締切りはあるし、風邪は抜けないし…。無茶苦茶でござりまするわ。(哲




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September 0492014

 十五夜の覗いてみたき鳥の夢

                           岡本紗矢

年の十五夜は例年より早く来週の月曜9月8日だという。きっとその日は澄み切った中秋の名月が煌々と夜空に上がることだろう。鳥たちは木々に宿りどのような夢を見ているのか。犬などは眠りながら小さくほえていることがある。犬の夢に出てくる犬は昼間すれ違った犬?近所の気になるカワイコちゃんだろうか。鳥の夢は空飛ぶ鳥の視界に入る地上の風景だろうか。掲載句では「覗いてみたき」と鳥の夢の内部に踏み込んでゆく言葉が魅力的。夜空に照る満月が違う世界が見える覗き穴のようにも思えてくる。十五夜の鳥の夢、月を通せばそんな不思議も覗ける気がする。『向日葵の午後』(2014)所収。(三宅やよい)


September 0392014

 内股(うちもも)に西瓜のたねのニヒリズム

                           武田 肇

句を含む句集『同異論』(2014)は、作者がイタリア、スペイン、ギリシアなどを訪れた約二年間に書かれた俳句を収めた、と「あとがき」に記されている。したがって、その海外旅行中に得られた句である可能性もあるが、そうと限ったものでもあるまい。西瓜は秋の季語だけれども、まだ暑い季節だから内股を露出している誰か、その太い内股に西瓜の黒いタネが付着しているのを発見したのであろう。濃いエロチシズムを放っている。国内であるか海外であるかはともかくとして、その「誰か」が女性であるか男性であるかによって、意味合いも鑑賞も異なったものになるだろう。「ニヒリズム」という言葉の響きからして、男性の太ももに付着したタネを、男性が発見しているのではあるまいか、と私は解釈してみたい。でも、白くて柔らかい「内股に…たね」なら女性がふさわしいだろうし、むずかしい。作者はそのあたりを読者に任せ、敢えて限定していないフシもある。おもしろい。「西瓜のたねのニヒリズム」という表現は大胆であり、したたかである。同じ句集中に「ニヒリズム咲かぬ櫻と來ぬ人と」「ニヒリズム春の眞裏に花と人」がある。著者七冊目の句集にあたる。(八木忠栄)


September 0292014

 森密に満月入れるほどの隙

                           坂口匡夫

の語源が「盛り」であるように、木が密集している場所を意味する。夜とはいわず、昼でさえ暗いような場所にあって、満月が光りをこぼす。闇のなかであるからこそ、わずかな光りがひときわ明るく見えるのだが、そのあまりの美しさに、まるで重なり合う木々がおのずから月光を通すために隙間を作っているように感じられるのだ。来週が満月となる今宵はちょうど半分の月。森の木々があっちに詰めたり、こっちに身を寄せたりして、満月の居場所を作っているところだろう。〈月の歌唄ひつつゆく子に無月〉〈鰯雲忘るる刻がきて忘る〉『沖舟』(1975)所収。(土肥あき子)




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