冬のボーナス、平均89万円強。どこの世界のハナシなのか。(哲




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November 14112014

 帰る家が見つかったかいつばめさん

                           如月はつか

に燕は遠く台湾や東南アジアより飛来し秋には帰る。「燕」が春の季語なら「帰燕」は秋の季語である。日本の各地で子を孵し育てる。夏の間市街地や村落で育った若い燕も次第に郊外の河原の葦原、海岸、湖沼などに集まる。ここに子育てのすんだ親鳥たちも合流し大群となり日本を離れてゆく。慣れ親しんだ彼らも今は帰り、街は心なしか淋しくなった。遠いお国に無事着いて安住の家が見つかっただろうか。旅のつばくろ達者で居てね。<結末の分かっている恋雪解風><ブティックのShow windowのみ春の風><独り泣くいつの間にやら虫が鳴く>など。大人に成る前の作者のつぶやきが聞こえる句集。思春期の危うくも敏感な感受性もやがて大人になって錆びついて鈍くなってゆくのだろう。命短し恋せよ乙女、脱線した、面目ない。『雪降る予感』(1993)所収。(藤嶋 務)


November 13112014

 後ろ手に歩むは鴨の気持ちかな

                           こしのゆみこ

らりと晴れあがった気持ちのよい道を何も持たずに、手を後ろに回してぶらぶら歩いているのだろう。陸に上がった鴨は羽を後ろに揃え、水かきをつけたオレンジの足でよたよた歩く姿がユーモラスで可愛い。「気持ちかな」だから手を使わずに足だけを推進力に進むその動き、おしりが自然と左右にふれる動作に鴨の気持ちを味わっている。直喩や見立てだと対象に距離感があるが、自分の気持ちにぐっと引きつけて詠んだことで後ろ手に歩く人の姿とよたよた歩く鴨が自然に重なる。なんだか私も後ろ手で歩くたびに鴨の気持ちになって歩けそうな気がする。『コイツァンの猫』(2009)所収。(三宅やよい)


November 12112014

 錦秋の中に小さき小海線

                           中島誠之助

ごとな秋色に彩られた紅葉を錦秋と呼ぶことは、俳人ならずともご存知のはず。紅葉のさかりの山などは、まるで山火事のごとく激しく炎え立っている。小淵沢から小諸まで通じているのが小海線。のどかなローカル線である。私はかつて、仕事で八ヶ岳へ行くのに何回となくこの線を利用したことがある。沿線は観光的に開発されてしまったが、場所によっては電車の窓いっぱいに錦を広げたか、と錯覚されるような紅葉が見られる。また、高原のコスモスの鮮やかな色どりも忘れがたい。錦に包まれたような丘陵や山を縫うようにして、二、三輛編成の電車がゆったりコトコト走っている。電車も炎え立つ錦にすっぽり包まれているようだ。誠之助はご存知の古美術鑑定家。私はテレビの「開運! なんでも鑑定団」が好きで観ているが、たとえ偽物でも、この人は「いい仕事していますね。大事になすってください」とやさしい言葉をかける。俳号は閑弟子(かんていし)、句集に『古希千句』(2010)がある。「俳壇」(2014.11)所載。(八木忠栄)




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