締切りはあるし、風邪は抜けないし…。無茶苦茶でござりまするわ。(哲




2014ソスN9ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0592014

 いぶしたる爐上の燕帰りけり

                           河東碧梧桐

葺の古民家が目に浮かびます。真っ黒に煤けた大黒柱があって爐(いろり)があってボンボン時計がある。そんな爐上に何故だか燕が巣を作った。成り行きながら雛がかえって巣立ちもした。この家の者も愛しみの眼差しを向けて日々雛の成長を楽しみにする。時々寝言で鳴く「土食って渋ーい、渋ーい」に寝付かれぬ夜もある。何匹かの子燕の特徴を識別して名前など付けてしまう。そして燕たちが自分の家族とも思はれて来る頃その日は来る。見知らぬ遠い国へ旅立ってしまうのだ。後にはぽかんとした空の巣がそこにあるだけ。誰にでもやって来るその日はある。『碧梧桐句集』(1920)所収。(藤嶋 務)


September 0492014

 十五夜の覗いてみたき鳥の夢

                           岡本紗矢

年の十五夜は例年より早く来週の月曜9月8日だという。きっとその日は澄み切った中秋の名月が煌々と夜空に上がることだろう。鳥たちは木々に宿りどのような夢を見ているのか。犬などは眠りながら小さくほえていることがある。犬の夢に出てくる犬は昼間すれ違った犬?近所の気になるカワイコちゃんだろうか。鳥の夢は空飛ぶ鳥の視界に入る地上の風景だろうか。掲載句では「覗いてみたき」と鳥の夢の内部に踏み込んでゆく言葉が魅力的。夜空に照る満月が違う世界が見える覗き穴のようにも思えてくる。十五夜の鳥の夢、月を通せばそんな不思議も覗ける気がする。『向日葵の午後』(2014)所収。(三宅やよい)


September 0392014

 内股(うちもも)に西瓜のたねのニヒリズム

                           武田 肇

句を含む句集『同異論』(2014)は、作者がイタリア、スペイン、ギリシアなどを訪れた約二年間に書かれた俳句を収めた、と「あとがき」に記されている。したがって、その海外旅行中に得られた句である可能性もあるが、そうと限ったものでもあるまい。西瓜は秋の季語だけれども、まだ暑い季節だから内股を露出している誰か、その太い内股に西瓜の黒いタネが付着しているのを発見したのであろう。濃いエロチシズムを放っている。国内であるか海外であるかはともかくとして、その「誰か」が女性であるか男性であるかによって、意味合いも鑑賞も異なったものになるだろう。「ニヒリズム」という言葉の響きからして、男性の太ももに付着したタネを、男性が発見しているのではあるまいか、と私は解釈してみたい。でも、白くて柔らかい「内股に…たね」なら女性がふさわしいだろうし、むずかしい。作者はそのあたりを読者に任せ、敢えて限定していないフシもある。おもしろい。「西瓜のたねのニヒリズム」という表現は大胆であり、したたかである。同じ句集中に「ニヒリズム咲かぬ櫻と來ぬ人と」「ニヒリズム春の眞裏に花と人」がある。著者七冊目の句集にあたる。(八木忠栄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます