肌寒くなってきましたね。東京地方は終日降雨という予報です。(哲




2014ソスN11ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 09112014

 少年を噛む歓喜あり塩蜻蛉

                           永田耕衣

蜻蛉が、少年の瑞々しい皮膚を噛む。少年の肉汁を内臓に取り込んだ塩蜻蛉は、それをエネルギーにして、生殖行動の歓喜に向かって飛び発つ。少年の肉体は、交尾後の産卵へと繋がっているが、少年はそれを知らない。一方、はじめてトンボに噛まれた少年は、噛まれる痛みを受苦します。噛まれた痕跡は、やがて消失しますが、噛まれた痛みは記憶として残り続けます。それは、自然界が授ける予防接種でもあるでしょう。ところで、大人になった少年は、甘噛みの歓喜に目覚めます。しばらく忘れていた 塩蜻蛉の記憶が、性の指南であったことを悟ったかどうかは定かではありません。掲句には、野球で言う先攻と後攻があるように思われます。表のあとには裏がある。噛む側が居れば、その後に、噛まれる側の人生が始まる。耕衣の「陸沈の掟」十ヶ条から二つ引きます。*「存在の根源を追尋すべき事。存在の根源はエロチシズムの根源なり。精気あるべき故に。」*「自他救済に出づべき事。先ず俳句は面白かるべし。奇想戦慄また命を延ぶに価す。即ち生存の歓喜を溶解するの力価を湛うべし。」これらの言からも、塩蜻蛉の歓喜は、エロチシズムとして少年の肉体に伝播し得たと読みました。尚、今年の「日本一行詩大賞特別賞」を受賞した清水昶氏の『俳句航海日誌』に、「耕せば永田耕衣の裏畑」があるこ とを、編者の一人久保隆氏から教わりました。ありがとうございました。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)


November 08112014

 帰り花顔冷ゆるまでおもひごと

                           岸田稚魚

だ帰り花といえば桜、この句の帰り花もそうだろう。何かをずっと考えながら、ゆっくり歩いているのかベンチに座っているのか。ふと空を見上げたその視線の先に帰り花が光っていたのだ。その瞬間の小さな驚きと、口元が少しほころんでしまうくらいの喜びに、現実に引き戻された作者はのびの一つでもして大きく深呼吸をしたことだろう。おもひごと、という表現はそれほど深刻な悩みという感じではなく、唯一むきだしの顔は気づけば冷えきってしまっているけれど寒くてつらいというわけでもなく、作者のなんとなく微笑んだ顔が浮かんでくるのは、帰り花であるからこそだ。やはり帰り花は、咲いてないかなあ、と探すものではないのだとあらためて思った。『関東ふるさと大歳時記』(1991・角川書店)所載。(今井肖子)


November 07112014

 金色の鳥の絵のあり冬館

                           涼野海音

色の鳥とは何だろう。またいかなる佇まいの館なのだろう。二つの具体的提示もそれから先は読者の想像に委ねられる。まず絵のある館は冬木立に囲まれてひっそりとしている。窓の外には落葉が積って、見通しの良い木立の間を小鳥たちが飛びかっている。私の想像は勝手に巡り階段途中に飾られた立派な額縁の絵画へ向かう。映画のシーンの残影かも知れぬ。さて金色の鳥が思い着かない。黒なら鴉で決まりだが金色となると。ヒワやオウムやアマサギは黄色に映るが金色ではない。頭の中が乱反射して鴉が絶滅危惧種になる事があるや否やなどと混乱の域に入った。心が空になった次の一瞬、ふっと手塚治虫の火の鳥が羽ばたいて心に収まった。他に<木の実落つ鞄に未発表の稿><われに似ぬ弟ひとり冬林檎><引出しに星座盤あり冬籠>など。『一番線』(2014)所収。(藤嶋 務)




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