十二月。不景気風が吹いているなか、選挙が行われる。結果や如何。(哲




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December 01122014

 老い兆す頭ごなしに十二月

                           小嶋萬棒

いは、いずれは訪れるにしても、万人に共通の年齢で訪れるわけではない。私の体験や観察によれば、あまり年齢には関係なく、兆はある日突然のようにやってくる。どうも身体の具合がおかしいな、復調しないなと感じはじめたときには、それが老いの兆なのだ。認めたくはないけれど、そうなったらもう以前の体調には戻らないのである。若いころの身体の不調ならば、ほとんどが復調するのだが、そうはいかなくなってくる。そこが老いの辛いところで、そうなったらひたすらに不具合が進行しないようにと願うわけだが、そのためには時間にゆっくり流れてくれるよう祈るくらいしか術がない。しかし、その気持ちが強ければ強いほど、時間が早く流れていくように感じられる。もう今日から十二月。私にも有無を言わさず「頭ごなしに」やってきた。『新版・俳句歳時記』(雄山閣出版・2001)所載。(清水哲男)


November 30112014

 池を出ることを寒鮒思ひけり

                           永田耕衣

鮒が池を出る方法は三つある。一つ目は、飛び跳ねて池辺りに出ることだが、これは自死である。二つ目は、青鷺のような大きな鳥に捕獲されることで、これも死ぬことになる。三つ目は、腕利きの釣り師にうまく釣り上げられることだ。この寒鮒の棲まいは、湖でも川でも海でもない池です。商業的な目的で作られた管理釣場に生きる鮒は、日々、鼻先にエサを突きつけられていて、食欲に関しては不感症になるくらいスレています。狡猾な釣り人とのかけひきに暮らしていますから、人間の浅知恵 くらいは学習しているはずで、少なくとも、この池の中で生き抜く能力では人知を凌駕しています。ところが今日、今まで見たことのない針の動きを目にしました。ふつうの針は、自然に漂っているように見せかけながら、しかし、釣り師の欲望は竿から糸、糸から針へと伝わってきて、それは、魚類特有の嗅覚で感知できます。ところが、この針にはそんな臭いがしない。まるで、水を釣りに来たような無欲な針である。寒鮒は、この針を目にして、釣り師の顔を見たくなったのではないでしょうか。スレているゆえに、天の邪鬼な性質(たち)なのです。さて、釣り師は、本当に水を釣りに来た無欲な御仁であったかどうかは定かではありませんが、寒鮒の口元を損なうことなくきれいに釣り上げました。その後 、リリースしたのか、自宅の水槽で飼うことにしたのか、鮒鮨にしたのか、これも定かではありません。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)


November 29112014

 なきがらを火の色包む冬紅葉

                           木附沢麦青

たこの季節がめぐって来たな、と感じることは誰にもあるだろう。それは、戦争や災害など多くの人が共有することもあれば、ごく個人的な場合もある。私の個人的な場合はちょうど今時分、父が入院してから亡くなるまでのほぼひと月半ほどのこと。病院へ向かう道すがら、欅紅葉が色づいてやがて日に日に散っていった様がその頃の心の様と重なる。掲出句の作者は、今目の前の冬空に上ってゆくひとすじの煙を見上げながら鮮やかな冬紅葉の色に炎の色を重ねつつ、亡くなったその人を静かに思っている。冬紅葉、の一語に、忘れられない風景と忘れかけていた淋しさが広がるのを感じている。『花の大歳時記』(1990・角川書店)所載。(今井肖子)




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