どこに行くわけでもないのに、天気予報が気になる。トシかなあ。(哲




2014ソスN11ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 04112014

 まだ駆くる脚の構へに猪吊らる

                           谷岡健彦

りで捕らえた獣を運ぶため、前脚、後脚をそれぞれ縛り、運搬用の棒を渡す。まだほのかに温みの残っている猪が、人間の足並みに合わせてゆらゆらと揺れる。大きな獲物を担いでいくのは大層難儀だが、山中のけわしい道では人力に頼るほかはない。四肢を持つ獣が運ばれるためにもっとも適したかたちが、天地は逆でこそあれ、野を駆ける姿と同じであることが、一層哀れを誘う。猪へと送る作者の視線は狩る側のものではないが、また過剰な憐憫を溢れさせた傍観者のものでもない。一撃さえ避けられれば、昨日と同じ今日が続いていたはずの猪を前に、それはまるで命を頂戴するための儀式でもあるかのようにも見えてくる。〈風船を身体浮くまで買へと泣く〉〈輪唱の焚きつけてゆくキャンプの火〉〈猫に店任せつきりの暦売〉『若書き』(2014)所収。(土肥あき子)


November 03112014

 青き天心文化の日こそ掃除の日

                           香西照雄

真面目な句風で知られる作者にしては、珍しく季語(「文化の日」)を揶揄している。中身を簡単に言えば、なんだかよくわからん祝日だから、結局は何の日にでもなり得ると、作句してみせているわけだ。作者はむろん、この日が戦前の明治節であることは知っている。しかしいくら戦後民主主義の世の中になったからといって、文化住宅や文化鍋くらいならまだしも、「文化干し」などという魚の干物までが登場する軽薄な文化ブームに便乗したような命名には、深い憤りを覚えているのだ。ならば「今日は掃除の日だよ」と言い切って、魚の干物よりは少しはマシだろうがと苦りきっているのだろう。と同時に、こんな良い天気の日に、ひとり腹を立てているのも馬鹿馬鹿しいなとも思っている。『合本・俳句歳時記・新版』(角川書店・1974)所載。(清水哲男)


November 02112014

 流星のそこからそこへ楽しきかな

                           永田耕衣

会いの絶景というは第一義上の事なり。これは、耕衣主宰『琴座』三百号(昭和50年)に掲げた俳句信条「陸沈の掟」十ヶ条の一つです。先週、10月26日(日曜)午前、私は神戸市兵庫区に滞在していました。この日の増俳は耕衣の「薪在り灰在り鳥の渡るかな」でしたが、神戸に来たからには何かしら故人の足跡を辿りたいと思っておりました。また、耕衣の句集を手に入れたいとも。持参した『永田耕衣五百句』の編者金子晉氏にお電話して著作を購入したい由を申し出ると、即座に 耕衣の愛弟子岡田巌氏のご住所と電話を紹介していただき、私はタクシーに乗り「そこからそこへ」「流星の」ごとく、岡田氏の自宅書斎に案内されました。書斎正面には、耕衣揮毫の「非佛」が太くでんと飾られていて、それは、井上有一の書に通底する自由闊達な動態です。耕衣は生前書画を多く描き、その遺作の大半は姫路文学館に収蔵されていますが、耕衣が愛蔵した何点かは師の遺志で岡田氏に託されていました。なかでも、耕衣が最も気に入って自宅書斎に飾っていた「ごって牛」の書画は、岡田氏預かりとなっておりました。二時間の滞在中、ありったけの書画を出して見せて下さった中で、いちばん最初に封を切って開いてくださった「ごって牛」には、「薪在り灰在り鳥の渡るかな」が揮毫されて いました。この日の増俳の句です。耕衣の書画に囲まれて二人、不思議な午後の西日に包まれておりました。「強秋(こわあき)ですね」と岡田氏。「強秋ですね」と私。尚、神戸に来るきっかけを作ってくださったのは、10月18日の余白句会あとの酒席で、阪神甲子園球場は「楽しきかな」と語ってくださった清水哲男さんです。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)




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