東京五輪から50年。新入社員で五輪どころじゃなかった。(哲




2014ソスN10ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 10102014

 数ふ雁小さくちさくなりにけり

                           石川鐵男

と見上げた空を雁が渡っている。先頭に一羽が居て延々と続いている。中ほどが頭上にくるとざわざわざわざわと雄大な騒音となる。どの位の数だろうか、百羽で一固まり位の単位をいくつ数えても切がない。何と言う数の多さだろう。列の後尾を見送ると次第に点のように小さくなって悠久の空の染みとなり透明になりやがて消えゆく。雁の一族全体を一望の下に収め、ふと気を取り戻せばここにも雁と人間の一期一会の出会いと別れがあった。別れの無い出会いは無い。他に<弁慶が眼鏡で立ちし村芝居><風鈴や背にひんやりと聴診器><あだ名フグ師の名浮かばず桃の花>等々ペーソスに満ちた句がならぶ。『僕の細い道』(2006)所収。(藤嶋 務)


October 09102014

 秋澄むと子犬を膝に乗せにけり

                           山西雅子

年は秋が早いようで、9月の終わりに早くも金木犀が香りはじめ、朝夕の寒暖差に早々に長袖を引っ張り出した。例年なら10月に入ってからが秋本番というところだが今年は晩秋の寒さも時折感じられる。「秋澄む」は大陸からの冷たい大気がおりてきて空気が澄み、風景はくっきりと、人の声、虫の声もはっきりと聞こえるもっとも秋らしい季候を表す言葉。暑い頃は撫でられるのも、近寄るのも厭う飼い猫や飼い犬たちも冷たく澄み切った空気に人懐かしくなるのか膝に寄ってくるようになる。膝の上で気持ちよさそうに身体を丸めて眠りはじめた子犬も主人とともに秋の気持ちよさを楽しんでいることだろう。『沙鷗』(2009)所収。(三宅やよい)


October 08102014

 屋根草も実となる秋となりにけり

                           巌谷小波

ほど草深い田舎へ行けば、あるいはこうした風景をまだ見ることができるかもしれないけれど、今や昔懐かしい風景になったと言っていい。古びた藁屋根(屑屋根とも呼ばれた)に何かの草がはえて、元気よく成長して風に吹かれているのを見たことがある。(風流などと言う勿れ。電子辞書を引いても、「藁屋根」「屑屋根」という言葉は出てこない)秋になればさらに実をつけるものもある。昔の田舎では珍しくなかった風景を、ユーモラスにとらえている。そういう家では、屋根にはえる草などにかまっていられなかったのだろう。ユーモラスでのんびりとした時間が、屋根草にも実をつけていたのだ。10年ほど前に韓国を旅してある農村を通りかかった際、藁屋根に大きなカボチャがどっしりと、いい色合いで実っていたのを目撃して、思わずワァーと声をあげた。「……なる……なりにけり……」のリズムが快い。小波の句には「桜さく日本に生まれ男かな」があり、芝増上寺の句碑に刻まれているという。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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