親戚の葬儀が希望日より早まった。盆で多忙な坊さんの都合だ。(哲




2014ソスN8ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1182014

 島の子のみんな出てゐる夜店かな

                           矢島渚男

の「島」を「村」に替えれば、そのまま私の子供時代の光景になる。バスも通わぬ村だったから、陸の孤島という比喩があるように、村はすなわち島のようなものだった。むろん映画館もなければ、本屋すらなかった。そんな環境だったので、娯楽といえば年に一度の村祭くらいしかなく、わずかな小遣いを握りしめて、夜店をのぞいてまわるのが楽しみだった。夜店で毎年買いたいと思ったのは、ゴム袋に水を入れる様式のヨーヨーだったけれど、買えるほどの小遣いはもらえなかった。どんなにそれが欲しかったか。大人になってから、ヨーヨー欲しさだけで町内の侘びしい祭に出かけていったほどである。いまは知らないけれど、そのころ夜店を出していたのは旅回りの香具師たちだった。なにしろ日ごろは、村人以外の人を見かけるとすれば総選挙のときくらいだったから、点々と店を張っている香具師たちの姿は、ともかくも新鮮だった。夜店は決して大げさではなく、年に一度の異文化との交流の場だったのである。ヨーヨーばかりではなく飴玉一個煎餅一枚にしても、西洋からの輸入品のように輝いて見えていたのだった。『翼の上に』(1999)所収。(清水哲男)


August 1082014

 尺取虫一尺二尺歩み行く

                           小林 凛

の夏、長野の山中で尺取り虫を見ました。登山口に置かれた木の机の上を、「く」の字「一」の字を繰り返し「歩行」するのですが、5cmほどの体長の全身を使って「歩行」するのであんがい速く、縦横1m程の机を5分程で一周するスピードでした。二周目に入って、この周回を延々と続けるのかと思っていたら、四隅の角から糸を垂らして見事地面に着地。自然界へと回帰していきました。掲句は、凛くんが11歳の時の作。句の直後に、「いじめられて学校を休んでいます。道で尺取り虫に出会いました。人生あせらずゆっくり行こうと思いました。」とあります。この句には「尺」の字を三度使って、その歩みを視覚化する工夫もあるようです。同じく11歳の作に「蟻の道シルクロードのごとつづく」「おお蟻よお前らの国いじめなし」「蟻の道ゆく先何があるのやら」。凛くんは、体が小さく生まれたせいで、小学校一年から五年までいじめの標的になります。そんな時、野山に出て俳句を作りました。凛くんにとって不登校を選んだことは、学校の四角い教室からの脱出であったと同時に、自然へと回帰していくことでもあったのでしょう。人間が作った教室という枠組よりもずっと広い、尺取り虫や蟻の道ゆく世界に接近し、そこに参加させてもらって、自身の居場所を俳句を作ることによって獲得していった。そんな、生きものとしての強さを物語っています。凛くんの眼は、接写レンズのように対象をくっきりとらえ、それを伝えています。8歳の作に「大きな葉ゆらし雨乞い蝸牛」。句の直後に「登校途中、大きな葉に蝸牛がはっているのを見て詠みました。」とあります。『ランドセル俳人の五・七・五』(2013)所収。(小笠原高志)


August 0982014

 原爆忌乾けば棘を持つタオル

                           横山房子

日の猛暑に冬籠りならぬ夏籠りのような日々を送っているうち暦の上では秋が立ち、そしてこの日が巡って来る。一度だけでもありえないのになぜ二度も、という思いと共に迎える八月九日。八月六日を疎開先の松山で目撃した母は、その時咲いていた夾竹桃の花が今でも嫌いだと言うが、八月の暑さと共にその記憶が体にしみついているのだろう。この句の作者は小倉在住であったという。炎天下に干して乾ききったタオルを取り入れようとつかんだ時、ごわっと鈍い痛みにも似た感触を覚える。本来はやわらかいタオルに、棘、を感じた時その感触は、心の奥底のやりきれない悲しみや怒りを呼び起こす。夫の横山白虹には<原爆の地に直立のアマリリス >がある。『新日本大歳時記 夏』(2000・講談社)所載。(今井肖子)




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