♪きょうもいい天気。でも、今日までらしい。(哲




2014ソスN9ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2392014

 九月の風さわわセブンスターの木

                           酒井弘司

海道美瑛町の観光スポットには、タバコのセブンスターのパッケージに採用されたことから「セブンスターの木」と呼ばれる柏の木がある。セブンスターといえば、シルバーの星小紋のなかに金色の星が7の数字をかたどったパッケージが思い浮かぶが、JTが専売公社だった1976年、特別包装タバコとして地域限定で販売されていたものがあったらしい。しかし、紹介する美瑛町にも、販売元のJTにも、箱の実物もなければ写真もなく、インターネットのどこを探してもセブンスターの木がプリントされているパッケージを見つけることはできなかった。38年という歳月は商品をすっかり過去のものとしてしまったが、大樹はそのままの姿を保ち続ける。じゃがいも畑が続く丘陵の頂上付近に枝を広げた美しい木は、今までも、これからも変わらず、豊饒のときが来たことを知らせるように、風が通り抜けるたび、さわわさわわと葉を鳴らす。ところで、同集には〈裏妙義みどりを吸って一夜寝る〉が収められており、てっきり「みどり」という名のたばこを一服したのかと思ってしまったが、すぐに「わかば」と勘違いしていることと、みどりは季題であったと気づき赤面した。それにしても「わかば」や「いこい」などの名称は、タバコが息抜きや気分転換などを象徴していた名であったと思い、時代の変遷をあらためて思うのだった。『谷戸抄』(2014)所収。(土肥あき子)


September 2292014

 落葉して地雷のごとき句を愛す

                           矢島渚男

き寄せられた落葉。こんもりとしていて、その上を歩くとクッションが効いているので足裏に心地よい。そんな情感を詠んだ句ならヤマほどありそうだが、作者は想像力を飛ばしてもう一歩も二歩も踏み込んでいる。積もった落葉の下には、何があるのだろうか。もちろん、土がある。ならばその土の下には何が埋まっているのだろうかと貪欲である。有名な「櫻の樹の下には屍体が埋まつてゐる」ではないけれど、作者はそこに地雷が存在すると想像した。そして地中の地雷は、いわば冷たく逆上しながらも、あくまでも静かに爆発の時を待ちかまえている。と、ここまで連想が至ったときに、自分の好きな句はそんな地雷のような構造を持った句なのだと閃いた。つまりこのときに作者の作家魂は、とつぜん地雷と化したに違いなく、だからここで「地雷のごとき句」と言っているのは、何某作の句という具体的なものではなくて、そんな気概を込めた未来の自作を指しているのだと思った。『延年』(2003)所収。(清水哲男)


September 2192014

 ちちろ鳴く壁に水位の黴の華

                           神蔵 器

和57年9月12日。台風18号の影響で、都内中野区の神田川が氾濫。作者は、この時の実景を15句の連作にしています。「秋出水螺旋階段のぼりゆく」「秋出水渦の芯より膝をぬき」都市にいて、水害に遭う恐怖は、底知れなさにあるでしょう。膝をぬくことで、一命をとりとめた安堵もあります。「鷺となる秋の出水に脛吹かれ」水中に立つ自身を鷺にたとえています。窮地を脱して少し余裕も。「炊出しのむすびの白し鳥渡る」何はともあれ、白いおむすびを食べて人心地がつきます。「しづくせる書を抱き秋の風跨(また)ぐ」家の中も浸水していて、まずは水に浸かった愛蔵書を救出。「出水引くレモンの色の秋夕日」レモンの色とは、希望の色だろうか。オレンジ色よりも始まりそうな色彩です。「畳なきくらしの十日萩の咲く」「罹災証明祭の中を来て受けぬ」。掲句は、この句の前に配置されています。「ちちろ」はコオロギのこと。「壁に水位の黴の華」というところに、俳人の意地をみます。凡人なら、「黴の跡」とするでしょう。しかし、作者は「華」として、あくまでも水害の痕跡を風雅に見立てます。水害を題材にして俳句を作るということは、体験から俳句を選び抜くことでもあるのでしょう。そこには自ずと季語も含まれていて、作者自身も季節の中の点景として、余裕をもって描かれています。『能ケ谷』(1984)所収。(小笠原高志)




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