すっかり秋。でも、今日は最後の夏日になるかも…。(哲




2014ソスN9ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1692014

 嘘も厭さよならも厭ひぐらしも

                           坊城俊樹

いぶん長く居座った夏の景色もどんどん終わっていく。盛んなものが衰えに向かう時間は、いつでも切ない思いにとらわれる。他愛ない嘘も、小さなさよならも、人生には幾度となく繰り返されるものだ。ひぐらしのかぼそい鳴き声が耳に残る頃になると、どこか遠くに追いやっていたはずのなにかが心をノックする。厭の文字には、嫌と同意の他に「かばう、大事にする、いたわる」などの意味も併せ持つ。嘘が、さよならが、ひぐらしが、小さなノックは徐々に大きな音となって作者の心を占めていく。〈みみず鳴く夜は曉へすこしづつ〉〈空ばかり見てゐる虚子の忌なりけり〉『坊城俊樹句集』(2014)所収。(土肥あき子)


September 1592014

 毎日が老人の日の飯こぼす

                           清水基吉

日は「敬老の日」だが、「老人の日」でもある。前者は国民の祝日、こちらは第三月曜日と法律で決まっている。「老人の日」はその前の祝日であったが、この日を移動祝日化するにあたって「移動」に全国の老人クラブなどの反対の声が高かったため、時の政府は苦肉の策として2001年(平成13年)の祝日法改正の際、同時に「老人福祉法」も改正し、2003年(平成15年)から国民の祝日である「敬老の日」を9月第3月曜日に変更するかわりに、2002年(平成14年)から9月15日を祝日ではない「老人の日」、9月15日〜21日の1週間を「老人週間」として、法律で定めることにしたのだった。「敬老の日」と「老人の日」とでは、大きく意味が異なる。句のように「老人の日」の主体は「老人」であるが、「敬老の日」のそれは老人には満たない年代の人々である。「飯こぼす」はよく見かける光景だが、当人は決してぼんやりしていたりするからではなく、注意はしていても止むを得ず「こぼす」結果になることを恥辱だとも思い、自身への怒りでもあるところが、なんとも切なくて辛い。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


September 1492014

 蚯蚓鳴く冥土の正子と一ト戦さ

                           車谷長吉

書に「白洲正子さまを偲んで」とあります。白洲正子が亡くなって一週間後、車谷は、「魂の師」が逝ってしまった悲しみを新聞に掲載しています。白洲正子を端的に言ったのは、青山二郎の「韋駄天のお正」でしょう。幼少の頃から能を習い、女性として初めて舞台に上がった正子は、能面を見る審美眼を骨董と古美術にも広げていき、近畿、とくに近江の古仏を探訪した『かくれ里』の足跡は、正子の眼によって、ひっそりと隠れていた山里の神社や寺、古い石仏たちを多くの日本人に開示してくれました。正子の目利きはさいわいに、無名の車谷長吉が『新潮』に掲載した『吃りの父が歌った軍歌』を見つけます。そして、一つの才能を発見した喜びに満ちた手紙を墨筆で車谷に届けました。それ以来、車谷は正子の眼を意識して創作と向き合うようになりますが、次の小説『鹽壺の匙』が出来たのは、七年後。すぐに正子から、ずっと待っていた由の手紙が届いたといいます。以来、車谷の文章は、すべて、第一の読者として、白洲正子を念頭に置いたものでした。掲句の季語「蚯蚓(みみず)鳴く」は、秋に地虫が鳴く音を、古人は蚯蚓が鳴くと思い込んでいたことに由来します。車谷は、この鳴く音を今、聞いていることによって、冥土の正子とつながっています。そして、新作を正子に手向け、挑んでいる。「さあ、ご覧ください。」車谷は、追悼文をこう締めています。「白洲正子の文章は、剣術に譬えるならば攻めだけがあって受け太刀のない、薩摩示現流のごときものであって、一瞬のうちに対象の本質を見抜いてしまう目そのものだった。」死してなお、師とつながり戦う、僥倖の句です。『蜘蛛の巣』(2009)所収。(小笠原高志)




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