2014N10句

October 01102014

 里芋の煮つころがしは箸で刺す

                           大崎紀夫

たちがふだん「里芋」と呼んでいる芋にも種類があって、ツルノコイモとかハタケイモをはじめ、品種が多いようだ。山形県ではじまった、この時季の「芋煮会」なるものはどこでも行われるようになってきた。里芋にはいろいろなレシピがあるわけだが、素朴な「煮っころがし」が最もポピュラーで、好まれていると言っていい。丸くてぬめりがあるから、お行儀よく箸でつまむよりは、手っとり早く箸で刺したほうが確実にとらえて口に運べる。掲出句はお行儀よく構えることをせず、そのことを詠んだもの。「本膳」という落語がある。庄屋に招かれた村人たちが、あらかじめ手習いの師匠から「本膳での食べ方は私の真似をするように」と教わって出かける。席で師匠が里芋の煮っころがしをうっかりとりそこなって転がすと、村人がいっせいに箸で里芋をつついてそれを転がすという、にぎやかなお笑いの場面がある。ついでに、落語家の間では「ライスカレーは匙で食う」という、当たり前すぎて笑える言い方がある。釣師でもある紀夫には「ぎぎ釣るやぎぎぎぐぎぐぎぐうと泣く」という妙句がある。『俵ぐみ』(2014)所収。(八木忠栄)


October 02102014

 台風のたたたと来ればよいものを

                           大角真代

平洋上に台風が発生したようで今後の進路が気になる。秋に来る台風は夏の台風と違い偏西風の影響で足早に過ぎ去るという。来てほしくはないのだけど、飛行機で遠方に出かける予定があるときなど気が揉める。台風の進路にあたるときは、ベランダに並べた植木鉢を片付けたり、壊れそうな箇所を補強したりとやっておかなければならない作業も多い。台風による甚大な被害を思えば、どこにも上陸しないで通り過ぎてくれることが一番なのだけど、避けられないなら「たたた」と来て「たたた」と去ってほしいと、天気図を眺めながら思っているのだろう。『手紙』(2009)所収。(三宅やよい)


October 03102014

 鵙遠音魚板打ちても応答なし

                           景山筍吉

の甲高い鳴き声は遠くまで届く。澄んだ秋の空気の中訪れた禅寺には人気が無い。どこか奥まった所でお勤めをしているのかも知れない。柱を見ると魚板と小槌がぶら下がっている。これが呼び鈴代わりかと早速叩いてみる。手応えのある音の割には中からの応答(いらへ)が無い。どこか心細くなる。寺へ悩み事の相談に訪ねたのであれば尚更のこと。因みに景山筍吉が敬虔なクリスチャンであった事を思うと、問うて答えのない不安な心を見てしまうのである。神仏に声は無い。他に<繰り返へす凡愚の日々の蚊遣かな><友情の嘘美しき月の道><キリシタン処刑跡なり蛇の衣>など。『白鷺』(1979)所収。(藤嶋 務)


October 04102014

 ひらがなの名のひととゆく花野かな

                           松本てふこ

野は、華やかだけれどもどこか淋しい、というイメージをまといながら概ねさりげなく詠まれる。そして、読み手それぞれの花野はまちまちでも、はなの、というやわらかい音と共に広がる風景に大差はなく、ああそういう感じだな、と共感を生む。だが、掲出句は少し違っている。そういう感じだな、と客観的に鑑賞するような感覚ではなく、すぐに花野の中を歩いているような心地がするのだ。ひらがなの名のひととゆく、という一つの発見は、花野の風の感触と匂い、明るさとひとことでは言いようのない光の色、それらをごく自然に浮かび上がらせ、読み手は秋に包まれる。「俳コレ」(2011・邑書林)所載。(今井肖子)


October 05102014

 薪能観てきて籠る秋簾

                           石原八束

台を観て、人生が変わることが稀にあります。それは、一時的な変化であったとしても、記憶は強く残ります。作者のように、観劇の感動を句に残しているならなおさらでしょう。薪能では、観る側の角度によって舞台がゆらいでみえることがあります。炎の熱を通すと役者はかげろうの中で舞っているようにみえる瞬間があります。謡が轟き、鼓は夜空へと響き渡り、作者その余韻を抱えたまま帰途に着きました。家人への挨拶もそぞろです。夢幻能の中に入り込み、その夢から醒めないために、自身を簾の内という異界に籠もらせます。それは、舞台を反芻しながら、繭が糸をつむいでいくような時間を過ごすことでしょう。観劇した感動を発散せず、身の内へと籠めていく能動性。秋簾の中に、上手の見者の姿を観ます。『白夜の旅人』(1984)所収。(小笠原高志)


October 06102014

 包丁を研ぎ台風を待ちゐたり

                           座間 游

象情報に台風接近中とあれば、多くの人は身構える。しかし、身構えたところで、たいていの人には特に対処する方策もない。庭の植木鉢を片づけたり、日頃気になっている家屋の弱そうなところを点検したりすることで、あとはすることもない。本番を待つばかりとなる。やって来る台風の強度も正確には判断しかねるから、そこはこれまでの経験に頼るしかないからだ。そんななかで、作者は包丁を研ぎすませた。別に大雨や大風への備えとは無関係なのだが、とにかくこうして台風を待っている。でも、これは決して頓珍漢で滑稽な備えとは言いきれないだろう。おそらく作者は、日頃から包丁を研いでおかねばと気になっていたのである。そこで台風への「備え」という意識が、ごく自然に無関係な包丁研ぎへとおのれを駆り立ててしまったのだ。これに類似したことは、日常的ないろいろな場面で起きてくる。まことに、人間愛すべし…ではないか。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


October 07102014

 竿の手の不意に暮れたる子持鮎

                           田草川㓛子

月下旬から10月にかけて、鮎は産卵のため川を下る。この時期の卵を抱いた鮎は、みずみずしい夏の鮎とは違った楽しみがある。夢中になっている時間は、思っているよりずっと早く過ぎている。ふと我に返ると竿を握る手元にも、川面にも暗闇が広がって、一瞬キツネにつままれた心地となる。時計を確かめてみても、確かにその暗さに見合った時刻であるが、それでもまだ「そんなはずはない」といういぶかしく思う気持ちが「不意に」に込められる。つるべ落としの秋の日の実感とともに、魚籠に入っている釣果が子持鮎だという哀れも感じられ、釣り人は荒々しく川音に包まれる。〈新米を真水のごとく掬ひけり〉〈稲の束抱へて胸の濡れにけり〉『弓弦』(2014)所収。(土肥あき子)


October 08102014

 屋根草も実となる秋となりにけり

                           巌谷小波

ほど草深い田舎へ行けば、あるいはこうした風景をまだ見ることができるかもしれないけれど、今や昔懐かしい風景になったと言っていい。古びた藁屋根(屑屋根とも呼ばれた)に何かの草がはえて、元気よく成長して風に吹かれているのを見たことがある。(風流などと言う勿れ。電子辞書を引いても、「藁屋根」「屑屋根」という言葉は出てこない)秋になればさらに実をつけるものもある。昔の田舎では珍しくなかった風景を、ユーモラスにとらえている。そういう家では、屋根にはえる草などにかまっていられなかったのだろう。ユーモラスでのんびりとした時間が、屋根草にも実をつけていたのだ。10年ほど前に韓国を旅してある農村を通りかかった際、藁屋根に大きなカボチャがどっしりと、いい色合いで実っていたのを目撃して、思わずワァーと声をあげた。「……なる……なりにけり……」のリズムが快い。小波の句には「桜さく日本に生まれ男かな」があり、芝増上寺の句碑に刻まれているという。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


October 09102014

 秋澄むと子犬を膝に乗せにけり

                           山西雅子

年は秋が早いようで、9月の終わりに早くも金木犀が香りはじめ、朝夕の寒暖差に早々に長袖を引っ張り出した。例年なら10月に入ってからが秋本番というところだが今年は晩秋の寒さも時折感じられる。「秋澄む」は大陸からの冷たい大気がおりてきて空気が澄み、風景はくっきりと、人の声、虫の声もはっきりと聞こえるもっとも秋らしい季候を表す言葉。暑い頃は撫でられるのも、近寄るのも厭う飼い猫や飼い犬たちも冷たく澄み切った空気に人懐かしくなるのか膝に寄ってくるようになる。膝の上で気持ちよさそうに身体を丸めて眠りはじめた子犬も主人とともに秋の気持ちよさを楽しんでいることだろう。『沙鷗』(2009)所収。(三宅やよい)


October 10102014

 数ふ雁小さくちさくなりにけり

                           石川鐵男

と見上げた空を雁が渡っている。先頭に一羽が居て延々と続いている。中ほどが頭上にくるとざわざわざわざわと雄大な騒音となる。どの位の数だろうか、百羽で一固まり位の単位をいくつ数えても切がない。何と言う数の多さだろう。列の後尾を見送ると次第に点のように小さくなって悠久の空の染みとなり透明になりやがて消えゆく。雁の一族全体を一望の下に収め、ふと気を取り戻せばここにも雁と人間の一期一会の出会いと別れがあった。別れの無い出会いは無い。他に<弁慶が眼鏡で立ちし村芝居><風鈴や背にひんやりと聴診器><あだ名フグ師の名浮かばず桃の花>等々ペーソスに満ちた句がならぶ。『僕の細い道』(2006)所収。(藤嶋 務)


October 11102014

 日本は蜥蜴のかたち秋日和

                           野崎憲子

んやりとした残暑の空に澄んだ気配が感じられるようになったと思っていたら次々と台風がやってきて、雲ひとつない高い空を仰ぐことがほとんどないまま秋が深まってきてしまった。台風情報を得るために天気図を見る機会が多く、小さいながらも日本は細長いなと思っていたが、蜥蜴のかたち、とは個性的だ。多分、日向にじっとしている蜥蜴を見ているうちに、大きめの頭が北海道に、くねっとした体が本州に見えてきて、ということだろう。それでも十分自由な発想だが、もしかしたら作者は常々、日本列島って蜥蜴っぽいな、と感じていたのかもしれない。蜥蜴は夏季なので句にできそうだけれど、ただ形が似ていると言ってもつまらないし、と思っていたら、秋の日に誘われて出てきた蜥蜴に遭遇。明るさの中の瑠璃色の蜥蜴が生んだ秋日和の一句、にっぽん、という歯切れの良い音がさらに心地よい。『源』(2013)所収。(今井肖子)


October 12102014

 天道虫小さし秋空背負ひ来て

                           細谷喨々

かにおっしゃる通りです。天道虫は小さい。漢字を当てると大きななりに見えるけれど、実際は小指の爪よりも小さい。掲句は五七五で読むよりも、「小さし」で切った方がよさそうです。ところで、天道虫は小さいという当たり前の事実に驚きながらそれを受け入れられるのは、背負っている秋空が天高く広大だからでしょう。空は青いゆえ、天道虫の朱色はくっきりとした輪郭を見せて存在を示します。生きているということは、大きい小さいではないな。むしろ、何を背負っているかではない かな。天道虫という名を背負い、秋空という実を背負っている天道虫の存在は、確かです。喨々さん。勇気をいただきました。ありがとうございます。句集では、「対峙してかぶきあひたる蜻蛉かな」が続き、こちらは歌舞伎役者が睨み合っているような蜻蛉です。「成田屋!」。これも、昆虫写真家のような構図のとり方が巧みで、ピントがバッチリ絞れています。『二日』(2007)所収。(小笠原高志)


October 13102014

 夜汽車明け稲の穂近し吾子近し

                           大串 章

ぼ半世紀前の句。初産の妻を故郷の実家に帰していたところ、無事に吾子誕生の知らせが入り、作者は急遽夜行で故郷に向かった。夜汽車に揺られながらの帰郷。当時はごく普通の「旅」であった。が、いつもとは違い、そう簡単には寝つけない。もんもんとするわけではないのだが、初めての子供の誕生に気が昂ぶっているせいである。父親になったことのある人ならば、この気持ちをつい昨日のことのように思いだすことができるだろう。久しぶりにこの句を読んで、私も往時の興奮した気分を思いだした。そして、ようやくうつらうつらとしはじめた目に、夜明けの故郷、まぎれもない故郷の田園風景が目に染み入ってきて、「いよいよだな」とまだ見ぬ吾子が具体的に近づいてきたことを知らされる。変な言い方だが、ある種の「覚悟」が決まるのである。そんな初々しい感慨が詰まった句だ。もう一句。「妻より受く吾子は毛布の重さのみ」。人生、夢の如し…か。『朝の舟』(1978)所収。(清水哲男)


October 14102014

 小鳥来るひとさじからの離乳食

                           鶴岡加苗

間暇かけて作った離乳食がまったく無駄になってしまったという嘆きは多い。ミルクだけを飲んできた小さな口には、味覚以前にスプーンの材質まで気にさわるものらしい。いかに気に入らなくても、言葉にできぬもどかしさに身をよじる赤ちゃんサイドと、せっかくの力作を無駄にしたくない母心が入り乱れ、ときには絶望に声を荒げてしまうこともあるだろう。しかし、その小さな口がひとさじを受け入れてくれてたとき、母の苦労はむくわれる。今日のひと口が明日のふた口に続くかどうかは赤ちゃん次第。乳児から幼児へと変身する時間はゆっくりと流れる。小さな翼を揃えて渡ってくる鳥たちを思いながら、母は子へひとさじずつスプーンを運ぶ。母と子の蜜月の日々がおだやかに過ぎてゆく。〈さへづりや寝かせて量る赤ん坊〉〈子育ての一日長し天の川〉『青鳥』(2014)所収。(土肥あき子)


October 15102014

 黄金の木の実落つる坂の宿

                           西脇順三郎

の西脇順三郎も数は少ないけれど、萩原朔太郎、室生犀星らと俳句を作った時期があった。「黄金の木の実」とはドングリかギンナンの実のことだろうか。「黄金」という表現はいかにも西脇的だ。「超自然主義」の西脇も、この句では自然主義的な耳と感性を発揮している。しかし木の実が落ちる音に、常人には及びもつかない“音”をおそらく聞いていたにちがいない。『旅人かへらず』の詩人は、ある秋の日の旅宿での憶い出を詠んでいるのかもしれない。しかも「坂」だから、木の実は落ちてころころ転がったのだろう。坂道の様子は? そこまで想像力をかきたててくれる。新倉俊一はこの句を引用して、次のように記述している。「昭和十年末から彼は百田(註:宗治)に誘われて、大森の俳人・西村月杖の主宰する月例句会に、萩原や室生らと共に参加して、月交代で選者をつとめた」。選者をつとめたというから並ではない。翌年、彼らの「句帖」が創刊された。西脇には、掲出句の他に「木の実とぶ我がふるさとの夕べかな」がある。ふるさと小千谷を想う素直な俳句だ。今年は生誕120年にあたる。新倉俊一『評伝 西脇順三郎』(2004)所載。(八木忠栄)


October 16102014

 焼藷を二つに割つてひとりきり

                           西野文代

の頃は温暖化防止のためビルの屋上にサツマイモを植える企業を増えているという。雨風や日照りなどの厳しい環境にも強く葉を茂らせ、何より収穫の喜びがあるから人気なのだろう。何といってもサツマイモがおいしいのは今頃の季節。ピーと煙突を鳴らして屋台を引きながら焼き芋屋がやってくる。アツアツの焼き芋を新聞紙にくるんでもらう。家で作るふかし芋とは焦げ目のついた皮のぱりぱり感、割った時のしっとりホカホカ具合が全然違う。さて掲句では二つに割って湯気のたっている片方を「はいっ」と渡す相手もいない。こんな時一人で暮らす味気なさがつくづく感じられるものだ。アツアツの焼き芋だからこそ「二つ」と「ひとりきり」の対比に分け合う相手のいない寂しさを感じさせる。『それはもう』(2002)所収。(三宅やよい)


October 17102014

 時々は小鳥飛び交ひ雨の森

                           長谷川敏子

が色付き始め季節は小鳥来る秋へと移ろってゆく。日本の秋は野分、秋雨前線、秋黴雨と梅雨時以上に降雨量が多い。その分雨の合間の青空は「梅雨晴間」同様「秋晴れ」となって目に沁みる。その空を渡って大陸からツグミ、ヒワ、ヒヨドリなどの小鳥が群れをなしてやって来る。豊穣の森には赤い木の実や草の実などの餌がいっぱいである。活き活きとした鳥たちが森の雨の間合いを計って飛交い、やがて来る冬を前にこれらの餌を求め飽食の時を過ごしてゆく。他に作者が江戸千家の茶人としての句<亭主として袷の無地と決めてをり><きりもなく茶を点ててをり夏衣><末席も水屋も仕切る青簾>などがある。『糸車』(2007)所収。(藤嶋 務)


October 18102014

 なによりも会いたし秋の陽になって

                           佐々木貴子

秋の日差し、遠くなつかしいその色合いと肌ざわりは自分の中で季節が巡ってくるたびに、ああ、と思いあれこれ作っては消えるテーマの一つになっている。この句は、なかなか言葉にならなかった一コマを浮かび上がらせてくれた気がして、そんな気がしたことに自分で驚いた句である。会いたい、という主観が前面に出ているし、一文字が語りすぎるからなるべく、陽、ではなく、日、を使う方がよい、と言われて来たのだがそれらを超え、光の色が広がる。なによりも、と、会いたし、のたたみかける強さと、陽、の持つ明るさがありながら、そこに広がる光は不思議なほど静かに心象風景とシンクロしたのだが、読み手によって印象が違うと思われ、それも魅力だろう。『ユリウス』(2013)所収。(今井肖子)


October 19102014

 袖のやうに畑一枚そばの花

                           川崎展宏

ばの花弁は白い。その真ん中は、赤い雄しべが黄色い雌しべを囲んでいる。作者は、そば畑を着物の袖にたとえています。それは、そば畑の面積がささやかであることを伝えていると同時に、着物の袖をイメージさせることで、白く咲く花弁の中の赤と黄色を繊細な生地の柄として伝えています。直喩を使うということは、単なる言葉の置き換えではなく、むしろ、対象そのものに対して写実的に接近できる方法でもあることを学びます。掲句のそば畑は、家族で新そばと年越しそばを楽しむほどの 収穫量なのかもしれません。「畑一枚」という語感が「せいろ一枚」にも通じて平面的で、そばの花咲く畑を袖という反物にたとえた意図と一貫しています。なお、森澄雄に、「山の日の照り降り照りや蕎麦の花」があり、山脈が近い高原の気象の変化を調べとともに伝えています。掲句は平面的な静の句ですが、こちらは、空間の中で光が移ろいます。『夏』(1990)所収。(小笠原高志)


October 20102014

 よく見える幼子に見せ稲の花

                           矢島渚男

さな稲の花を見ている。いや、見ようとしている。が、おそらく少し老眼気味になってきた目には、細部までははっきりと見えないのだろう。そこでかたわらにいた幼い子にそれと教えて、「これが稲の花だよ。よく見ておきなさい」と指さしている図だと思う。むろん幼い子が稲の花に関心を抱くことはなかろうが、作者はとにかく「よく見える目」の持ち主に、見せておきたかったのである。つまり作者は幼子の目に映じているはずのくっきりした花の姿を想像して、その想像から自分にもくっきりと見えている気分にひたりたかったということだ。ちょつとややこしいけれど、この種の視覚的な行為に限らず、五感すべてにおいて、老いてきた身にはこのような衝動が走りがちになる。老いた人と幼い人との交流において、私たちはしばしば幼い人の行為を微笑をもって見守る老人の姿を見かける。あれはまたしばしば、掲句のような状態を受け入れようとしているが故の微笑なのだ。老いを自覚してきた私には、そのことの幸せと辛さとが分かりはじめている。『延年』(2003)所収。(清水哲男)


October 21102014

 月の夜のワインボトルの底に山

                           樅山木綿太

がワインを手にしたのは古代メソポタミア文明までさかのぼる。醸造は陶器や革袋の時代を経て、木製の樽が登場し、コルク栓の誕生とともにワインボトルが普及した。瓶底のデザインは、長い歴史のなかで熟成中に溶けきらなくなったタンニンや色素の成分などの澱(おり)を沈殿させ、グラスに注ぐ際に舞い上がりにくくするために考案されたものだ。便宜上のかたちとは分かっても、ワインの底にひとつの山を発見したことによって、それはまるで美酒の神が宿る祠のようにも見えてくる。ワインの海のなかにそびえる山は、月に照らされ、しずかに時を待っている。〈竜胆に成層圏の色やどる〉〈父と子の落葉けちらす遊びかな〉『宙空』(2014)所収。(土肥あき子)


October 22102014

 河添の夜寒かなしき洲崎かな

                           芝木好子

崎は現在の江東区東陽町にあたる。昭和33年3月31日まで、吉原とならんで赤線の灯がともっていた。それを描いた川島雄三の傑作映画「洲崎パラダイス赤信号」(1956)が忘れられない。新珠三千代主演で、なぜか河津清三郎と轟夕起子も忘れがたい。その原作こそ芝木好子の小説「洲崎パラダイス」だった。現在の東陽町にはマンション群が建ちならんで、あのパラダイスの面影はなく、「夜寒」もすっかり様変わりした。この「河」は隅田川だと思う。(小名木川ではあるまい。)浅草で育った好子には、もともと一帯の土地勘があり、「洲崎パラダイス」を書くにあたって取材もしただろうから、赤線の街の夜寒は敏感に感じていただろう。河添の街の夜寒は格別かなしいだろうし、夜ごとの灯りも女も、やってくる男たちもかなしい。こういうかなしい街がなくなりつつあるのは結構だが、「女性が輝く職場」を標榜して、内閣の認証式で女性閣僚を周囲に侍らせてにっこりしていた総理大臣に、あきれて二の句がつけなかったのは、私だけだろうか。久保田万太郎に「吉原の菊のうはさも夜寒かな」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


October 23102014

 二階へと上がってからの夜長かな

                           小西昭夫

っきり夜が長くなった。夕食もすんで二階へ上がる。今まで自分もいたリビングのテレビの音や家族の声が少し場所を離れることでよその家のように聞こえる。網戸を透かして外から部屋を見たり、ビルの屋上から自分の家の屋根を眺めたりするのと似た心持ちだ。平屋ではなく上がり下がりする階段がその距離感を生むのだろう。夏だと明るい時刻なのに夜の帳は降りてきて、ひとりの時間はたっぷりある。本を手に取ったり書きものをしたり、家族から離れて自分だけの固有の時間が始まる。『小西昭夫句集』(2010)所収。(三宅やよい)


October 24102014

 田鴫鳴く眠れぬ夜の畦歩き

                           西谷 授

鴫は冬に向かって旅鳥として渡来し、水田跡、蓮田、湿地等で捕食する。ふだん日中は草陰、稲の切株の脇にじっとしている。安全な場所では日中も餌をとるが普通は夕方頃から土の中に長いくちばしを突っ込んでミミズや昆虫をあさる。日常の諸事に患って眠れぬ夜がやってきた。胸に響くざわざわとした喧騒を静めるべく一人外へ出る。土手へ出る畦道を歩いていると恐ろしいほど淋しくなる。傍らに何に怯えたか田鴫が鳴きだした。「お前も俺とおなしだな」と作者はつぶやきつつ歩く。他に<大和路の稲架それぞれに小糠雨><居眠りの猫見張りをる大根干し><時雨るるや母の傘追ふ赤い傘>など在り。『鄙歌』(2002)所収。(藤嶋 務)


October 25102014

 秋の蚊の灯より下り来し軽さかな

                           高濱年尾

の中や家の中にふと蚊が一匹紛れ込んでくることがある。今年は例の騒動で秋の蚊にはことに敏感に反応、すぐさま追い出したり叩いたりしてしまったので掲出句のように観ることもなかった。この句、大正七年作者十八歳、開成中学五年の時の作。当時余りに俳句に熱心な年尾に虚子は、中学生としての本分である勉強に専念せよ、と俳句を禁じたが名前を変えて「ホトトギス」に投句した、という逸話もあるという。そんな年尾青年が秋灯下、一匹の蚊を見つけその動きをじっと見つめ考えている様子が浮かぶ。どこか心もとなく弱々しい様から、軽さかな、という下五がごく自然に口をついて出た時、句をなした実感があったのではないか。明日十月二十六日は年尾忌。「高濱年尾の世界」(1990・梅里書房)所載。(今井肖子)


October 26102014

 薪在り灰在り鳥の渡るかな

                           永田耕衣

者自ら超時代性を掲げていたように、昔も今も変わらない、人の暮らしと渡り鳥です。ただし、都市生活者には薪も灰も無い方が多いでしょう。それでもガスを付けたり消したり、電熱器もonとoffをくり返します。不易流行の人と自然の営みを、さらりと明瞭に伝えています。永田耕衣は哲学的だ、禅的だと言われます。本人も、俳句が人生的、哲学的であることを理想としていました。私は、それを踏まえて耕衣の句には、明るくて飽きない実感があります。それは、歯切れのよさが明るい調べを 与えてくれ、意外で時に意味不明な言葉遣いが面白く、飽きさせないからです。たぶん、意味性に関して突き抜けている面があり、それが禅的な印象と重なるのかもしれません。ただし、耕衣の句のいくつかに共通する特質として、収支決算がプラスマイナス0、という点があります。掲句の薪は灰となり、鳥は来てまた還る。たとえば、「秋雨や我に施す我の在る」「恥かしや行きて還つて秋の暮」「強秋(こわあき)や我に残んの一死在り」「我熟す寂しさ熟す西日燦」「鰊そばうまい分だけ我は死す」。遊びの目的は、遊びそのものであると言ったのは『ホモ・ルーデンス』のホイジンガですが、それに倣って、俳句の目的は俳句そのものであって、つまり、俳句を作り、俳句を読むことだけであって、そこに 意味を見いだすことではないことを、いつも意味を追いかけてしまいがちな私は、耕衣から、きつく叱られるのであります。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)


October 27102014

 矢の飛んできさうな林檎買ひにけり

                           望月 周

しぶりに、子供のころに読んだ物語を思い出した。「矢」と「林檎」とくれば、ウィリアム・テルのエピソード以外にないだろう。14世紀の初頭、スイスはオーストリアに支配されており、やってきた悪代官は横暴の限りをつくしていた。弓の名手だったテルも難癖をつけられて捕えられたが、意地悪な悪代官は彼に、幼い息子の頭に乗せた林檎を遠くから矢で射ぬけたら、命を助けてやろうと言われる。そこでテルは見事に林檎を射ぬくことに成功し、携えていたもう一本の矢で代官を射てしまう。子供向けの話はここで終わるのだけれど、このテルの働きが導火線となって、スイスはオーストリアの支配下から脱出したのであった。ただし、定説では、ウィリアム・テルはどうやら架空の人物であるらしい、そんな物語を想起させる「林檎」を、作者は買い求めた。平和な時代のこの林檎は、大きくてつやつやと真っ赤に輝いてたに違いない。ずしりと手に重い林檎の姿が、大昔の異国のヒーロー像とともに、読者の胸に飛び込んでくる。『白月』(2014)所収。(清水哲男)


October 28102014

 いつよりか箪笥のずれて穴惑

                           柿本多映

位置に置かれている箪笥。部屋の大物は一度場所を定めたら、よほどのことがない限り動かすことはない。いつもの見慣れた部屋の配置である。とはいえ、あるときふとあきらかに箪笥が元の位置よりずれていることに気づく。わずかに、しかし確固たるずれは、絨毯の凹みか、あるいは畳の焼け具合がくっきりと「これだけずれました」と主張しているようで妙に不気味に思われる。確かにここにあったはずのものがこつぜんと消失したりすることなど、日常によくあるといえばあることながらホラーといえばホラーである。穴に入り損なってうろうろしている蛇のように、家具たちも収まる場所が違うとよなよな身をよじらせていたのかもしれない。知らず知らずのうちに狂っていくものに、薄気味悪さとともに、奇妙な共感も得ているように思われる。〈ゆくゆくは凭れてみたし霜柱〉〈たましひに尻尾やひれや蟇眠る〉『粛祭』(2004)所収。(土肥あき子)


October 29102014

 秋深し四谷は古き道ばかり

                           入船亭扇橋

語だけでなく、俳句でも長年特異な境地を詠みつづけてきた扇橋は、2011年に脳梗塞で倒れてしまった。そのおっとりした独自の高座はもうナマで聴くことはむずかしい。とりわけ「茄子娘」という落語のほんのりとした色気と可愛らしさは、他の落語家では出せない味だった。「弥次郎」も傑作だった。客をうならせるような名人芸という、そんなおおそれたものではないところが魅力なのだ。掲出句は倒れる前年に詠まれた句である。出張った句ではない。脱線して記すと、私が所属している句会の一つ「有楽町メセナ句会」は、四谷三丁目にある会場で毎月開催している。ここは昔の四谷第四小学校の旧校舎(まだがっしりしている!)であり、扇橋と最も親しい柳家小三治が卒業した小学校である。私たち十人たらずは通常の句会が終わると、荒木町界隈にもぐりこんで連句のつづきを巻きあげたりして、静かに飲食している。路地はたしかに古くて深く、なかなか抜けられない「道ばかり」である。四谷の秋にどっぷり浸かっての句会……。扇橋が「落語っていうのは哀しいねェ」と言ったという言葉に、小三治はくり返し口にしている。笑って笑って、やがて哀しき……、言い得ている。掲出句と同じ年の句に「河童忌や田端の里に雨ほそく」がある。『友ありてこそ、五・七・五』(2013)所載。(八木忠栄)


October 30102014

 おひとつと熱燗つまむ薬師仏

                           高橋 龍

はビール、秋には冷酒と楽しんできたが、そろそろ熱燗が恋しい季節になってきた。「まあおひとつ」と、とっくりの首をつまみ上げる動作を薬師如来が左手に薬瓶を持つ姿に重ね合わせるとは、ケッサクだ。薬師如来は「衆生の病苦を救い、無明の痼疾を癒すという如来」と広辞苑にはある。有難い薬師如来をそば近く侍らせて飲む酒は旨いか、まずいか。日頃の節操のない行動の説教をくらいそうで落ち着いて熱燗を楽しめそうもない。吹く風が冷たさを増す夜の熱燗は独酌で楽しむのが良さそうだ。ちなみに句集名『二合半』とは酒の量ではなく、「にがうはん」と読み、江戸川近くの土地を表す呼び名、作者の原風景がそこにあるのだろう。『二合半』(2014)所収。(三宅やよい)


October 31102014

 連敗の果ての一勝小鳥来る

                           甲斐よしあき

になるとガン、カモを初め様々な小鳥が渡って来る。この頃の空は空気も透明感が深く感じられ、絶好のスポーツの季節到来となる。野球にテニスにサッカーにと人それぞれのスポーツに熱中する。普段そんなに真剣に取り組んでいなかったから試合では思うように勝てない。それでも身体が嬉しがるので負けても負けても次の試合を楽しみにする。そんなある日何かの拍子に試合に勝ってしまった。驚きと喜びに欣喜雀躍する傍らでジョウビタキが枝に歌いツグミが大地をちょんちょんと飛び跳ねている。他に<鬼やんまあと一周の鐘振られ><這ひ這ひの近づいて来る鰯雲><十六夜の小瓶の中のさくら貝>等がある。『抱卵』(2008)所収。(藤嶋 務)




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