ナ木好q句

October 22102014

 河添の夜寒かなしき洲崎かな

                           芝木好子

崎は現在の江東区東陽町にあたる。昭和33年3月31日まで、吉原とならんで赤線の灯がともっていた。それを描いた川島雄三の傑作映画「洲崎パラダイス赤信号」(1956)が忘れられない。新珠三千代主演で、なぜか河津清三郎と轟夕起子も忘れがたい。その原作こそ芝木好子の小説「洲崎パラダイス」だった。現在の東陽町にはマンション群が建ちならんで、あのパラダイスの面影はなく、「夜寒」もすっかり様変わりした。この「河」は隅田川だと思う。(小名木川ではあるまい。)浅草で育った好子には、もともと一帯の土地勘があり、「洲崎パラダイス」を書くにあたって取材もしただろうから、赤線の街の夜寒は敏感に感じていただろう。河添の街の夜寒は格別かなしいだろうし、夜ごとの灯りも女も、やってくる男たちもかなしい。こういうかなしい街がなくなりつつあるのは結構だが、「女性が輝く職場」を標榜して、内閣の認証式で女性閣僚を周囲に侍らせてにっこりしていた総理大臣に、あきれて二の句がつけなかったのは、私だけだろうか。久保田万太郎に「吉原の菊のうはさも夜寒かな」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます