秋ですね。(哲




2014ソスN9ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1892014

 運動会静かな廊下歩きをり

                           岡田由季

の頃の学校はいつ運動会をしているのだろう? むかし運動会と言えば秋だったけど、この頃は残暑が厳しく熱中症になる危険があるので、9月の運動会は少なくなっているのかもしれない。さて、運動場は応援の声や競技の進行で沸き立つようなのに「ちょっとトイレ」と入る校内の廊下は人気なくしんと静まり返っている。「運動会」と言えば思い浮かべるシーンと少し外れた視点から掲載句は詠まれている。きっと誰もが経験しておるが、気にも留めないで通り過ぎてしまう出来事だろう。そんな場面に目を向けて言葉で丁寧に掬い取っている。ひたひたと歩く自分の足音と、時折ワーッとわき立つ遠くの歓声まで聞こえてきそうだ。『犬の眉』(2014)所収。(三宅やよい)


September 1792014

 地球も命も軽しちんちろりん

                           正津 勉

いころ読んだ開高健の『太った』という小説のなかに、「地球が重い重いと言いながら、太ったやないか」と相手を咎めるセリフがあった。もう何十年も忘れることができないでいる言葉である。今も昔も「地球」や「命」は、何よりも貴重だったこと、言うも愚かしい。それらが年々歳々ふわりふわりと軽いものになり、国の内外を問わず危うい状況を呈しつつある。とりわけ近年はどうだい! そのことをいちいち今述べるまでもあるまい。これでは「地球」も「命」も、いつまで安穏としていられるか知れたものではない。草むらでしきりに鳴いているちんちろりん(松虫)に、地球も人も呆れられ嘲笑されても仕方がない。「……軽しちんちろりん」がせつなく身にこたえる。俳味たっぷり風流になど、秋の虫を詠んでなどいられないということ。「ちんちろりん」は『和漢三才図絵』には「鳴く声知呂林古呂林」とある。勉の「虫の秋」五句のうちの一句。他に「がちやがちや我は地球滅亡狂」という句が隣にならぶ。勉らしい詠みっぷり。「榛名団」11号(2014)所載。(八木忠栄)


September 1692014

 嘘も厭さよならも厭ひぐらしも

                           坊城俊樹

いぶん長く居座った夏の景色もどんどん終わっていく。盛んなものが衰えに向かう時間は、いつでも切ない思いにとらわれる。他愛ない嘘も、小さなさよならも、人生には幾度となく繰り返されるものだ。ひぐらしのかぼそい鳴き声が耳に残る頃になると、どこか遠くに追いやっていたはずのなにかが心をノックする。厭の文字には、嫌と同意の他に「かばう、大事にする、いたわる」などの意味も併せ持つ。嘘が、さよならが、ひぐらしが、小さなノックは徐々に大きな音となって作者の心を占めていく。〈みみず鳴く夜は曉へすこしづつ〉〈空ばかり見てゐる虚子の忌なりけり〉『坊城俊樹句集』(2014)所収。(土肥あき子)




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