September 122014
椋百羽飛んで田の神おどろかす
岩田ふみ子
田の神は、日本の農耕民の間で、稲作の豊凶を見守り、稲作の豊穣をもたらすと信じられてきた神である。水神様とも言われる田の神で、脇では農家がお昼なんかをして長閑である。椋鳥は留鳥として市街地や村落に普通にいる。秋から冬には群れで行動し夕方ねぐらでは何万羽という大群になることがある。長い列島では稔りの盛期の所も刈入れ中の所も刈入れが済んだところもあろう。そんな大和まほろばの田んぼに突如として椋の大群が襲った。広大な田んぼを前に驚いているのはただ水神様一人。悠久の空には細やかな秋の雲がずっと広がっている。椋一群は空に沁みて消えてしまった。『文鳥』(2014)所収。(藤嶋 務)
September 112014
涼新た卓布に木の匙木のナイフ
工藤 進
このテーブルクロスは真っ白に洗い上げた白のリネンでパリッとアイロンが当たっていそう。その上に揃えてある木の匙と木のナイフは手の温もりが感じられる。このテーブルに集う人から新たな物語が始まりそうだ。「涼し」はたまらない暑さにふっと感じる涼気だけれど、「新涼」は日常的に爽やかさな空気が感じられること。日差しはまだ強くとも、朝晩の涼気は秋のものだ。掲載句では物と物との質感の対比がくっきりしていて「涼新た」という爽やかな言葉を生かしている。ひんやりとした空気に、本格的な秋の訪れを感じる頃、こんな食卓で景色を眺めながらゆったりと食事をしてみたい。『ロザリオ祭』(2014)所収。(三宅やよい)
September 102014
どの家もまだ起きてゐる良夜かな
宮田重雄
月がとても素晴らしく良い夜だから、良夜。おもに十五夜をさす。今年九月の満月は暦の上では昨九日だった。良い月が出ている夜は、すぐに寝てしまうのがどこかしらもったいない気がする。だから夜遅くまで人は思い思いに起きている。集合住宅ではなかなかその実感はわかない。涼しくなった時季に縁側や庭で月の光のもと、何やかやとぐずぐずと時間を過ごしていたいのは、一般的に人間の自然な気持ちかもしれない。「徒然草」に「八月十五日、九月十三日は、婁宿なり。この宿、清明なるゆゑに、月を翫ぶに良夜とす。」とある。「月を翫(もてあそ)ぶ」などという味わい深い言葉は、もう私たちの日常からは遠い言葉になってしまった。宮田重雄を知っている人は今や少なくなっただろう。画家であり医者さんだった。むかしNHKの人気番組「二十の扉」のレギュラー回答者だった、という記憶が残っている。福田蓼汀の句に「生涯にかかる良夜の幾度か」がある。なるほど実感であろう。平井照敏編『新歳時記・秋』(1996)所収。(八木忠栄)
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