咳がまったく出なくなった。長い風邪だった。さて、体力の復活を。(哲




2014ソスN9ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1392014

 まづ月を見よと遅れて来し人に

                           安原 葉

京の十五夜はあいにくの天気だったが、九月九日十六夜の満月は美しかった。その夜は雑居ビルの一角でがやがやと過ごしていたが、八時を回ったころから入れ替わり立ち替わり連れ立っては月を見に表に出た。まさに月の友であるが、ビルの壁と壁の間の狭い空に見える月もなかなかいいね、などと言い合いながら数人で空を見上げてぼーっとただ立っている様は、傍から見ればやや不審だったかもしれない。俳句に親しむ人々はことに月に敏感で月を好む。掲出句も佳い月の出ている夜の句会での一句だろう。句意は一読してわかりやすいものだが即吟と思われ、省略の効いた言葉で一場面を切りとることで、句座の親しさとその夜の月の輝きを思わせる。『生死海(しょうじかい)』(2014)所収。(今井肖子)


September 1292014

 椋百羽飛んで田の神おどろかす

                           岩田ふみ子

の神は、日本の農耕民の間で、稲作の豊凶を見守り、稲作の豊穣をもたらすと信じられてきた神である。水神様とも言われる田の神で、脇では農家がお昼なんかをして長閑である。椋鳥は留鳥として市街地や村落に普通にいる。秋から冬には群れで行動し夕方ねぐらでは何万羽という大群になることがある。長い列島では稔りの盛期の所も刈入れ中の所も刈入れが済んだところもあろう。そんな大和まほろばの田んぼに突如として椋の大群が襲った。広大な田んぼを前に驚いているのはただ水神様一人。悠久の空には細やかな秋の雲がずっと広がっている。椋一群は空に沁みて消えてしまった。『文鳥』(2014)所収。(藤嶋 務)


September 1192014

 涼新た卓布に木の匙木のナイフ

                           工藤 進

のテーブルクロスは真っ白に洗い上げた白のリネンでパリッとアイロンが当たっていそう。その上に揃えてある木の匙と木のナイフは手の温もりが感じられる。このテーブルに集う人から新たな物語が始まりそうだ。「涼し」はたまらない暑さにふっと感じる涼気だけれど、「新涼」は日常的に爽やかさな空気が感じられること。日差しはまだ強くとも、朝晩の涼気は秋のものだ。掲載句では物と物との質感の対比がくっきりしていて「涼新た」という爽やかな言葉を生かしている。ひんやりとした空気に、本格的な秋の訪れを感じる頃、こんな食卓で景色を眺めながらゆったりと食事をしてみたい。『ロザリオ祭』(2014)所収。(三宅やよい)




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