October 122014
天道虫小さし秋空背負ひ来て
細谷喨々
確かにおっしゃる通りです。天道虫は小さい。漢字を当てると大きななりに見えるけれど、実際は小指の爪よりも小さい。掲句は五七五で読むよりも、「小さし」で切った方がよさそうです。ところで、天道虫は小さいという当たり前の事実に驚きながらそれを受け入れられるのは、背負っている秋空が天高く広大だからでしょう。空は青いゆえ、天道虫の朱色はくっきりとした輪郭を見せて存在を示します。生きているということは、大きい小さいではないな。むしろ、何を背負っているかではない かな。天道虫という名を背負い、秋空という実を背負っている天道虫の存在は、確かです。喨々さん。勇気をいただきました。ありがとうございます。句集では、「対峙してかぶきあひたる蜻蛉かな」が続き、こちらは歌舞伎役者が睨み合っているような蜻蛉です。「成田屋!」。これも、昆虫写真家のような構図のとり方が巧みで、ピントがバッチリ絞れています。『二日』(2007)所収。(小笠原高志)
October 112014
日本は蜥蜴のかたち秋日和
野崎憲子
ぼんやりとした残暑の空に澄んだ気配が感じられるようになったと思っていたら次々と台風がやってきて、雲ひとつない高い空を仰ぐことがほとんどないまま秋が深まってきてしまった。台風情報を得るために天気図を見る機会が多く、小さいながらも日本は細長いなと思っていたが、蜥蜴のかたち、とは個性的だ。多分、日向にじっとしている蜥蜴を見ているうちに、大きめの頭が北海道に、くねっとした体が本州に見えてきて、ということだろう。それでも十分自由な発想だが、もしかしたら作者は常々、日本列島って蜥蜴っぽいな、と感じていたのかもしれない。蜥蜴は夏季なので句にできそうだけれど、ただ形が似ていると言ってもつまらないし、と思っていたら、秋の日に誘われて出てきた蜥蜴に遭遇。明るさの中の瑠璃色の蜥蜴が生んだ秋日和の一句、にっぽん、という歯切れの良い音がさらに心地よい。『源』(2013)所収。(今井肖子)
October 102014
数ふ雁小さくちさくなりにけり
石川鐵男
ふと見上げた空を雁が渡っている。先頭に一羽が居て延々と続いている。中ほどが頭上にくるとざわざわざわざわと雄大な騒音となる。どの位の数だろうか、百羽で一固まり位の単位をいくつ数えても切がない。何と言う数の多さだろう。列の後尾を見送ると次第に点のように小さくなって悠久の空の染みとなり透明になりやがて消えゆく。雁の一族全体を一望の下に収め、ふと気を取り戻せばここにも雁と人間の一期一会の出会いと別れがあった。別れの無い出会いは無い。他に<弁慶が眼鏡で立ちし村芝居><風鈴や背にひんやりと聴診器><あだ名フグ師の名浮かばず桃の花>等々ペーソスに満ちた句がならぶ。『僕の細い道』(2006)所収。(藤嶋 務)
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