2014N9句

September 0192014

 その中の紺を選びし九月かな

                           木村三男

るほどな、と思う。が、読み返してみると、何も書いてない。書いてないは言い過ぎだろうが、書いてあることはいろいろな色彩の中から、(誰か、あるいは何か)が「紺」色を選んだという、はなはだ頼りないことだけである。それでいて、句の磁石は真直ぐ九月という季節を指している。したがって、何も書かれていないようでいて、作者の言いたいことは誰にでもわかりやすく、きちんと書かれているということになる。すなわち、ここにひとつの俳句の典型がある。好き嫌いはべつにして、俳句づくりは誰もがこの典型に突き当たらざるをえないのだろう。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


September 0292014

 森密に満月入れるほどの隙

                           坂口匡夫

の語源が「盛り」であるように、木が密集している場所を意味する。夜とはいわず、昼でさえ暗いような場所にあって、満月が光りをこぼす。闇のなかであるからこそ、わずかな光りがひときわ明るく見えるのだが、そのあまりの美しさに、まるで重なり合う木々がおのずから月光を通すために隙間を作っているように感じられるのだ。来週が満月となる今宵はちょうど半分の月。森の木々があっちに詰めたり、こっちに身を寄せたりして、満月の居場所を作っているところだろう。〈月の歌唄ひつつゆく子に無月〉〈鰯雲忘るる刻がきて忘る〉『沖舟』(1975)所収。(土肥あき子)


September 0392014

 内股(うちもも)に西瓜のたねのニヒリズム

                           武田 肇

句を含む句集『同異論』(2014)は、作者がイタリア、スペイン、ギリシアなどを訪れた約二年間に書かれた俳句を収めた、と「あとがき」に記されている。したがって、その海外旅行中に得られた句である可能性もあるが、そうと限ったものでもあるまい。西瓜は秋の季語だけれども、まだ暑い季節だから内股を露出している誰か、その太い内股に西瓜の黒いタネが付着しているのを発見したのであろう。濃いエロチシズムを放っている。国内であるか海外であるかはともかくとして、その「誰か」が女性であるか男性であるかによって、意味合いも鑑賞も異なったものになるだろう。「ニヒリズム」という言葉の響きからして、男性の太ももに付着したタネを、男性が発見しているのではあるまいか、と私は解釈してみたい。でも、白くて柔らかい「内股に…たね」なら女性がふさわしいだろうし、むずかしい。作者はそのあたりを読者に任せ、敢えて限定していないフシもある。おもしろい。「西瓜のたねのニヒリズム」という表現は大胆であり、したたかである。同じ句集中に「ニヒリズム咲かぬ櫻と來ぬ人と」「ニヒリズム春の眞裏に花と人」がある。著者七冊目の句集にあたる。(八木忠栄)


September 0492014

 十五夜の覗いてみたき鳥の夢

                           岡本紗矢

年の十五夜は例年より早く来週の月曜9月8日だという。きっとその日は澄み切った中秋の名月が煌々と夜空に上がることだろう。鳥たちは木々に宿りどのような夢を見ているのか。犬などは眠りながら小さくほえていることがある。犬の夢に出てくる犬は昼間すれ違った犬?近所の気になるカワイコちゃんだろうか。鳥の夢は空飛ぶ鳥の視界に入る地上の風景だろうか。掲載句では「覗いてみたき」と鳥の夢の内部に踏み込んでゆく言葉が魅力的。夜空に照る満月が違う世界が見える覗き穴のようにも思えてくる。十五夜の鳥の夢、月を通せばそんな不思議も覗ける気がする。『向日葵の午後』(2014)所収。(三宅やよい)


September 0592014

 いぶしたる爐上の燕帰りけり

                           河東碧梧桐

葺の古民家が目に浮かびます。真っ黒に煤けた大黒柱があって爐(いろり)があってボンボン時計がある。そんな爐上に何故だか燕が巣を作った。成り行きながら雛がかえって巣立ちもした。この家の者も愛しみの眼差しを向けて日々雛の成長を楽しみにする。時々寝言で鳴く「土食って渋ーい、渋ーい」に寝付かれぬ夜もある。何匹かの子燕の特徴を識別して名前など付けてしまう。そして燕たちが自分の家族とも思はれて来る頃その日は来る。見知らぬ遠い国へ旅立ってしまうのだ。後にはぽかんとした空の巣がそこにあるだけ。誰にでもやって来るその日はある。『碧梧桐句集』(1920)所収。(藤嶋 務)


September 0692014

 青空とそのほかは蘆の葉の音

                           林紀之介

の蘆はちょうど今頃か、水辺にまだ青々と広がっているのだろう。真夏の青蘆の潔さは消えかけていて、渡る風音は少し乾いている。日々澄んだ青さをとり戻しつつある空、目の前には蘆原が広がり、作者はその風音の中に立っている。この句を一読した時不思議な感覚を覚えるのは、そのほかは、が視覚と聴覚をつないでいるからかもしれないが、それが違和感ではなく心地よい余韻を生んでいるのだ。空の青はまず蘆原の青につながり、そこにただ、葉の音、と言って風を感じさせることで、五五七のリズムとともに秋の爽やかな静けさが広がってゆく。<いい声の物売りがゆく鰯雲><近々と遠くの山の見えて秋>。『裸木』(2013)所収。(今井肖子)


September 0792014

 芒挿す光年といふ美しき距離

                           奥坂まや

月を鑑賞するときに、芒(すすき)を挿す。よい風習と思います。ただし、中秋の名月の日、晴れているとはかぎりません。また、都市生活者なら、月を展望できる住環境をもつ人は、少数でしょう。それでも掲句を読むと、「芒挿す」という行為に意味を感じます。これは、月に向けて、自身の位置を示して、月と自身との直線距離を確定する動作です。ここを起点にして、時間と空間の美学が始まります。ふつう、一万光年などという使われ方をする「光年」を単独で使い、物理的な単位とし て提示しています。「光年」という時間の単位は、そのまま宇宙空間に存在する天体との距離を示します。奥坂さんは、そこに「美しき」を形容している。たしかに、宇宙物理学は、美学に近いところがある学問です。それもふまえて、掲句は、何億年もかかる距離を旅する光そのものが持っている性質に対して、「美しき」といいます。それは、宇宙的な速度を輝きという現象で見せてくれる性質です。名月の手前に芒を置く風習は、月を借景とするシンプルな生け花のようでもあり、家の中に、月を客として招き入れる風雅な遊びでもあるでしょう。明晩は、芒を挿してみようかな。『縄文』(2005)所収。(小笠原高志)


September 0892014

 しとしては水足す秋のからだかな

                           矢島渚男

の句を読んで思い出した句がある。「人間は管より成れる日短」(川崎展宏)。人間の「からだ」の構造を単純化してしまえば、たしかに「管(くだ)」の集積体と言える。記憶に間違いがなければ、もっと単純化して「人間は一本の管である」と言ったフランスの詩人もいた。つまり、人間をせんじ詰めれば、口から肛門までの一本の管に過ぎないではないかというわけだ。そんな人間同士が恋をしたり喧嘩をしたりしていると思えば、どこか滑稽でもあり物悲しくもある。飲む水は、身体の管を降りてゆく。夏の暑さのなかでは実感されないが、涼しい秋ともなれば、降りてゆく水の冷たさがはっきりと自覚される。飲む目的も夏のように強引に渇きを癒すためではなく、たとえば薬を飲むときだとか、何か他の目的のためだから、ますます補給の観念が伴ってくる。だからこの句の着想は、秋の水を飲んでいるときに咄嗟に得たものだろう。一見理屈のかった句のように見えるけれど、実際は飲み下す水の冷たさの実感から成った句だと読んだ。実感だからこその、理屈をこえた説得力がある。『天衣』(1987)所収。(清水哲男)


September 0992014

 良夜かな鱏の親子の舞ひ衣

                           鍵和田秞子

日が十五夜だったが、満月は今日。正確にいうと満月は午前10時38分の月なので、昨夜も、今夜もほとんど満月という状態ではある。鱏はひらべったい菱形の体に長い尾を持ち、波打つように泳ぐ。そのなかでも最大のオニイトマキエイは、ダイバーたちの憧れの生きものである。マンタとも呼ばれるオニイトマキエイは、青い海をひらひらとはばたくように泳ぐ。マンタは一列に連なって移動することもあり、それはまるで海中の渡り鳥のような美しさである。大きな月が海を照らせば、竜宮城までその明るい光りが届いていることだろう。ヒラメより断然迫力のある鱏の舞いが披露されているかもしれない。〈記憶から記憶へ紅葉始りぬ〉〈かなしみは眠りを誘ふ黒葡萄〉『濤無限』(2014)所収。(土肥あき子)


September 1092014

 どの家もまだ起きてゐる良夜かな

                           宮田重雄

がとても素晴らしく良い夜だから、良夜。おもに十五夜をさす。今年九月の満月は暦の上では昨九日だった。良い月が出ている夜は、すぐに寝てしまうのがどこかしらもったいない気がする。だから夜遅くまで人は思い思いに起きている。集合住宅ではなかなかその実感はわかない。涼しくなった時季に縁側や庭で月の光のもと、何やかやとぐずぐずと時間を過ごしていたいのは、一般的に人間の自然な気持ちかもしれない。「徒然草」に「八月十五日、九月十三日は、婁宿なり。この宿、清明なるゆゑに、月を翫ぶに良夜とす。」とある。「月を翫(もてあそ)ぶ」などという味わい深い言葉は、もう私たちの日常からは遠い言葉になってしまった。宮田重雄を知っている人は今や少なくなっただろう。画家であり医者さんだった。むかしNHKの人気番組「二十の扉」のレギュラー回答者だった、という記憶が残っている。福田蓼汀の句に「生涯にかかる良夜の幾度か」がある。なるほど実感であろう。平井照敏編『新歳時記・秋』(1996)所収。(八木忠栄)


September 1192014

 涼新た卓布に木の匙木のナイフ

                           工藤 進

のテーブルクロスは真っ白に洗い上げた白のリネンでパリッとアイロンが当たっていそう。その上に揃えてある木の匙と木のナイフは手の温もりが感じられる。このテーブルに集う人から新たな物語が始まりそうだ。「涼し」はたまらない暑さにふっと感じる涼気だけれど、「新涼」は日常的に爽やかさな空気が感じられること。日差しはまだ強くとも、朝晩の涼気は秋のものだ。掲載句では物と物との質感の対比がくっきりしていて「涼新た」という爽やかな言葉を生かしている。ひんやりとした空気に、本格的な秋の訪れを感じる頃、こんな食卓で景色を眺めながらゆったりと食事をしてみたい。『ロザリオ祭』(2014)所収。(三宅やよい)


September 1292014

 椋百羽飛んで田の神おどろかす

                           岩田ふみ子

の神は、日本の農耕民の間で、稲作の豊凶を見守り、稲作の豊穣をもたらすと信じられてきた神である。水神様とも言われる田の神で、脇では農家がお昼なんかをして長閑である。椋鳥は留鳥として市街地や村落に普通にいる。秋から冬には群れで行動し夕方ねぐらでは何万羽という大群になることがある。長い列島では稔りの盛期の所も刈入れ中の所も刈入れが済んだところもあろう。そんな大和まほろばの田んぼに突如として椋の大群が襲った。広大な田んぼを前に驚いているのはただ水神様一人。悠久の空には細やかな秋の雲がずっと広がっている。椋一群は空に沁みて消えてしまった。『文鳥』(2014)所収。(藤嶋 務)


September 1392014

 まづ月を見よと遅れて来し人に

                           安原 葉

京の十五夜はあいにくの天気だったが、九月九日十六夜の満月は美しかった。その夜は雑居ビルの一角でがやがやと過ごしていたが、八時を回ったころから入れ替わり立ち替わり連れ立っては月を見に表に出た。まさに月の友であるが、ビルの壁と壁の間の狭い空に見える月もなかなかいいね、などと言い合いながら数人で空を見上げてぼーっとただ立っている様は、傍から見ればやや不審だったかもしれない。俳句に親しむ人々はことに月に敏感で月を好む。掲出句も佳い月の出ている夜の句会での一句だろう。句意は一読してわかりやすいものだが即吟と思われ、省略の効いた言葉で一場面を切りとることで、句座の親しさとその夜の月の輝きを思わせる。『生死海(しょうじかい)』(2014)所収。(今井肖子)


September 1492014

 蚯蚓鳴く冥土の正子と一ト戦さ

                           車谷長吉

書に「白洲正子さまを偲んで」とあります。白洲正子が亡くなって一週間後、車谷は、「魂の師」が逝ってしまった悲しみを新聞に掲載しています。白洲正子を端的に言ったのは、青山二郎の「韋駄天のお正」でしょう。幼少の頃から能を習い、女性として初めて舞台に上がった正子は、能面を見る審美眼を骨董と古美術にも広げていき、近畿、とくに近江の古仏を探訪した『かくれ里』の足跡は、正子の眼によって、ひっそりと隠れていた山里の神社や寺、古い石仏たちを多くの日本人に開示してくれました。正子の目利きはさいわいに、無名の車谷長吉が『新潮』に掲載した『吃りの父が歌った軍歌』を見つけます。そして、一つの才能を発見した喜びに満ちた手紙を墨筆で車谷に届けました。それ以来、車谷は正子の眼を意識して創作と向き合うようになりますが、次の小説『鹽壺の匙』が出来たのは、七年後。すぐに正子から、ずっと待っていた由の手紙が届いたといいます。以来、車谷の文章は、すべて、第一の読者として、白洲正子を念頭に置いたものでした。掲句の季語「蚯蚓(みみず)鳴く」は、秋に地虫が鳴く音を、古人は蚯蚓が鳴くと思い込んでいたことに由来します。車谷は、この鳴く音を今、聞いていることによって、冥土の正子とつながっています。そして、新作を正子に手向け、挑んでいる。「さあ、ご覧ください。」車谷は、追悼文をこう締めています。「白洲正子の文章は、剣術に譬えるならば攻めだけがあって受け太刀のない、薩摩示現流のごときものであって、一瞬のうちに対象の本質を見抜いてしまう目そのものだった。」死してなお、師とつながり戦う、僥倖の句です。『蜘蛛の巣』(2009)所収。(小笠原高志)


September 1592014

 毎日が老人の日の飯こぼす

                           清水基吉

日は「敬老の日」だが、「老人の日」でもある。前者は国民の祝日、こちらは第三月曜日と法律で決まっている。「老人の日」はその前の祝日であったが、この日を移動祝日化するにあたって「移動」に全国の老人クラブなどの反対の声が高かったため、時の政府は苦肉の策として2001年(平成13年)の祝日法改正の際、同時に「老人福祉法」も改正し、2003年(平成15年)から国民の祝日である「敬老の日」を9月第3月曜日に変更するかわりに、2002年(平成14年)から9月15日を祝日ではない「老人の日」、9月15日〜21日の1週間を「老人週間」として、法律で定めることにしたのだった。「敬老の日」と「老人の日」とでは、大きく意味が異なる。句のように「老人の日」の主体は「老人」であるが、「敬老の日」のそれは老人には満たない年代の人々である。「飯こぼす」はよく見かける光景だが、当人は決してぼんやりしていたりするからではなく、注意はしていても止むを得ず「こぼす」結果になることを恥辱だとも思い、自身への怒りでもあるところが、なんとも切なくて辛い。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


September 1692014

 嘘も厭さよならも厭ひぐらしも

                           坊城俊樹

いぶん長く居座った夏の景色もどんどん終わっていく。盛んなものが衰えに向かう時間は、いつでも切ない思いにとらわれる。他愛ない嘘も、小さなさよならも、人生には幾度となく繰り返されるものだ。ひぐらしのかぼそい鳴き声が耳に残る頃になると、どこか遠くに追いやっていたはずのなにかが心をノックする。厭の文字には、嫌と同意の他に「かばう、大事にする、いたわる」などの意味も併せ持つ。嘘が、さよならが、ひぐらしが、小さなノックは徐々に大きな音となって作者の心を占めていく。〈みみず鳴く夜は曉へすこしづつ〉〈空ばかり見てゐる虚子の忌なりけり〉『坊城俊樹句集』(2014)所収。(土肥あき子)


September 1792014

 地球も命も軽しちんちろりん

                           正津 勉

いころ読んだ開高健の『太った』という小説のなかに、「地球が重い重いと言いながら、太ったやないか」と相手を咎めるセリフがあった。もう何十年も忘れることができないでいる言葉である。今も昔も「地球」や「命」は、何よりも貴重だったこと、言うも愚かしい。それらが年々歳々ふわりふわりと軽いものになり、国の内外を問わず危うい状況を呈しつつある。とりわけ近年はどうだい! そのことをいちいち今述べるまでもあるまい。これでは「地球」も「命」も、いつまで安穏としていられるか知れたものではない。草むらでしきりに鳴いているちんちろりん(松虫)に、地球も人も呆れられ嘲笑されても仕方がない。「……軽しちんちろりん」がせつなく身にこたえる。俳味たっぷり風流になど、秋の虫を詠んでなどいられないということ。「ちんちろりん」は『和漢三才図絵』には「鳴く声知呂林古呂林」とある。勉の「虫の秋」五句のうちの一句。他に「がちやがちや我は地球滅亡狂」という句が隣にならぶ。勉らしい詠みっぷり。「榛名団」11号(2014)所載。(八木忠栄)


September 1892014

 運動会静かな廊下歩きをり

                           岡田由季

の頃の学校はいつ運動会をしているのだろう? むかし運動会と言えば秋だったけど、この頃は残暑が厳しく熱中症になる危険があるので、9月の運動会は少なくなっているのかもしれない。さて、運動場は応援の声や競技の進行で沸き立つようなのに「ちょっとトイレ」と入る校内の廊下は人気なくしんと静まり返っている。「運動会」と言えば思い浮かべるシーンと少し外れた視点から掲載句は詠まれている。きっと誰もが経験しておるが、気にも留めないで通り過ぎてしまう出来事だろう。そんな場面に目を向けて言葉で丁寧に掬い取っている。ひたひたと歩く自分の足音と、時折ワーッとわき立つ遠くの歓声まで聞こえてきそうだ。『犬の眉』(2014)所収。(三宅やよい)


September 1992014

 鵙の贄罪ある者をさらすごと

                           鈴木真砂女

は九月も中旬になると枯枝や電線にとまって尾をまわすように動かしながらキイキイッ!と甲高く鳴き始める。秋の縄張り宣言の高鳴きである。また他の鳥の声を真似すると言われ百舌鳥とも表記される。餌は高い枝などから地上のえものを探しさっと降下して捕食する。また捕えたものを小枝や鉄条網に刺しておく習性がありこれを鵙の贄と呼ばれている。枯枝に蛙や昆虫がひからびて刺っていたら鵙の贄と思えばよい。訳も分からずこんなものを見れば罪人が縛られてさらし者になっている河原へと連想が導かれる。小生も日々忸怩たる生活に多少の罪の意識を負って生きていますが、表向きはしらっとした顔をさらしつつ歩いています。面目無い事でございます。『紫木蓮』(1998)所収。(藤嶋 務)


September 2092014

 葛の葉の吹きしづまりて葛の花

                           正岡子規

ず香りで気づくことが多い葛の花。成長期には一日数十センチメートルも伸びるというから強烈な生命力である。掲出句は、これが葛の花よ、と教わったとき一緒に教えられた句でその時は、ふーん、と聞き流してしまったように思うのだが、秋になって葛の花に出会うたびに心に浮かんで、気がつくと愛誦句となっていた。群生する大きな葛の葉を吹き渡る秋風、その風が止んだ後いつまでも残る花の香りが余韻となって続く。静かな句ほど印象深いということもあるのだろう。昨日九月十九日は子規忌日、秋に生まれ秋に逝った子規である。『花の大歳時記』(1990・講談社)所載。(今井肖子)


September 2192014

 ちちろ鳴く壁に水位の黴の華

                           神蔵 器

和57年9月12日。台風18号の影響で、都内中野区の神田川が氾濫。作者は、この時の実景を15句の連作にしています。「秋出水螺旋階段のぼりゆく」「秋出水渦の芯より膝をぬき」都市にいて、水害に遭う恐怖は、底知れなさにあるでしょう。膝をぬくことで、一命をとりとめた安堵もあります。「鷺となる秋の出水に脛吹かれ」水中に立つ自身を鷺にたとえています。窮地を脱して少し余裕も。「炊出しのむすびの白し鳥渡る」何はともあれ、白いおむすびを食べて人心地がつきます。「しづくせる書を抱き秋の風跨(また)ぐ」家の中も浸水していて、まずは水に浸かった愛蔵書を救出。「出水引くレモンの色の秋夕日」レモンの色とは、希望の色だろうか。オレンジ色よりも始まりそうな色彩です。「畳なきくらしの十日萩の咲く」「罹災証明祭の中を来て受けぬ」。掲句は、この句の前に配置されています。「ちちろ」はコオロギのこと。「壁に水位の黴の華」というところに、俳人の意地をみます。凡人なら、「黴の跡」とするでしょう。しかし、作者は「華」として、あくまでも水害の痕跡を風雅に見立てます。水害を題材にして俳句を作るということは、体験から俳句を選び抜くことでもあるのでしょう。そこには自ずと季語も含まれていて、作者自身も季節の中の点景として、余裕をもって描かれています。『能ケ谷』(1984)所収。(小笠原高志)


September 2292014

 落葉して地雷のごとき句を愛す

                           矢島渚男

き寄せられた落葉。こんもりとしていて、その上を歩くとクッションが効いているので足裏に心地よい。そんな情感を詠んだ句ならヤマほどありそうだが、作者は想像力を飛ばしてもう一歩も二歩も踏み込んでいる。積もった落葉の下には、何があるのだろうか。もちろん、土がある。ならばその土の下には何が埋まっているのだろうかと貪欲である。有名な「櫻の樹の下には屍体が埋まつてゐる」ではないけれど、作者はそこに地雷が存在すると想像した。そして地中の地雷は、いわば冷たく逆上しながらも、あくまでも静かに爆発の時を待ちかまえている。と、ここまで連想が至ったときに、自分の好きな句はそんな地雷のような構造を持った句なのだと閃いた。つまりこのときに作者の作家魂は、とつぜん地雷と化したに違いなく、だからここで「地雷のごとき句」と言っているのは、何某作の句という具体的なものではなくて、そんな気概を込めた未来の自作を指しているのだと思った。『延年』(2003)所収。(清水哲男)


September 2392014

 九月の風さわわセブンスターの木

                           酒井弘司

海道美瑛町の観光スポットには、タバコのセブンスターのパッケージに採用されたことから「セブンスターの木」と呼ばれる柏の木がある。セブンスターといえば、シルバーの星小紋のなかに金色の星が7の数字をかたどったパッケージが思い浮かぶが、JTが専売公社だった1976年、特別包装タバコとして地域限定で販売されていたものがあったらしい。しかし、紹介する美瑛町にも、販売元のJTにも、箱の実物もなければ写真もなく、インターネットのどこを探してもセブンスターの木がプリントされているパッケージを見つけることはできなかった。38年という歳月は商品をすっかり過去のものとしてしまったが、大樹はそのままの姿を保ち続ける。じゃがいも畑が続く丘陵の頂上付近に枝を広げた美しい木は、今までも、これからも変わらず、豊饒のときが来たことを知らせるように、風が通り抜けるたび、さわわさわわと葉を鳴らす。ところで、同集には〈裏妙義みどりを吸って一夜寝る〉が収められており、てっきり「みどり」という名のたばこを一服したのかと思ってしまったが、すぐに「わかば」と勘違いしていることと、みどりは季題であったと気づき赤面した。それにしても「わかば」や「いこい」などの名称は、タバコが息抜きや気分転換などを象徴していた名であったと思い、時代の変遷をあらためて思うのだった。『谷戸抄』(2014)所収。(土肥あき子)


September 2492014

 京に二日また鎌倉の秋憶ふ

                           夏目漱石

石の俳句については、ここで改めて云々する必要はあるまい。掲句は漱石の未発表句として、「朝日新聞」(2014.8.13)に大きくとりあげられていたもの。記事によると、明治30年8月23日付で正岡子規に送った書簡に付された九句のうち、掲句を含む二句が未発表だという。当時、熊本で先生をしていた漱石が帰京して、根岸の子規庵での句会に参加した。この書簡は翌日子規に届けられたもの。そのころ妻鏡子は体調を崩し、鎌倉の別荘で療養していた。前書には「愚妻病気 心元なき故本日又鎌倉に赴く」とある。東京に二日滞在して句会もさることながら、秋の鎌倉で療養している妻を案じているのであろう。療養ゆえ、秋の「鎌倉」がきいているし、妻を思う漱石の心がしのばれる。未発表のもう一句は「禅寺や只秋立つと聞くからに」。こちらは前書に「円覚寺にて」とある。同じ年、妻を残して熊本へ行く際、漱石が詠んだ句「月へ行く漱石妻を忘れたり」は、句集に収められている。(八木忠栄)


September 2592014

 呼んで応へぬ執事さながら秋の雲

                           筑紫磐井

の雲春の雲。「雲」といっても季節によって様相が変わることを俳句を始めて意識するようになった。そして私が気づくことなどたいていは季語の本意としてとうの昔に詠み込まれており、そこをどうずらすかが勝負どころだろう。もちろんそのずらし方にその作者のものの見方や俳句の捉え方が現れるというもの。掲載句では、澄み切った秋晴れの空にポッカリと動かぬ雲を「執事さながら」と形容する。平凡な日常からは遠く、ちょいと気取った職業を見立てたところが面白い。執事は主人には献身的に尽くすが外部の人間には取り澄まして冷たい。冷ややかな白さで空に浮かぶ白雲は「おーい雲」と呼びかける人間なんてまったく無視ナノダ。『我が時代』(2014)所収。(三宅やよい)


September 2692014

 雁や農夫短き畝立てて

                           坂石佳音

方で繁殖した雁(かりがね)は十月の声を聞く頃渡来する。この飛び方は少し離れた先頭の一羽に従い竿になり鍵状になりつつ直線に飛んで行く。わが縦長の列島の空を渡る頃農事は秋から冬の備えに入る。冬の農地は自給自足の分の収穫で足りる。農夫はその分の短い畝を立ててゆく。地道な生活が暦にそって一つ一つと営まれて行く。その頭上大空をやはり例年の如くに竿になり鍵になって雁が渡って来る。雁は目的地に到着し翌春帰るまでは主として湖沼に群棲している。大らかな自然の下で暮らしは小さく地道にねと農夫は教わっている。『続続へちまのま』(2011)所載。(藤嶋 務)


September 2792014

 豊年の畦といふ畦隠れけり

                           若井新一

米が味わえるうれしい季節、電車で少し遠出をすればまさに黄金色の稲田が車窓のそこここに広がっている。農業技術が進歩し、全てお天道様頼みだった昔と違い豊年と凶年の差はさほどなくなっているかもしれないが、食べる一方で米作りの苦労を知らない身でも、豊年、豊の秋、という言葉には喜びを感じる。この句の作者は新潟生まれ、句集『雪形』(2014)のあとがきには「日本でも屈指の豪雪地帯で、魚沼コシヒカリを作っている」とある。<畦々の立ち上がりたる雪解かな ><土の色出で尽したる代田掻 ><霊峰や十指せはしき田草取 ><かなたまで茎まつすぐに稲の花 >。日々の実感から生まれる確かな句。ことに掲出句の視線の高さは、大地に立ち一面に実った稲田を見渡している者ならでは、見えない畦を詠むことで一面の稲穂が見える。早春、雪が解けてやっと立ち上がった畦が見えなくなるほどの今の実りを前にしている感慨、ここには豊年の言葉が生きている。(今井肖子)


September 2892014

 綾取りの綾なす吾の暮しかな

                           茂木房子

という言葉が気になっていました。先日、野球解説者の吉田義男が、「タイガースはここで勝負のアヤをつける必要がありますね」と言ったのにひっかかり、そういえば将棋の解説でも、「ここはちょっと玉頭にアヤをつけておきますか」というようなことを耳にします。洒落た言い方ですが、その本義が不明でした。大漢和では、「浮き出た感じに模様を織り込んだ薄い絹布。光る部分と光らない部分を織り出している絹織物」とあり、絹布の装飾ということがわかりました。「ことばの綾」という使われ方は、この本義から派生した用法でしょう。また、「あや織り」は、経(たて)糸と緯(よこ)糸の布面に斜めのすじを織り出した布のことを言い、糸が錯綜して模様を作っている状態です。野球や将棋の解説で使われる「アヤ」は、局面が硬直していたり劣勢のときに、正攻法とは違った角度から打開する手だてのことを言うのでしょう。こんなことを踏まえて掲句を読むと、「綾取りの綾なす暮し」が、巧みな生き方であることがわかります。綾取りは、糸が構成する平面や立体を二人が交互に何通りか繰り返す遊びです。これは、お互いにパターンを共有していなければ遊びが続きません。「吾の暮し」では、相手と互いに向き合い続けてやりとりしていることが前提となります。それは、時に二人の間に絡みついた糸のほつれをほどくことでもあるのでしょう。また、新たに糸を張ることでもあるでしょう。この巧みに綾なす生き方は、四季を通しておこなわれており、ゆえに季語はありません。『モネの絵』(2006)所収。(小笠原高志)


September 2992014

 人知れず秋めくものに切手帳

                           西原天気

の回転のはやい人なら、「秋」を「飽き」にかけて読んでしまうかもしれない。それでも誤読とまでは言えないが、なんだか味気ない読みになってしまう。どこにも「飽き」なんて書いてない。「秋」はあくまでも「秋」である。中学時代、私もいっぱしの(つもり)の切手コレクターであった。半世紀以上経たいまでも、切手専用のピンセットのことや貼り付けるためのヒンジ、ストックブック(切手帳)ならドイツ・ライトハウス社製の重厚な感触など、いろいろと思い出すことができる。なけなしの小遣いをはたいて切手の通信販売につぎ込み、カタログを睨んで一点ずつ集めていたころが懐かしい。そうした熱気の頃を夏とすれば、やがて訪れてくるのは「秋」である。この時季にさしかかると、さながら充実した木の実が木を離れてゆくように、切手への興味が薄れていく。飽きるからではなく、実りが過剰になるからなのだ。つまり「人知れず秋めく」わけだが、この感覚はコレクターを体験しないとわからないかもしれないな。「はがきハイク」(第10号・2014年9月)所載。(清水哲男)


September 3092014

 間取図のコピーのコピー小鳥来る

                           岡田由季

越先の部屋の間取りを見ながら、新しい生活をあれこれと想像するのは楽しいものだ。しかし、作者の手元にあるのはコピーをコピーしたらしきもの。その部分的にかすれた線や、読みにくい書き込みは、真新しい生活にふさわしくない。しかし、作者は大空を繰り返し渡ってくる小鳥の姿を取り合わせることで、そこに繰り返された時間を愛おしむ気持ちを込めた。引越しによって、なにもかもすべてがリセットされるわけではない現実もじゅうぶん理解しつつ、それでもなお新しい明日に希望を抱く作者の姿が現れる。図面といえば、以前は図面コピーの多くは青焼きだった時代があった。青空を広げたような紙のしっとりと湿り気をおびた感触と、現像液のすっぱい匂いをなつかしく思い出している。〈箒木の好きな大きさまで育つ〉〈クリスマスケーキの上が混雑す〉『犬の眉』(2014)所収。(土肥あき子)




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