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November 10112014

 ストーブを部分解禁する朝

                           森泉理文

業した高校(都立立川高)では、例年十一月一日が、スチーム暖房の解禁日だった。朝礼で校長が「都内の高校多しといえどもこんなに早く暖房をはじめるのは本校のみである」と威張ったものだった。公的な施設ではこのように暖房が解禁されるが、これが個人の家庭ともなれば、むろんこうはいかない。肌寒くなってきても、「まだ大丈夫、我慢できる」と、解禁を一日延ばしにするのが普通だろう。燃料費も馬鹿にならないし、一度暖房を入れてしまえばわずかな気温の差で止めたり点けたりするのは不可能に近いからだ。一度点けてしまえばそのまま春まで継続することになる。したがって、寒い部屋から「部分解禁する」のにも慎重にならざるをえない。作者は長野県佐久市に在住。東京などよりよほど寒い地方だから、もう「部分解禁」をされたころだろうか。『春風』(2014)所収。(清水哲男)


March 1932015

 本名は知らず付き合ふすみれ草

                           森泉理文

会をはじめとする俳句の集まりは来るものは拒まず、去る者は追わずが原則。俳号を知っていても、本名や仕事はもちろん私生活もわからないことも多い。句会という場を通じて句を読みあう仲で、10年以上毎月顔を合わしていながらに何も知らないままいつの間にか付き合いが途絶えることも珍しいことではない。淡い付き合いだけど句を取り合う間に相手の感性の在りどころも考え方も自ずとわかってくる。そんな相手と顔を合わすのはトレッキングやハイキングでひっそりと咲くすみれ草を足元に見つけた気持ちに似ているのかも。芭蕉の「山路来て何やらゆかしすみれ草」の心持にも通じる。道のべに咲くこの花のように目立たなくて、かそけき付き合いかもしれないけど大事な付き合い、本名を知らないままふと気づけば会うこともなくなった。それもまた心にしみるものだ。『春風』(2014)所収。(三宅やよい)




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