宿酔。弱くなった。(哲




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July 1672014

 浅草や買ひしばかりの夏帽子

                           川口松太郎

の日本人は、年間を通じて帽子をあまりかぶらない人種と言える。数年前に夏のシンガポールへ行った時も、日本以上に暑い日差しのなか帽子をかぶっている人の姿が少ないことに、どうして?と驚いた。(日本人に限ったことことではないか、と妙に納得した。)掲出句は浅草で買った夏帽子をかぶって、浅草を歩いているのではあるまい。そうではなくて、どこかの町で買ったばかりの夏帽子をかぶって、暑い日盛りの浅草へ遊びにでも出かけたのであろう。去年の夏もかぶっていた帽子ではなく、ことし「買ひしばかり」の夏帽子だから、張り切って意気揚々と浅草のにぎわいのなかへ出かけた。祭りなのかもしれない。帽子にも近年はいろいろとある。サハリ帽、パナマ帽、中折れ帽、アルペン帽、バンダナ帽、野球帽、麦わら帽……松太郎の時代、しかも浅草だから、高級な麦わら帽かパナマ帽なのかもしれない。いずれにせよ、新調した夏帽子をかぶって盛り場へ出かける時の高揚感は、時代を超えて格別である。松太郎には他に「秋晴の空目にしみる昼の酒」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所載。(八木忠栄)


July 1572014

 言霊の力を信じ滝仰ぐ

                           杉田菜穂

辞苑には言霊(ことだま)は「言葉に宿っている不思議な霊威。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた」と解説される。日本の美称でもある「言霊の幸ふ国」とは、言霊の霊妙な働きによって幸福をもたらす国であることを意味する。沈黙は金、言わぬが花などの慣用句も言葉とは聖にも邪にもなることから生まれたものだ。そして滝の語源はたぎつ(滾つ)からなり、水の激しさを表し、文字は流れ落ちる様子を竜にたとえたものだ。胸底にたたむ思いも、また波立つもののひとつである。さまざまな思いを胸に秘め滝を仰ぐ作者に、水の言霊はどのような姿を見せてるのだろうか。〈猫好きと犬好きと蟇好き〉〈ウエディングドレスのための白靴買ふ〉『砂の輝き』(2014)所収。(土肥あき子)


July 1472014

 老人は青年の敵強き敵

                           筑紫磐井

書に「金子兜太」とある。ちょうどいま新刊の『語る 兜太ー我が俳句人生』(岩波書店)を読んでいるところで、この句を思い出した。水も滴るよい男(古いね)を指して「女の敵」と言うように、この句の「敵」は最高の賛辞である。人の褒め方にもいろいろあるが、「敵」という許せない存在も、レベルが上がってくると、許すどころか畏敬の対象にまで変化を遂げるのだ。この人のようになりたいとかなりたくないとかのレベルを超えて、「敵」はもはや、この句の範疇で言えば、「青年」の批評や批判の外に、あるいは憧憬や羨望の外に悠然と立っている。そして、こうした人物の存在はもとより希少である。それが「もとより」であることは、ちなみにこの前書を他の誰それに変更して読んでみると、はっきりわかるだろう。老人について書かれた最古の文章であるキケロの老人論に私たちが鼻白むのは、キケロがこの句を半ば一般論として押しつけようとしているからなのだ。『我が時代』(2014)所収。(清水哲男)




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