投票日。某党候補を落すために、腰痛を我慢して投票所に。(哲




2014ソスN12ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 14122014

 冬の暮何の疲労ぞ鮒を飼ひ

                           永田耕衣

滞しています。冬の暮は、季節の谷底です。植物は枯れ、動物の死骸は干からびて吹き溜まります。季節に感応しやすい作者は、どん底の時間を甘受しつつ、口まで吸って愛した鮒を飼うことに疲労を感じています。(「寒鮒の口吸う泣きの男かな」)。これは、二者の関係の絶頂は過ぎ、もう下降していく未来しかない時に生ずる疲労なのかもしれません。かたや、鮒はどう思っているのでしょう。あれほど強く求愛されてほだされて身を任せたものの、水槽生活はあまりに四角四面です。たしかに 、餌は安心して食べられます。水質も濾過装置がはたらいていて、常にきれいです。しかし、池の中にいた時のような、冒険したり、駆け引きに身を隠したり逃れたりした後にやってくる心地よい疲労がありません。鮒は、清潔で安全で豊かで、何ひとつ不安のない生活と引き換えに、ときめきを喪失したことを自覚しました。作者も、鮒の自覚を季節の谷の底で認識して、抜け出すことのできない疲労感に陥っています。なお、句集には他に「濁り鮒亡父母も共に潜り行く」「寒鮒の死にてぞ臭く匂ひけり」があります。生きている鮒は、生きるための新陳代謝をおこなっているので鮮度がいいのに対して、死んだ鮒は、生態系の中で分解される時、化学反応の臭気を発散します。耕衣は、生の新鮮さと死の化学 の両方を一方に偏らず、一方を美化することなく、公平な眼で写実しています。ここに、収支決算ゼロという耕衣の特質の一つを見いだします。数学的に言えば、左辺と右辺は等しいということになり、幸福と不幸、快楽と苦痛、それぞれのエントロピーもまた等しいということになるのでしょう。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)


December 13122014

 焚火してけふを終らす大工かな

                           松川洋酔

斗缶の火を囲む数人の大工、その日に出たカンナ屑など燃やしているのだろう。煙の香りが懐かしくよみがえるが、在来工法が少なくなった上、おいそれと焚火などできなくなってしまった現在ではほとんどお目にかかれない光景だろう。先日も二十代後半の知人に、キャンプファイヤー以外の焚火を見たことがない、と言われて驚いたがよく考えてみれば、さもありなんだ。掲出句は平成二十四年の作。<水舐めて直ぐにはたたず冬の蝶    >など、よく見て一句を為す作者であるが掲出句の、かな、は、過去の一場面をふと思い出しているような余韻が感じられる。<   湯たんぽの火傷の痕も昭和かな >。『水ゑくぼ』(2014)所収。(今井肖子)


December 12122014

 浮寝鳥同心円を出でざりき

                           柴田奈美

とか鳰とか鴛鴦などは秋に渡来し越冬する。冬の間は湖水、河川、潟や海で餌をあさり寒い水の上で冬を過ごす。飛ぶもの潜るもの姿態は様々であるが、特に水上に浮かんで寝るものを浮寝鳥と言う。群れで渡来はするもののエサ取り羽繕いなど個別の生活作業もある。が常時仲間の気配を察知しながら落こぼれないように暮している。見渡せばみんな同心円の中でそうしている。一人は淋しい。寒くても貧しくても誰かと居ることは心強く嬉しい。他に<蜩や静かにその人を赦す><いち早く座ってをりぬ冷奴><病身の姉は叱れずさくらんぼ>などあり。『黒き帆』(2007)所収。(藤嶋 務)




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