静かに降ってくれれば、秋の雨も風情があってよいのに。(哲




2014ソスN9ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2592014

 呼んで応へぬ執事さながら秋の雲

                           筑紫磐井

の雲春の雲。「雲」といっても季節によって様相が変わることを俳句を始めて意識するようになった。そして私が気づくことなどたいていは季語の本意としてとうの昔に詠み込まれており、そこをどうずらすかが勝負どころだろう。もちろんそのずらし方にその作者のものの見方や俳句の捉え方が現れるというもの。掲載句では、澄み切った秋晴れの空にポッカリと動かぬ雲を「執事さながら」と形容する。平凡な日常からは遠く、ちょいと気取った職業を見立てたところが面白い。執事は主人には献身的に尽くすが外部の人間には取り澄まして冷たい。冷ややかな白さで空に浮かぶ白雲は「おーい雲」と呼びかける人間なんてまったく無視ナノダ。『我が時代』(2014)所収。(三宅やよい)


September 2492014

 京に二日また鎌倉の秋憶ふ

                           夏目漱石

石の俳句については、ここで改めて云々する必要はあるまい。掲句は漱石の未発表句として、「朝日新聞」(2014.8.13)に大きくとりあげられていたもの。記事によると、明治30年8月23日付で正岡子規に送った書簡に付された九句のうち、掲句を含む二句が未発表だという。当時、熊本で先生をしていた漱石が帰京して、根岸の子規庵での句会に参加した。この書簡は翌日子規に届けられたもの。そのころ妻鏡子は体調を崩し、鎌倉の別荘で療養していた。前書には「愚妻病気 心元なき故本日又鎌倉に赴く」とある。東京に二日滞在して句会もさることながら、秋の鎌倉で療養している妻を案じているのであろう。療養ゆえ、秋の「鎌倉」がきいているし、妻を思う漱石の心がしのばれる。未発表のもう一句は「禅寺や只秋立つと聞くからに」。こちらは前書に「円覚寺にて」とある。同じ年、妻を残して熊本へ行く際、漱石が詠んだ句「月へ行く漱石妻を忘れたり」は、句集に収められている。(八木忠栄)


September 2392014

 九月の風さわわセブンスターの木

                           酒井弘司

海道美瑛町の観光スポットには、タバコのセブンスターのパッケージに採用されたことから「セブンスターの木」と呼ばれる柏の木がある。セブンスターといえば、シルバーの星小紋のなかに金色の星が7の数字をかたどったパッケージが思い浮かぶが、JTが専売公社だった1976年、特別包装タバコとして地域限定で販売されていたものがあったらしい。しかし、紹介する美瑛町にも、販売元のJTにも、箱の実物もなければ写真もなく、インターネットのどこを探してもセブンスターの木がプリントされているパッケージを見つけることはできなかった。38年という歳月は商品をすっかり過去のものとしてしまったが、大樹はそのままの姿を保ち続ける。じゃがいも畑が続く丘陵の頂上付近に枝を広げた美しい木は、今までも、これからも変わらず、豊饒のときが来たことを知らせるように、風が通り抜けるたび、さわわさわわと葉を鳴らす。ところで、同集には〈裏妙義みどりを吸って一夜寝る〉が収められており、てっきり「みどり」という名のたばこを一服したのかと思ってしまったが、すぐに「わかば」と勘違いしていることと、みどりは季題であったと気づき赤面した。それにしても「わかば」や「いこい」などの名称は、タバコが息抜きや気分転換などを象徴していた名であったと思い、時代の変遷をあらためて思うのだった。『谷戸抄』(2014)所収。(土肥あき子)




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