あちこちから線香を焚く香り、東京は新暦でのお盆。(哲




2014ソスN7ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1572014

 言霊の力を信じ滝仰ぐ

                           杉田菜穂

辞苑には言霊(ことだま)は「言葉に宿っている不思議な霊威。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた」と解説される。日本の美称でもある「言霊の幸ふ国」とは、言霊の霊妙な働きによって幸福をもたらす国であることを意味する。沈黙は金、言わぬが花などの慣用句も言葉とは聖にも邪にもなることから生まれたものだ。そして滝の語源はたぎつ(滾つ)からなり、水の激しさを表し、文字は流れ落ちる様子を竜にたとえたものだ。胸底にたたむ思いも、また波立つもののひとつである。さまざまな思いを胸に秘め滝を仰ぐ作者に、水の言霊はどのような姿を見せてるのだろうか。〈猫好きと犬好きと蟇好き〉〈ウエディングドレスのための白靴買ふ〉『砂の輝き』(2014)所収。(土肥あき子)


July 1472014

 老人は青年の敵強き敵

                           筑紫磐井

書に「金子兜太」とある。ちょうどいま新刊の『語る 兜太ー我が俳句人生』(岩波書店)を読んでいるところで、この句を思い出した。水も滴るよい男(古いね)を指して「女の敵」と言うように、この句の「敵」は最高の賛辞である。人の褒め方にもいろいろあるが、「敵」という許せない存在も、レベルが上がってくると、許すどころか畏敬の対象にまで変化を遂げるのだ。この人のようになりたいとかなりたくないとかのレベルを超えて、「敵」はもはや、この句の範疇で言えば、「青年」の批評や批判の外に、あるいは憧憬や羨望の外に悠然と立っている。そして、こうした人物の存在はもとより希少である。それが「もとより」であることは、ちなみにこの前書を他の誰それに変更して読んでみると、はっきりわかるだろう。老人について書かれた最古の文章であるキケロの老人論に私たちが鼻白むのは、キケロがこの句を半ば一般論として押しつけようとしているからなのだ。『我が時代』(2014)所収。(清水哲男)


July 1372014

 秘湯なり纏はる虻と戦つて

                           矢島渚男

の十年くらいで日帰り温泉が増えました。かつての健康ランドが格上げされた感じで、気軽に温泉気分を味わえるので重宝しています。しかし、掲句の秘湯はそんなたやすいものではありません。鉄道の駅からも、高速のインターからも相当時間のかかる奥地です。時間をかけて、知る人ぞ知る秘湯に辿り着いた感慨を「なり」で言い切っています。また、山あいの秘湯なら、樹木が放つ芳香につつまれながら湯を肌にしみ込ませる幸福な時を過ごしており、その感慨もあります。けれども、天然自然は、そうやすやすと人を安楽にはさせません。自らも生まれたままの姿になって自然に包まれるということは、自然の脅威におびやかされるということでもあります。ここからは、ヒトvsアブの戦いです。吸血昆虫の虻からすれば、人肌は一生に一度のごちそうです。本能の赴くまま右から左から、前から後ろから、戦闘機のように攻撃をしかけてきます。作者はそれを手で払い、湯をかけたりして応戦しているわけですが、のんびりゆっくり秘湯にくつろぐどころではありません。しかし、それを嫌悪しているのではなく、これもふくめて「秘湯なり」と言い切ります。秘湯で虻と戦う自身の滑稽を笑い、しかし、この野趣こそが秘湯であるという宣言です。なお、虻は春の季語ですが、句集の配列をみると前に「崖登る蛇や蛇腹をざらつかせ」、後に「蟻の列食糧の蟻担ひゆく」とあり、「蛇」「蟻」は夏なので、夏の季題として読みました。『百済野』(2007)所収。(小笠原高志)




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