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November 04112014

 まだ駆くる脚の構へに猪吊らる

                           谷岡健彦

りで捕らえた獣を運ぶため、前脚、後脚をそれぞれ縛り、運搬用の棒を渡す。まだほのかに温みの残っている猪が、人間の足並みに合わせてゆらゆらと揺れる。大きな獲物を担いでいくのは大層難儀だが、山中のけわしい道では人力に頼るほかはない。四肢を持つ獣が運ばれるためにもっとも適したかたちが、天地は逆でこそあれ、野を駆ける姿と同じであることが、一層哀れを誘う。猪へと送る作者の視線は狩る側のものではないが、また過剰な憐憫を溢れさせた傍観者のものでもない。一撃さえ避けられれば、昨日と同じ今日が続いていたはずの猪を前に、それはまるで命を頂戴するための儀式でもあるかのようにも見えてくる。〈風船を身体浮くまで買へと泣く〉〈輪唱の焚きつけてゆくキャンプの火〉〈猫に店任せつきりの暦売〉『若書き』(2014)所収。(土肥あき子)


January 3112015

 大試験指切れさうな紙で来る

                           谷岡健彦

度か書いているが、大試験は本来三月の進級試験、卒業試験のことを表す言葉。しかしどうしても、一月から二月にかけての入学試験シーズンになると、大試験の句に目が行ってしまう。それは学校に勤めているからか、自らの入学試験の失敗が未だに思い出されるからか、その両方なのか。掲出句は、来る、の一語に臨場感があり、受験生の視点で作ることで試験会場全体に漲る緊張感が見える。受験生に、出題者の意図を見抜け、などと言うことがあるが、入学試験は紙一枚の上で繰り広げられる、作問するものとそれを解くものの一発勝負なのだ。東京の私立中学入学試験の多くは明日から三日間。他に<木枯の向かうにわが名呼ぶ声す><若書きの詩の燃え立つ焚火かな>。『若書き』(2014)所収。(今井肖子)




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