大相撲九州場所がはじまった。満員御礼。やはりスターがいないと。(哲




2014ソスN11ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 10112014

 ストーブを部分解禁する朝

                           森泉理文

業した高校(都立立川高)では、例年十一月一日が、スチーム暖房の解禁日だった。朝礼で校長が「都内の高校多しといえどもこんなに早く暖房をはじめるのは本校のみである」と威張ったものだった。公的な施設ではこのように暖房が解禁されるが、これが個人の家庭ともなれば、むろんこうはいかない。肌寒くなってきても、「まだ大丈夫、我慢できる」と、解禁を一日延ばしにするのが普通だろう。燃料費も馬鹿にならないし、一度暖房を入れてしまえばわずかな気温の差で止めたり点けたりするのは不可能に近いからだ。一度点けてしまえばそのまま春まで継続することになる。したがって、寒い部屋から「部分解禁する」のにも慎重にならざるをえない。作者は長野県佐久市に在住。東京などよりよほど寒い地方だから、もう「部分解禁」をされたころだろうか。『春風』(2014)所収。(清水哲男)


November 09112014

 少年を噛む歓喜あり塩蜻蛉

                           永田耕衣

蜻蛉が、少年の瑞々しい皮膚を噛む。少年の肉汁を内臓に取り込んだ塩蜻蛉は、それをエネルギーにして、生殖行動の歓喜に向かって飛び発つ。少年の肉体は、交尾後の産卵へと繋がっているが、少年はそれを知らない。一方、はじめてトンボに噛まれた少年は、噛まれる痛みを受苦します。噛まれた痕跡は、やがて消失しますが、噛まれた痛みは記憶として残り続けます。それは、自然界が授ける予防接種でもあるでしょう。ところで、大人になった少年は、甘噛みの歓喜に目覚めます。しばらく忘れていた 塩蜻蛉の記憶が、性の指南であったことを悟ったかどうかは定かではありません。掲句には、野球で言う先攻と後攻があるように思われます。表のあとには裏がある。噛む側が居れば、その後に、噛まれる側の人生が始まる。耕衣の「陸沈の掟」十ヶ条から二つ引きます。*「存在の根源を追尋すべき事。存在の根源はエロチシズムの根源なり。精気あるべき故に。」*「自他救済に出づべき事。先ず俳句は面白かるべし。奇想戦慄また命を延ぶに価す。即ち生存の歓喜を溶解するの力価を湛うべし。」これらの言からも、塩蜻蛉の歓喜は、エロチシズムとして少年の肉体に伝播し得たと読みました。尚、今年の「日本一行詩大賞特別賞」を受賞した清水昶氏の『俳句航海日誌』に、「耕せば永田耕衣の裏畑」があるこ とを、編者の一人久保隆氏から教わりました。ありがとうございました。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)


November 08112014

 帰り花顔冷ゆるまでおもひごと

                           岸田稚魚

だ帰り花といえば桜、この句の帰り花もそうだろう。何かをずっと考えながら、ゆっくり歩いているのかベンチに座っているのか。ふと空を見上げたその視線の先に帰り花が光っていたのだ。その瞬間の小さな驚きと、口元が少しほころんでしまうくらいの喜びに、現実に引き戻された作者はのびの一つでもして大きく深呼吸をしたことだろう。おもひごと、という表現はそれほど深刻な悩みという感じではなく、唯一むきだしの顔は気づけば冷えきってしまっているけれど寒くてつらいというわけでもなく、作者のなんとなく微笑んだ顔が浮かんでくるのは、帰り花であるからこそだ。やはり帰り花は、咲いてないかなあ、と探すものではないのだとあらためて思った。『関東ふるさと大歳時記』(1991・角川書店)所載。(今井肖子)




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