「 只管」という漢字をしみじみと見直す。「ひたすらに暑い日々」。(哲




2014ソスN7ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2772014

 古書店を出でて青葉に染まりたり

                           波多野完治

者は、御茶ノ水女子大で学長を務めた心理学者。俳句を始めたのは八十歳を過ぎてからで、あとがきには、「生涯教育の時代は、生徒が先生を選べる時代である。だから、ゆっくりさがせば、自分に合った先生は必ず見つかる」と、自身の経験を語っています。一高では小林秀雄と同級だっただけあり、掲句もふくめて句集には、教養主義の香りが所々に立ちこめています。例えば、「青嵐ツァラトゥストラの現れむ」「明け易し老いて読み継ぐ三銃士」「雹(ひさめ)ふりページ小暗き山居かな」「短夜やメルロー・ポンティ終了す」。掲句は作者にとって、学生時代から老齢に至るまで変わらない夏の出来事だったのでしょう。場所はたぶん、神田神保町。旧制高校を経験した世代にとって古書店は、未来の自我に出会える場です。だから、いったん店内に入ったら、書棚の隅から隅まで目を配り、貪欲な嗅覚を発揮して店内を渉猟します。やがて、知的欲求と懐具合とを勘案して、数冊を抱えて店内を出ます。その時、古書店という観念の森に繁る言の葉に置いていた作者の身は、現実の青葉に染まり始めて、夏の最中へと還俗していきました。他に、「草田男の初版に出会ひ炎天下」。『老いのうぶ声』(1997)所収。(小笠原高志)


July 2672014

 道路鏡の中の百日百日紅

                           阿部正調

々車で通る道が、ある時百日紅の並木道になった。花が咲いていないときは気づかなかったが真夏、久しぶりに通ってびっくり、どうしてこんな暑苦しい並木道にしようと思ったのだろう、と驚いてから、いや待てよピンクや白の花の房が風に揺れて涼しげだと思う人もいるのかも、と思い直した。そのものに対する記憶が固定概念になっていることは花に限らずある。子どもの頃住んでいた家の前になだれるようにたくさんの百日紅が毎年咲いて、あのやや濃いめのピンクは暑さの象徴だった。いつ見てもたくさん咲いていてついやれやれと思ってしまう。そんな百日紅を夏の間中映し続けるカーブミラーが作者の身近にあるのだろう。来る日も来る日も、丸い凸面鏡いっぱいにピンクの花が映っている。本来は死角にあってこのミラーが無ければ目に留まることも無いこの花を親しく思っているか、暑苦しく思っているかは作者の記憶次第だが、百日紅の花はカーブミラーに不思議と似合う。『土地勘』(2014)所収。(今井肖子)


July 2572014

 老人よどこも網戸にしてひとり

                           波多野爽波

は老いる。必ず、老いる。そして、老いはしばしば孤独を伴うものである。配偶者が亡くなり、子供も訪ねてくることなく、日々、一人で生活せざるを得ない場合もある。爽波がここで描いた老人も、また、ひとりである。「老人よ」の呼びかけが、作者の老人への共感を表している。どこも、網戸にしてというのは、涼しげなイメージを浮かべるかも知れないが、ここでは、窓やガラス戸など、家の内と外とを隔てている境界を出来る限り取り外し、網戸によって外界に繋がろうとする、老人の意識下の願望が感じられる。そして、下五の「ひとり」という呟きのような結び。爽波の句で、「老い」の心境を詠んだ句は、ほとんど見られない。それだけに、心に残る一句である。『一筆』(平成2年)所収。(中岡毅雄)




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