上天気。久しぶりに神代植物公園にでも出かけてみるか。(哲




2014ソスN9ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2692014

 雁や農夫短き畝立てて

                           坂石佳音

方で繁殖した雁(かりがね)は十月の声を聞く頃渡来する。この飛び方は少し離れた先頭の一羽に従い竿になり鍵状になりつつ直線に飛んで行く。わが縦長の列島の空を渡る頃農事は秋から冬の備えに入る。冬の農地は自給自足の分の収穫で足りる。農夫はその分の短い畝を立ててゆく。地道な生活が暦にそって一つ一つと営まれて行く。その頭上大空をやはり例年の如くに竿になり鍵になって雁が渡って来る。雁は目的地に到着し翌春帰るまでは主として湖沼に群棲している。大らかな自然の下で暮らしは小さく地道にねと農夫は教わっている。『続続へちまのま』(2011)所載。(藤嶋 務)


September 2592014

 呼んで応へぬ執事さながら秋の雲

                           筑紫磐井

の雲春の雲。「雲」といっても季節によって様相が変わることを俳句を始めて意識するようになった。そして私が気づくことなどたいていは季語の本意としてとうの昔に詠み込まれており、そこをどうずらすかが勝負どころだろう。もちろんそのずらし方にその作者のものの見方や俳句の捉え方が現れるというもの。掲載句では、澄み切った秋晴れの空にポッカリと動かぬ雲を「執事さながら」と形容する。平凡な日常からは遠く、ちょいと気取った職業を見立てたところが面白い。執事は主人には献身的に尽くすが外部の人間には取り澄まして冷たい。冷ややかな白さで空に浮かぶ白雲は「おーい雲」と呼びかける人間なんてまったく無視ナノダ。『我が時代』(2014)所収。(三宅やよい)


September 2492014

 京に二日また鎌倉の秋憶ふ

                           夏目漱石

石の俳句については、ここで改めて云々する必要はあるまい。掲句は漱石の未発表句として、「朝日新聞」(2014.8.13)に大きくとりあげられていたもの。記事によると、明治30年8月23日付で正岡子規に送った書簡に付された九句のうち、掲句を含む二句が未発表だという。当時、熊本で先生をしていた漱石が帰京して、根岸の子規庵での句会に参加した。この書簡は翌日子規に届けられたもの。そのころ妻鏡子は体調を崩し、鎌倉の別荘で療養していた。前書には「愚妻病気 心元なき故本日又鎌倉に赴く」とある。東京に二日滞在して句会もさることながら、秋の鎌倉で療養している妻を案じているのであろう。療養ゆえ、秋の「鎌倉」がきいているし、妻を思う漱石の心がしのばれる。未発表のもう一句は「禅寺や只秋立つと聞くからに」。こちらは前書に「円覚寺にて」とある。同じ年、妻を残して熊本へ行く際、漱石が詠んだ句「月へ行く漱石妻を忘れたり」は、句集に収められている。(八木忠栄)




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