暑くて寝たり起きたり。老人みたいだなと思ったら、老人だった。(哲




2014ソスN7ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2072014

 夕立ちや小言もにぎる江戸かたぎ

                           小沢昭一

年前、惜しまれて逝去した俳優・小沢昭一の『俳句で綴る変哲半生記』(2012)所収です。序文に、「最初は俳句を口実に集まって、遊んでいるような心持ちでしたが、そのうちだんだん句作が面白くなってまいりました。それは、俳句を詠むことで、本当の自分と出会えることに気付いたからです。今までに詠んだ句を集めましたら、およそ四千にもなりました。改めて眺めてみますと、どの句にも『自分』というものがチラチラと出ているように思えます。特に『駄句』にこそ私らしさ が現れておりますので、あれこれ選ばず、恥ずかしながら詠んだ句全てを載せさせていただきました」。俳句を始めた昭和四十四年から、月順に配列されているので、タイトル通り、俳句で綴られた半生記です。掲句は平成九年七月の作。行きつけの店の外は夕立ちで、他に客が入ってくる気配もありません。主人の小言は、相変わらずわさびが利いて辛口です。にぎられたら即座に口にするのが江戸前のならい。主人がにぎった鮨を客の小沢はすぐに手にとり口にする。主人がにぎり客が手にとり口にする。あうんの呼吸で、これがテンポよくくり返されていたと想像します。主人は江戸っ子ですから、舌の切れ味がよい。浅草橋で売っている佃煮のような塩っ辛い味に親しんでいるからでしょう。夕立ちも、小言 も、にぎる手ぎわもそれぞれみな短くて、これもこの句が小気味よい理由です。なお、「夕立ちや」で切ることで、外界との遮断を表して、主人と客との距離がはっきりしてきます。(小笠原高志)


July 1972014

 伸びきつてゐたる暑さやタマの午後

                           高濱朋子

はタマ、の由来は様々あるらしいが現在は、庭付き平屋一戸建てに三世代のサザエさん一家同様かえって珍しい。それでも、白い猫を見て、タマ、の名前を思い浮かべる人はまだ多くいるだろう。あら、お前も暑そうねえ、とわずかな物陰に体を合わせるように身を横たえる猫に声をかける作者。そこでふと思いついた一句、猫、とせずに、タマ、とする遊び心がこの作者の持ち味の一つだ。おもしろさだけでなく、どこにでもいる白い猫のありさまを読み手が共有することは、連日の暑さをやれやれと思いつつも、日本らしい夏への愛着を共有することにつながっている。虚子の七番目の孫にあたる作者の第一句集、その名も『おそき船出に』(2014)所収。(今井肖子)


July 1872014

 巻尺を伸ばしてゆけば源五郎

                           波多野爽波

事現場だろうか。地面に巻尺を当てて伸ばしていったら、近くの池に源五郎がいたというのである。この句、描かれているものは、「巻尺」と「源五郎」だけだ。省略の効いた二物配合の句である。中七の「伸ばしてゆけば」は、動作の表現だけではなく、巻尺を伸ばしている時間をも感じさせる。それにしても、「巻尺」から「源五郎」へ飛躍するイマジネーションの柔軟なこと。意外性に溢れつつ、リアリティを失っていない作品である。『骰子』(昭和61年)所収。(中岡毅雄)




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