朝夕は若干涼しくなってきたかな。残暑お見舞い申し上げます。(哲




2014ソスN8ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1982014

 天の扉を開けて星降るビアガーデン

                           工藤 進

うまでもないことながら、ビアガーデンの定義は屋外である。開放的な空間で、わいわいがやがやとジョッキを掲げる。ビアガーデンの発祥は昭和12年、ニュートーキョー数寄屋橋本店屋上だといわれ、以来毎年の夏の都心を彩ってきた。冷房完備、個室優勢の現代でも、人は折々夜風に吹かれ、ビールに喉を鳴らしたいときがある。ビジネスマンが仕事帰りに集うことが多いため、駅前のビルやデパートの屋上など、交通に便利な場所が多いが、都心を離れた場所で人気のビアガーデンもある。高尾山のケーブルカー降り口にある高尾山ビアマウントは標高500メートル。夜空には星が輝き、地上の夜景も見渡せる。掲句は「天の扉」としたことで、特別な空間が生まれ、また、満天の夜空からこぼれ落ちる星を掲げるジョッキで受けるような豪快な美しさを伴った。〈百草に百種のこゑ秋澄めり〉〈秋の七草夕日を束ねてゐたりけり〉『ロザリオ祭』(2014)所収。(土肥あき子)


August 1882014

 水を出しものしづまりぬ赤のまま

                           矢島渚男

リラ豪雨というそうだが、この夏も各地が激しい雨に見舞われた。山口県の私の故郷にも大量の雨が降り、思いがけぬ故郷の光景をテレビで眺めることになったのだった。ただテレビの弱点は、すさまじい洪水の間の様子を映し出しはするものの、おさまってしまえば何も報じてくれないところだ。句にそくしていえば「しずまりぬ」様子をこそ見たいのに、そういうところはニュース価値がないので、切り捨てられてしまう。「水を出し」の主体は、私たちの生きている自然環境そのものだろう。平素はたいした変化も起こさないが、あるときは災害につながる洪水をもたらし、またあるときは生命を危機に追い込むほどの気温の乱高下を引き起こしたりする。だがそれも一時的な現象であって、ひとたび起きた天変地異もしずまってしまえば、また何事もなかったような環境に落ち着く。その何事もなかった様子の象徴が、句では「赤のまま」として提出されている。どこにでも生えている平凡な植物だけれど、その平凡さが実にありがたい存在として、風に吹かれているのである。それにつけても、故郷の水害跡はどうなっているだろうか。農作物への被害は甚大だったろうが、せめていつもの秋のように、風景だけでも平凡なそれに戻っていてほしい。あの道々やあの低い丘の辺に、いつものようにいつもの「赤のまま」が、いつもの風に吹かれていてほしいと、切に願う。『延年』(2003)所収。(清水哲男)


August 1782014

 秋立つやひたと黒石打ちおろす

                           安部孝一郎

秋から十日経ちましたが暑いですね。日本は太陽暦、太陰暦、太古の暦が重なっているので、季語と季節にずれが生じることも少なくありません。おしゃれに気づかう人が季節を先取りするように、歳時記にもそんなしゃれたところがあろうかと思います。まだまだ猛暑は続きそうですが、言葉のうえでは秋を先取りしようと思います。掲句は「秋立つや」で切れています。暦の上で秋になった感慨であり、まだ暑さが残る中で立秋を迎えることにちょっとした違和感があるのかもしれません。また、この切れ字には屋外と室内を仕切るはたらきもありそうです。畳の上にはいまだ何も置かれていない碁盤。その隅に、第一着の黒石を打ちおろす。この一手が、秋の始まりと呼応します。この時、黒石はどのような手つきで置かれ、どのような音をたてたのでしょうか。それは、「ひたと」打ちおろされたのです。『広辞苑』では「ひたひた」を「ひた(直)」の畳語。ぴったり。すみやか。『日本語大辞典』では、波などが物に当たる音と説明しています。これをもとに碁石の置かれ方を想像すると、黒石は、碁盤の目(たとえば隅の星)に、すみやかに打ちおろされてぴったり置かれ静かな音をたてたものと思われます。盤上にかすかなさざ波が立つように、秋が始まりました。現在、囲碁碁聖戦五番勝負が進行中。井山六冠は平成生まれです。『四重奏』(1993)所収。(小笠原高志)




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