけだが、この感覚はコレクターを体験しないとわからないかもしれないな。「はがきハイク」(第10号・2014年9月)所載。(清水哲男)


October 06102014

 包丁を研ぎ台風を待ちゐたり

                           座間 游

象情報に台風接近中とあれば、多くの人は身構える。しかし、身構えたところで、たいていの人には特に対処する方策もない。庭の植木鉢を片づけたり、日頃気になっている家屋の弱そうなところを点検したりすることで、あとはすることもない。本番を待つばかりとなる。やって来る台風の強度も正確には判断しかねるから、そこはこれまでの経験に頼るしかないからだ。そんななかで、作者は包丁を研ぎすませた。別に大雨や大風への備えとは無関係なのだが、とにかくこうして台風を待っている。でも、これは決して頓珍漢で滑稽な備えとは言いきれないだろう。おそらく作者は、日頃から包丁を研いでおかねばと気になっていたのである。そこで台風への「備え」という意識が、ごく自然に無関係な包丁研ぎへとおのれを駆り立ててしまったのだ。これに類似したことは、日常的ないろいろな場面で起きてくる。まことに、人間愛すべし…ではないか。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


October 13102014

 夜汽車明け稲の穂近し吾子近し

                           大串 章

ぼ半世紀前の句。初産の妻を故郷の実家に帰していたところ、無事に吾子誕生の知らせが入り、作者は急遽夜行で故郷に向かった。夜汽車に揺られながらの帰郷。当時はごく普通の「旅」であった。が、いつもとは違い、そう簡単には寝つけない。もんもんとするわけではないのだが、初めての子供の誕生に気が昂ぶっているせいである。父親になったことのある人ならば、この気持ちをつい昨日のことのように思いだすことができるだろう。久しぶりにこの句を読んで、私も往時の興奮した気分を思いだした。そして、ようやくうつらうつらとしはじめた目に、夜明けの故郷、まぎれもない故郷の田園風景が目に染み入ってきて、「いよいよだな」とまだ見ぬ吾子が具体的に近づいてきたことを知らされる。変な言い方だが、ある種の「覚悟」が決まるのである。そんな初々しい感慨が詰まった句だ。もう一句。「妻より受く吾子は毛布の重さのみ」。人生、夢の如し…か。『朝の舟』(1978)所収。(清水哲男)


October 20102014

 よく見える幼子に見せ稲の花

                           矢島渚男

さな稲の花を見ている。いや、見ようとしている。が、おそらく少し老眼気味になってきた目には、細部までははっきりと見えないのだろう。そこでかたわらにいた幼い子にそれと教えて、「これが稲の花だよ。よく見ておきなさい」と指さしている図だと思う。むろん幼い子が稲の花に関心を抱くことはなかろうが、作者はとにかく「よく見える目」の持ち主に、見せておきたかったのである。つまり作者は幼子の目に映じているはずのくっきりした花の姿を想像して、その想像から自分にもくっきりと見えている気分にひたりたかったということだ。ちょつとややこしいけれど、この種の視覚的な行為に限らず、五感すべてにおいて、老いてきた身にはこのような衝動が走りがちになる。老いた人と幼い人との交流において、私たちはしばしば幼い人の行為を微笑をもって見守る老人の姿を見かける。あれはまたしばしば、掲句のような状態を受け入れようとしているが故の微笑なのだ。老いを自覚してきた私には、そのことの幸せと辛さとが分かりはじめている。『延年』(2003)所収。(清水哲男)


October 27102014

 矢の飛んできさうな林檎買ひにけり

                           望月 周

しぶりに、子供のころに読んだ物語を思い出した。「矢」と「林檎」とくれば、ウィリアム・テルのエピソード以外にないだろう。14世紀の初頭、スイスはオーストリアに支配されており、やってきた悪代官は横暴の限りをつくしていた。弓の名手だったテルも難癖をつけられて捕えられたが、意地悪な悪代官は彼に、幼い息子の頭に乗せた林檎を遠くから矢で射ぬけたら、命を助けてやろうと言われる。そこでテルは見事に林檎を射ぬくことに成功し、携えていたもう一本の矢で代官を射てしまう。子供向けの話はここで終わるのだけれど、このテルの働きが導火線となって、スイスはオーストリアの支配下から脱出したのであった。ただし、定説では、ウィリアム・テルはどうやら架空の人物であるらしい、そんな物語を想起させる「林檎」を、作者は買い求めた。平和な時代のこの林檎は、大きくてつやつやと真っ赤に輝いてたに違いない。ずしりと手に重い林檎の姿が、大昔の異国のヒーロー像とともに、読者の胸に飛び込んでくる。『白月』(2014)所収。(清水哲男)


November 03112014

 青き天心文化の日こそ掃除の日

                           香西照雄

真面目な句風で知られる作者にしては、珍しく季語(「文化の日」)を揶揄している。中身を簡単に言えば、なんだかよくわからん祝日だから、結局は何の日にでもなり得ると、作句してみせているわけだ。作者はむろん、この日が戦前の明治節であることは知っている。しかしいくら戦後民主主義の世の中になったからといって、文化住宅や文化鍋くらいならまだしも、「文化干し」などという魚の干物までが登場する軽薄な文化ブームに便乗したような命名には、深い憤りを覚えているのだ。ならば「今日は掃除の日だよ」と言い切って、魚の干物よりは少しはマシだろうがと苦りきっているのだろう。と同時に、こんな良い天気の日に、ひとり腹を立てているのも馬鹿馬鹿しいなとも思っている。『合本・俳句歳時記・新版』(角川書店・1974)所載。(清水哲男)


November 10112014

 ストーブを部分解禁する朝

                           森泉理文

業した高校(都立立川高)では、例年十一月一日が、スチーム暖房の解禁日だった。朝礼で校長が「都内の高校多しといえどもこんなに早く暖房をはじめるのは本校のみである」と威張ったものだった。公的な施設ではこのように暖房が解禁されるが、これが個人の家庭ともなれば、むろんこうはいかない。肌寒くなってきても、「まだ大丈夫、我慢できる」と、解禁を一日延ばしにするのが普通だろう。燃料費も馬鹿にならないし、一度暖房を入れてしまえばわずかな気温の差で止めたり点けたりするのは不可能に近いからだ。一度点けてしまえばそのまま春まで継続することになる。したがって、寒い部屋から「部分解禁する」のにも慎重にならざるをえない。作者は長野県佐久市に在住。東京などよりよほど寒い地方だから、もう「部分解禁」をされたころだろうか。『春風』(2014)所収。(清水哲男)


November 17112014

 昔々勝手にしやがれという希望

                           甲斐一敏

うか、もうゴダールの映画『勝手にしやがれ』は、「昔々」の域に入っているのか。調べてみたら1959年の製作だから、五十年以上も昔のフィルムである。見ていない人には説明の難しい映画だが、ストーリーとしては、官憲に追われた街のチンピラやくざ(ジャン・ポール・ベルモンド)がガールフレンドのアメリカ娘(ジーン・セバーグ)の密告で追いつめられ、最後は路上で警察の銃弾を受けて虫けらのように死んでいく、という単純なもの。しかしこのストーリーの画面上の展開技法は従来の映画の文法を打ち破る画期的な作品で、当時の若い映画ファンの度肝を抜いたのだった。ああ、映画はこんなに自由なメディアなのだ。見ていて、体中の神経や筋肉の緊張がが解き放たれるような気分であった。作者が「希望」と言っているのは、思想的な問題もさることながら、そうした自由気ままな雰囲気から触発された多くのことを指しているのだと思う。日本語のタイトルは「勝手にしやがれ」だが、原題は『A BOUT DE SOUFFLE』で、直訳すれば「息切れ」とでもすべきだろうか。これを大胆に改変した日本語のタイトルは、秀抜である。この絶妙な日本語タイトルとあいまって、若者の「希望」はなお色濃くなったと言ってもよさそうだ。『忘憂目録』(2014)所収。(清水哲男)


November 24112014

 国会中継延々葱買いに行かねば

                           きむらけんじ

会中継はよく見るほうだと思う。だが最近は、たとえば往年の共産党・正森成二のような舌鋒鋭い突っ込みの名人がいないので、あまり面白くない。句の「延々」は、そのことを言っている。かといって気になるやりとりも少しは出てくるので、スイッチを切るに切れないというところか。葱を買いに行かねばならぬという目前の用事のことがちらちら頭をかすめるが、なかなか席を立てないもどかしさ。天下の大事と日常生活の小事とが、同じくらいの重さで行き交う面白さ。しかし、議員センセイなどには到底わからぬであろうこの種の庶民感覚が、本当は政治的にも大切なはずである。国会の「延々」には、この感覚の差異がいつまでも平行してクロスしないもどかしさも、含まれているのだろう。自由律句だけれど、本サイトではいちおう冬の季語の「葱」に分類しておく。『圧倒的自由律 地平線まで三日半』(2014)所収。(清水哲男)


December 01122014

 老い兆す頭ごなしに十二月

                           小嶋萬棒

いは、いずれは訪れるにしても、万人に共通の年齢で訪れるわけではない。私の体験や観察によれば、あまり年齢には関係なく、兆はある日突然のようにやってくる。どうも身体の具合がおかしいな、復調しないなと感じはじめたときには、それが老いの兆なのだ。認めたくはないけれど、そうなったらもう以前の体調には戻らないのである。若いころの身体の不調ならば、ほとんどが復調するのだが、そうはいかなくなってくる。そこが老いの辛いところで、そうなったらひたすらに不具合が進行しないようにと願うわけだが、そのためには時間にゆっくり流れてくれるよう祈るくらいしか術がない。しかし、その気持ちが強ければ強いほど、時間が早く流れていくように感じられる。もう今日から十二月。私にも有無を言わさず「頭ごなしに」やってきた。『新版・俳句歳時記』(雄山閣出版・2001)所載。(清水哲男)


December 08122014

 レノン忌より小さき記事なり開戦忌

                           藤本章子

日十二月八日はかつての大戦の開戦日であり、ジョン・レノンの命日でもある。日本人にとって、いや世界の人類にとって、どちらが社会的に大きな出来事であったかは言うを俟たない。だが、この日の新聞はレノンの忌のことを大きく取り上げていたというのである。むろんレノン忌のことも風化させてはなるまいが、開戦の日のことはなおさらだろう。だが、ジャーナリズムとは残酷なもので、戦争の記憶の風化を嘆く舌の根も乾かぬうちに、かくのごとくに事態を風化させて平然としている。作者はそのことに大いなる義憤を覚えて詠んでいるわけだが、今日配達された紙面はどうであろうか。来年は戦後も七十年だから、そのことに引っかけて、多少大きめの記事を載せているかもしれない。近ごろの私は万事に悲観的だから、どのような大きな出来事もいずれは風化してしまうと思ってしまう。が、せめても自分の中では風化させないようにとも願っている。開戦日については、敗戦日よりもっと多々論じられてよい。俳誌「苑」(2011年3月号)所載。(清水哲男)


December 15122014

 名画座の隣は八百屋しぐれ来る

                           利普苑るな

学に入った年(1958年)は、宇治に下宿した。まだ戦後の色合いが濃く滲んでいた時代である。宇治は茶どころとして、また平等院鳳凰堂の町として昔から有名だったが、時雨の季節ともなると、人通りも少なく寂しい町だった。町に喫茶店は一軒もなく、ミルクホールなる牛乳屋のコーナーがあるだけだった。この句は、そんな宇治のころを思い出させてくれる。暮らしたのは宇治橋の袂からすぐの県通りで、私の下宿先から三十メートルほど離れたところに、名画座ではないが小さな映画館があった。隣がどんな建物だったかは覚えていないけれど、下宿の前が豆腐屋、その隣辺りに風呂屋があったといえば、この句の世界とほぼ同じようなたたずまいだ。句は町の様子をそのまんまに詠んだものだが、こうした句は、時間が経つほどにセピア調の光沢が増してくる。俳句ならではのポエジーと言ってよいだろう。なお、作者名「利普苑るな」は「リーフェン・ルナ」と読ませる。『舵』(2014)所収。(清水哲男)


December 22122014

 ひだりより狐の出でし障子かな

                           西原天気

語は「障子」。これを冬の季語とするのは、まだ冷暖房設備が整わなかったころ、夏は風通しをよくするために外し、寒くなってきてから障子を入れる習慣があったため。こうして整えられるのが「冬座敷」というわけだ。その冬座敷の障子に、いきなり狐が現れた。びっくりするような光景だが、この狐は影絵遊びのそれだろう。貼り替えた真新しい障子は、それでなくとも想像力を刺激してくる。影絵の主もちょっと遊んでみたかったのだろう。私も子供のころに、狐や犬を写しては弟に見せて楽しんだものだった。ただし電気の来ない家に住んでいたので、光源はランプだった。大人であればランプの光源はゆらめいたりするので魅力的と思うかもしれないが、子供にははっきりしない映像がもどかしかった、狐や犬以外にも多くのキャラクターを作ることができたけれど、いまでは狐と犬くらいしか覚えていない。そして現在の我が家には、もはや肝心の障子がないのである。『けむり』(2011)所収。(清水哲男)


December 29122014

 暖房の室外機の上灰皿置く

                           榮 猿丸

煙家ならば、誰もがうなずける句だろう。いまではたいていの室内が禁煙だから、吸いたいときには室外に出ざるを得ない。句は、オフィスの室外だろうか。寒風の吹くなか、震えながらの喫煙となるが、灰皿を持って出ても、適当な置き場所もないので手近の室外機の上に置いている。そもそも室外機の上に物を置く行為がなんとなく後ろめたいうえに、そんなことまでして煙草を吸う惨めさが身にしみてきて、およそゆったりとした気分にはなれない。だが、それでも吸いたいのが煙草好きの性なのだ。味わうなんてものじゃなく、とにかく煙を吸ったり吐いたりする行為にこそ、意味があるわけだ。どんな職場にもそうした男たちが何人かは存在する。仕事ではウマが合わなくても、こういう場所では同志的連帯感がわいてくる。これからの季節、しばらくはこんな情景があちこちで見られるだろう。喫煙者以外には、わかりにくい句かもしれない。『点滅』(2013)所収。(清水哲男)




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