どうなるかスコットランド。いずれにしても大きなしこりは残る。(哲




2014ソスN9ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1992014

 鵙の贄罪ある者をさらすごと

                           鈴木真砂女

は九月も中旬になると枯枝や電線にとまって尾をまわすように動かしながらキイキイッ!と甲高く鳴き始める。秋の縄張り宣言の高鳴きである。また他の鳥の声を真似すると言われ百舌鳥とも表記される。餌は高い枝などから地上のえものを探しさっと降下して捕食する。また捕えたものを小枝や鉄条網に刺しておく習性がありこれを鵙の贄と呼ばれている。枯枝に蛙や昆虫がひからびて刺っていたら鵙の贄と思えばよい。訳も分からずこんなものを見れば罪人が縛られてさらし者になっている河原へと連想が導かれる。小生も日々忸怩たる生活に多少の罪の意識を負って生きていますが、表向きはしらっとした顔をさらしつつ歩いています。面目無い事でございます。『紫木蓮』(1998)所収。(藤嶋 務)


September 1892014

 運動会静かな廊下歩きをり

                           岡田由季

の頃の学校はいつ運動会をしているのだろう? むかし運動会と言えば秋だったけど、この頃は残暑が厳しく熱中症になる危険があるので、9月の運動会は少なくなっているのかもしれない。さて、運動場は応援の声や競技の進行で沸き立つようなのに「ちょっとトイレ」と入る校内の廊下は人気なくしんと静まり返っている。「運動会」と言えば思い浮かべるシーンと少し外れた視点から掲載句は詠まれている。きっと誰もが経験しておるが、気にも留めないで通り過ぎてしまう出来事だろう。そんな場面に目を向けて言葉で丁寧に掬い取っている。ひたひたと歩く自分の足音と、時折ワーッとわき立つ遠くの歓声まで聞こえてきそうだ。『犬の眉』(2014)所収。(三宅やよい)


September 1792014

 地球も命も軽しちんちろりん

                           正津 勉

いころ読んだ開高健の『太った』という小説のなかに、「地球が重い重いと言いながら、太ったやないか」と相手を咎めるセリフがあった。もう何十年も忘れることができないでいる言葉である。今も昔も「地球」や「命」は、何よりも貴重だったこと、言うも愚かしい。それらが年々歳々ふわりふわりと軽いものになり、国の内外を問わず危うい状況を呈しつつある。とりわけ近年はどうだい! そのことをいちいち今述べるまでもあるまい。これでは「地球」も「命」も、いつまで安穏としていられるか知れたものではない。草むらでしきりに鳴いているちんちろりん(松虫)に、地球も人も呆れられ嘲笑されても仕方がない。「……軽しちんちろりん」がせつなく身にこたえる。俳味たっぷり風流になど、秋の虫を詠んでなどいられないということ。「ちんちろりん」は『和漢三才図絵』には「鳴く声知呂林古呂林」とある。勉の「虫の秋」五句のうちの一句。他に「がちやがちや我は地球滅亡狂」という句が隣にならぶ。勉らしい詠みっぷり。「榛名団」11号(2014)所載。(八木忠栄)




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