リ檀句

January 0712015

 役者あきらめし人よりの年賀かな

                           中村伸郎

っから芝居がたまらなく好きで堅実に役者をめざす人、ステージでライトに照らし出される華やかな夢を見て役者を志す人、他人にそそのかされて役者をめざすことになった人……さまざまであろう。夢はすばらしい。大いに夢見るがよかろう。しかし、いっぱしの役者になるには、天分も努力も必要だが、運不運も大いに左右する。幸運なめぐり合わせもあって、役者として大成する人。ちょいとした不運がからんで、思うように夢が叶わない人。今はすっぱり役者をあきらめて、別の生き方をしている人も多いだろう。(そういう人を、私も第三者として少なからず見てきた)同期でニューフェイスとしてデビューしても、一方は脱落して行くという辛いケースもある。長い目で見ると、そのほうが良かったというケースもあるだろうし、その逆もある。このことは役者に限ったことではない。「役者をあきらめし人」の年賀をもらっての想いは、今は役者としての苦労もしている身には複雑な想いが去来するのであろう。親しかった人ならば一層のこと。そういう感懐に静かに浸らせてくれるのが年賀であり、年頭のひと時である。虚子の句に「各々の年を取りたる年賀かな」がある。平井照敏編『新歳時記・新年』(1996)所収。(八木忠栄)


January 1412015

 まゆ玉や一度こじれし夫婦仲

                           久保田万太郎

が子どもだった頃の正月の行事として、1月15日・小正月の頃には、居間にまゆ玉を飾った。手頃な漆の木の枝を裏山から切ってくる。漆の木の枝は樹皮が濃い赤色でつややかできれいだった。その枝に餅や宝船、大判小判、稲穂、俵や団子のお菓子など、色も形もとりどりの飾りをぶらさげた。だから頭上で部屋はしばし華やいだ。豊作と幸運を祈願する行事だったが、今やこの風習は家庭では廃れてしまった。掲出句の前書に「昭和三十一年を迎ふ」とある。万太郎夫婦は前年に鎌倉から東京湯島に戻り住んだ。当時、万太郎の女性問題で、夫婦仲は良くなかったという。部屋に飾られて多幸を祈念するまゆ玉は新年にふさわしい風情だが、そこに住む夫婦仲は正月早々しっくりしていない。部屋を飾る縁起物と、スムーズにいかない夫婦関係の対比的皮肉を自ら詠んでいる。万太郎の新年の句に「元日の句の龍之介なつかしき」がある。これは言うまでもなく龍之介の「元日や手を洗ひをる夕ごころ」を踏まえている。関森勝夫『文人たちの句境』(1991)所載。(八木忠栄)


January 2112015

 冬銀河男女黙せるまま老いぬ

                           橋本真理

人同士、あるいは若い夫婦なら向き合ってよくしゃべる。けれども一般的に、年齢とともに会話は少なくなっていくケースが多い。あるレストランで、中年の男女が活発によくしゃべっている。それを遠くから見ている人が連れの人に言う。「ふたりは夫婦じゃないな」「どうして?」「夫婦だったら、あんなによくしゃべらない」ーーというくだりがある小説を読んだことがあり、ナルホドと感心したものである。例外はもちろんあるだろうけれど、夫婦の会話は年齢とともにどうしても減ってくる。ま、「要用のみにて失礼します」というわけだ。掲出句の「男女」は夫婦なのかも知れない。会話は減ってきても、冬の夜空をまたいでいる銀河だけは相変わらず冴えわたっている。そこに黙せる男女を配置したことによって、冬銀河がいっそう冴え冴えと見えてくる。「黙せるまま」と言っても、二人とも特に仲が悪いわけではない。むしろ自然体なのであって、両者に格別の不満があるわけではないのだろう。「冬銀河」と「老い」とが鮮やかな対比を示しているところに注目したい。作者の句は他に「蝶凍てて夢の半ばも夢の果て」がある。「長帽子」76号(2014)所収。(八木忠栄)


January 2812015

 ふるさとの氷柱太しやまたいつか見む

                           安東次男

東次男(俳号:流火草堂)は山に囲まれた津山の出身。冬場は積雪もかなりあり、寒冷の地である。近年の温暖化で、全国的に雪は昔ほど多くは降らない傾向にあるし(今冬は例外かも知れないけれど)、太い氷柱は一般に、あまりピンとこなくなった。雪国に育った私には、屋根からぶっとい氷柱が軒下に積もった雪まで届くほどに、まるで小さな凍滝のごとき観を呈して連なっていたことが、記憶から消えることはない。それを手でつかんで揺すると、ドサッと落ちて積雪に突き刺さるのをおもしろがって遊んだ。手を切ってしまうこともあった。時代とともに氷柱もスリムになってきたかも知れない。「氷柱太し」という表現で雪が多く、寒さが厳しいことが理解できる。「またいつか見む」だから、帰省した際に見た氷柱の句であろう。初期の作のせいか、次男にしては素直でわかりやすく詠まれている。『安東次男全詩全句集』に未収録の俳句391句、詩7編が収められた『流火草堂遺殊』(中村稔編/2009)に掲出句は収められている。同書には「寒雷」「風」などに投句された作も収められ、処女作「鶏頭の濡れくづれたり暗き海」も収録されるなど、注目される一冊。(八木忠栄)


February 0422015

 母逝くや雪泣く道は骨の音

                           金原亭世之介

まれている「道」は二つ考えられる。母の訃報を聞いて急いで駆けつける雪道と、もう一つは母の葬列が進む雪道である。「骨」が詠まれているところから、後者・葬列の雪道の可能性が強いと考えて、以下解釈する。葬列は静かに雪道を進む。踏みしめる雪のギュッギュッと鳴る音がする。その音は母を送りつつ心で泣いている自分(あるいは自分たち一同)の悲しみとも重なる音である。せつないようなその音はまた、亡くなった母の衰えてなお軋む骨の音のようにも聞こえる。火葬場へと送られて行く母の骨の音であるばかりでなく、送って行く人たちの悲しみで骨が軋むような音でもあるのだろう。長い列をつらねて野辺送りをする光景は、現在では見られなくなった。霊柩車が悲しみを吹き消すかのように死者をさっさと運んで行くが、雪道を進む霊柩車であっても、「雪泣く道」や「骨の音」の悲しみに変わりはない。世之介は落語協会の中堅真打で、高座姿がきれいだ。俳句も熱心である。他に「母よまだ修羅を押すのか年の暮」がある。『全季俳句歳時記』(2013)所収。(八木忠栄)


February 1122015

 うつぶせの寝顔をさなし雪女

                           眞鍋呉夫

女といえば眞鍋呉夫である。「雪女」を詠んだ秀句が多いし、だいいち『定本雪女』(1998)という名句集があるくらいだ。掲出句も同書に収められている。「寝顔をさなし」ゆえ、呉夫にしては一見やさしそうな(あるいは幼い)雪女であるように思われるかもしれない。しかも「うつぶせ」になっているのだ。しかし、この雪女は幼童ではなく大人であろう。たとえ雪女であっても、寝顔そのものは幼く見えることもあろう。まして、うつぶせになっているのだから無防備に近い。けれども、どうしてどうして、呉夫の句はクセモノである。寝顔は幼いかもしれないが、目覚めればたちまち恐ろしく妖艶な雪女に一変するに決まっている。寝顔が幼いところに、むしろ雪女の怖さがじつはひそんでいる。呉夫の雪女が芯から幼いはずがないーーと考えてしまうのは、こちらの偏見だろうか。寝顔が幼いからこそ雪女には油断ができない。雪女の寝顔をそっとのぞきこんで、このような句を作ってしまう呉夫の形相も、雪女に負けず恐ろしいことになっているにちがいない。雪女の句が多いなかで、「口紅のあるかなきかに雪女」を挙げておこう。(八木忠栄)


February 1822015

 雪晴れて杉一つ一つ立ちにけり

                           川端康成

が降ったあとの晴天は格別気持ちがいい。冬とはいえ、文字通り気分も晴れ晴れする。雪が少々枝葉にまだ残っている杉の山を前にしているのだろうか。冬場の杉の木は、特に遠くからは黒々として眺められる。だから杉の木の一つ一つが、あたかも意志をもって立っているかのように目に写っている。「立ちにけり」としたことで、杉の木の意志のようなものを作者は特別に感じているのだ。あのギョロリとした康成の眼も感じられないだろうか。晴れの日、曇りの日、雪の日、それぞれ杉の木も天候によってちがって見える。ここは松などではなく、スッとまっすぐに立つ杉でなくては、雪晴れとのすっきりとしたバランスがとれない。康成の句を評して、村山古郷は俳句の立場から「非常に高い象徴性、陰影と余韻に富んだその文章は、俳句表現の省略法と集注法を加味した点で、俳句的な独自な文体といえるのではあるまいか」と評している。康成にはいくつかの俳句があり、「先づ一羽鶴渡り来る空の秋」もその一つ。『文人俳句歳時記』(1969)」所収。(八木忠栄)


February 2522015

 春待つや寝ころんで見る犬の顔

                           土屋耕一

だ寒さは残っているが、暖かい春を待つ無聊といった体であろう。忙しい仕事の合間の時間がゆったり流れているようだ。下五は「妻の顔」でも「おやじの顔」でもなく、「犬の顔」であるところに素直にホッとさせられる。耕一は犬が好きだったのだろうか。この句をとりあげたのには理由がある。よく知られている「東京やなぎ句会」とならんで、各界の錚々たる顔ぶれが集まった「話の特集句会」があることは知っていた。現在もつづいている。そのリーダー・矢崎泰久の新著、句会交友録『句々快々』を愉快に読んだ。同句会は1969年1月に第一回が開催されている(「東京やなぎ句会」も同年同月にスタート)。そのとき兼題は五つ出され、「春待つ」はその一つ。耕一はコピーライターで、回文の名手で知られた。例えば回文「昼寝をし苦悩遠のく詩を練る日」もその一つ。回文集のほか、句集に『臨月の桃』がある。俳号は「柚子湯」(回文になっている)。第一回のとき、同じ兼題で草森紳一「長いカゼそれっ居直って春待たん」、和田誠「春を待つ唄声メコンデルタの子」他がならんでいて賑やかだ。この日の耕一には「ふり向けばゐるかも知れず雪女郎」の句も(こちらは兼題「雪女郎」)ある。『句々快々』(2014)所載。(八木忠栄)


March 0432015

 竹聴いて居る春寒の厠かな

                           尾崎紅葉

月4日の立春から一箇月過ぎても、まだ冬を思わせる日がある。春とは言え寒気はまだ残っている。「春寒」は「余寒」と同じような意味があるけれど、「春寒」は「春」のほうに重心がかかり、「余寒」は「寒」のほうに重心がかかるというちがいがあるようだ。「竹聴いて」は、厠の外に植えられている何本かの竹の枝葉を吹き抜ける風、まだ寒さの残るういういしい春風のかすかな音に、耳傾けているように思われる。厠でしばし息抜きをしている売れっ子文士の、つかの間の時間がゆったりと流れている。厠はまだ寒いけれど、春がすぐそこまで近づいていることに対する、うれしさも感じられるようだ。「竹」と「厠」の対応がしっくりして感じられる。紅葉は子規の「日本派」と対立する結社「秋戸会」の代表幹部だった。その俳句は小説家の余技の域を超えていたし、本格的に苦吟に苦吟を重ねたと言われる。死後に『紅葉山俳句集』『紅葉句帳』『紅葉句集』などが刊行された。他に「雪解や市に鞭(むちう)つ牛の尻」「子雀や遠く遊ばぬ庭の隅」など、本格的である。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


March 1132015

 春の夕焼背番「16」の子がふたり

                           ねじめ正也

番号「16」と言えば、わが世代にとって巨人軍の川上哲治と決まっていた。文句なしに「スーパー・スター」だった。「16」は特別な数字であり、当時の子どもたちはいつでも「16」という数字にこだわっていた。私などは今でも下足札で「16」にこだわっていることがあって、思わず苦笑してしまう。日が暮れるのも忘れて、野球に夢中になっている子どもたち。背番号「16」を付けた子がふたり……いや、みんなが「16」を付けたがっていた。そんな時代があった。今でも忘れない、千葉茂は「3」、青田昇は「23」、藤村富美男は「10」、別当薫は「25」etc. 正也はねじめ正一の父で俳人だった。この句は昭和33年に詠まれた。正也33歳、正一10歳。正也は川上哲治の大ファンで、「あの川上の遠心力を使ったようなスイングが魅力的だった」とよく語っていたという。正一も野球少年で、小六のとき草野球チームに入っていて、大の長嶋ファンだった。父はキャッチボールの相手をしてくれたという。(私なども小学生だった息子を相手に、よくキャッチボールをしたものだ。)今の野球少年たちにとって、憧れの背番号は何番だろうか? 野球よりもサッカーで「10」か。正也には息子を詠んだ「啓蟄や俳句に父をとられし子」がある。嗚呼。『蝿取リボン』(1991)所収。(八木忠栄)


March 1832015

 肩ならべ訪ふぶらんこの母校かな

                           柳家小三治

句では「ぶらんこ」は「ふらここ」「ふらんど」「鞦韆」「秋千」など傍題がいくつかある。その状況や句姿によって、さまざまな遣い方があるわけだ。小学校だろうか、何かの用があって友人と一緒に母校を訪ねたのだろう。単に訪ねたというだけでなく、その折に昔よく遊んだぶらんこが懐かしく、二人そろって乗ってみたときの情景である。その気持ちはいかにも「母校かな」(!)であろう。ところで、こんなことが数年前にあった。ーー四谷四丁目に、しっかりした木造の廃校になった校舎をそのまま活用して、区民の公共施設として今なお使われている大きな旧小学校がある。私が参加しているある句会は、ここで毎月開催されている。この旧小学校にかつて柳家小三治が学んでいたことを、何かで知った私は俳句もやっている小三治師に、その旨ハガキを出した。さっそく返事が来て「四谷第四小学校卒業生・柳家小三治」とあった。さすが落語家、シャレたものです。愉快! 但し、掲出句の「母校」が旧四谷第四小学校か否かはわからない。二期四年間務めた落語協会会長を昨年任期満了で退任された。他に「天上で柄杓打ち合う甘茶かな」がある。『五・七・五 句宴四十年』(2009)所載。(八木忠栄)


March 2532015

 海凪ぎて春の砂丘に叉銃せり

                           池波正太郎

や「叉銃」(さじゅう)などという言葉を理解できる人は少ないだろう。兵士が休憩するときに、三梃の銃を交叉させて立てておくことである。「海凪ぎて春の砂丘」だから、およそ物騒な「銃」とは遠い響きをあたりにこぼして、しばしのんびりとした砂丘の光景が見えてくる。正太郎は兵隊で米子にいた若い頃、短歌や俳句をかなり作ったそうだから、鳥取の砂丘あたりでの軍事訓練の際のことを詠んだものと思われる。叉銃して、しばし砂丘に寝転がって休んでいる兵士たちが、点々と見えてくるようだ。訓練ならばこその図である。なかには、故郷の穏やかな海を思い出している兵士もいるのだろう。砂丘に迫る日本海でさえ凪いで、しばし春にまどろんでいるのかもしれない。「凪ぎ」「春」と「銃」の取り合わせが妙。正太郎晩年の傑作「剣客商売」などには、特に俳句の心が生かされていると大崎紀夫は書いている。掲出句は21歳のときの作で、18歳のときの句に「誰人が手向けし菊や地蔵尊」がある。大崎紀夫『地図と風』(2014)所載。(八木忠栄)


April 0142015

 あの人もこの人もいて春の夢

                           矢崎泰久

もが若いころに見る夢は果てしなく拡がりをもった、まさに「ユメのような夢」が多いのではあるまいか。大いにユメ見るべし、である。しかし、齢を重ねるにしたがって、見る夢も当然ちがってくる。「あの人もこの人も」のなかには、もちろん生きている人もいるだろうけれど、生前交流があって、黄泉に旅立つ「あの人・この人」がどうしても年々歳々増えてくる。それゆえ現実よりも、春の夢のなかに登場する人たちとの交流のほうが賑やかになってくることになる。敬愛する先人や良友悪友たちが登場する夢も、春なればこそ懐かしく忘れがたいものとなる。泰久は「話の特集」の名編集長として、各界の錚々たる人たちとの交遊があった。そうした人たちが集まる「話の特集句会」は、1969年から今日に到るまでつづいているユニークな句会である。ちなみに、その句会では短冊が賞品。賞金は天:700円、地:500円、人:300円。いいなあ。一昨年春の句会で、三人が掲出句を〈天〉に抜いたという。泰久の句には、他に「飛び魚は音符散りばめ海を舞ふ」など多数ある。俳号は華得。『句々快々』(2014)所載。(八木忠栄)


April 0842015

 春の旅おまけのような舟に乗り

                           平田俊子

業詩交流歌会句会という集まりの「エフーディの会」がある。そのメンバーのうち女性ばかり六人が、昨年4月に四国へ二日間の吟行に出かけたらしい。俊子もその一人。吟行というものはそもそも楽しい催しだが、詩・短歌・俳句・小説の錚々たる女性ばかり六人が寄ってたかって……となれば、さぞかし……と推察される。掲出句は、その折に俊子が「いよいよ伊予2」と題して後日発表した九句のうちの一句。(彼女は「いよいよ伊予1」と題して、短歌六首も同時に発表している。)御一行の「春の旅」は、かしましくも華やいでいたことだろう。俊子の短歌には「男らの悪口いえば女らの旅の車内はいよよ華やぐ」という一首がある。なるほど、さぞや! 「おまけのような舟」がこの句のポイントだが、東直子のレポートによれば、ごく幅のせまい川を小舟で所要数分、タダで渡ったらしいから、ご立派ではなくていかにも「おまけ」ほどの舟だったのだろう。そこにかえって、春にふさわしい彼女たちのにぎやかな吟行の様子が見えてくる。「おまけ」がうれしくも、つかの間の舟旅だったにちがいない。俊子の他の句「細首に薄きもの巻く春の旅」が可憐(?)である。「エフーディ」1号(2014)所載。(八木忠栄)


April 1542015

 花冷えを分けて近づく霊柩車

                           嵩 文彦

の開花はもちろん年によって一定ではない。今年、東京では3月末に満開になった。私は4月2日に好天に恵まれて、地元の船橋で満開の花見をした。また市川の公園で、親しい友人たちと30年以上毎年お花見をやってきたが、今年は高齢や何やかやあって男4人しか集まらず、上野の飲み屋で昼酒を飲んで、お山の葉桜をさらりとひやかして解散となりそう。さて、来年はどうなりますることやらーー。「花冷え」は、桜が咲くころに決まってやってくる寒さのことである。確かにそんな日があるし、夜桜見物は寒くてストーブを持ち込んで、ということも珍しくない。それでも桜は桜、春は春。誰の気持ちも浮き浮きする。しかし、一方で人の死は季節を選ぶことなく待ったなしである。霊柩車は花冷えのなかを走ることも、満開の花に見送られて走ることもある。文彦には詩集も詩画集も何冊かあるけれど、句集も『春の天文』から、これが4冊目である。「表現者は個に徹し、個を深く追求してゆくべきだ」「心安く自然と和合することなく」という句集のあとがきが心に残る。他の句に「隙間ある頭蓋に残る花月夜」がある。『天路歴程2014』(2014)所収。(八木忠栄)


April 2242015

 早蕨よ疑問符のまま立ちつくせ

                           狩野敏也

どものころ蕗の薹の時季が終わると、すぐ薇や蕨採りに野へ山へと走りまわったものである。あの可愛くておいしそうな蕨の「拳のかたち」を、土の上に発見したときの喜びは格別だった。今でさえ時々夢に見るほどである。まさに「……早蕨の萌え出づる春になりにけるかも」である。蕨の季語には「早蕨」もあるが、「老蕨」もあるのが可笑しい。うっかりしていると、たちまち拳を開いてのさばってしまう。早蕨のかたちを「拳」とか「拳骨」と称するけれど、敏也は「疑問符」ととらえてみせた。そう言われれば、なるほど「疑問符」にも見えるし、「ゼンマイ」のようにも見える。「薇」は芥川龍之介の句に「蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな」があったなあ。ここでは蕨の形体にとどまらず、中七・下五は蕨に対して「成長とともに開いてしまうのではなく、いつまでも疑問符をもちつづけ、物事を簡単に了解するなよ」という作者の気持ちがこめられているように、私には思われる。これは早蕨を自分に見立てて、詩人が自分に対して「立ちつくせ!」と言っている、一つの姿勢なのではないか。そんなふうにも解釈したい。他に「譲ること多き日々衣被」がある。「花村花2015」(2015)所収。(八木忠栄)


April 2942015

 子らや子ら子等が手をとる躑躅かな

                           良 寛

どもたちが群れて遊んでいるのだろう。「子らや子ら子等……」という呼びかけに、子どもが好きだった良寛の素直な心が感じられる。春の一日、おそらく一緒になって遊んでいるのだろう。子らと手をとりあって遊んでいるのだ。この「手」は子どもたちの手であり、良寛の「手」でもあるだろう。あたりには躑躅の赤い花が咲いている。子どもたちと躑躅と良寛とーー三者の取り合わせが微笑ましい春の日の情景をつくりだしている。子ども同士が手をとりあっているだけではなく、そこに良寛も加わっているのだ。良寛の父・以南は俳人だったが、その句に「いざや子等こらの手をとるつばなとる」がある。この句が良寛の頭のどこかにあったのかもしれない。子どもらとよく毬をついて遊んだ良寛には、「かすみ立つ長き春日を子どもらと手毬つきつつこの日くらしつ」など、子どもをうたった歌はいくつもあるけれど、おもしろいことに『良寛全集』に収められた俳句85句のなかで、子どもを詠んだ句は掲出した一句のみである。他の春の句に「春雨や静かになでる破(や)れふくべ」がある。大島花束編著『良寛全集』(1989)所収。(八木忠栄)


May 0652015

 矢車の音に角力の初日かな

                           桂 米朝

の児の成長を願う鯉のぼりが、四月のうちから青空に高く泳いでいる、そんな光景がまず見えてくる。大相撲とちがって「角力」と書く場合は「草相撲」を意味するのが一般的だから、鯉のぼりの竿の先でカラカラと風にまわっている矢車の音があたりに聞こえ、同時に力強い鯉のぼりも眺望できる場所で角力大会の初日を迎えた。今や懐かしい風景であり、晴れ晴れしい。すがすがしい風に矢車の音が鳴って、地域の角力に対する期待があり、観戦の歓声も聞こえているのかも知れない。いや、「角力」を「大相撲」と解釈して、その初日へ向かう道中でとらえられた「矢車の音」としてもかまわないだろう。本年三月に亡くなった米朝は上方の人だが、大阪場所は例年三月の開催。季語「矢車」は夏だから、時季は大阪場所では具合が悪く、両国国技館での五月場所のほうが整合性がある。ちなみに、今年の五月場所の初日は四日後の5月10日である。楽しみだ。米朝は小学生の頃から俳句に興味を持ち、旧制中学では芭蕉、蕪村、一茶などを読みふけり、「ホトトギス」や「俳句研究」までも読んでいたという。掲出句は《自選三十句》中の一句であり、他に「咳一つしても明治の人であり」がある。『桂米朝集成』第4巻(2005)所収。(八木忠栄)


May 1352015

 新築の青葉がくれとなりにけり

                           泉 鏡花

である。山と言わず野と言わず、青葉が繁って目にしみるほどにムンムンとしている季節である。植物によって青葉の色彩に微妙なちがいがあるから、さまざまな青葉を味あうことができる。見晴らしのいい場所に少し前に新築された家(あるいは新築中でもよかろう)は、おそらく作者を注目させずにはおかない造りなのだろう。どんな家なのだろう? いずれにせよ、家の新築は見ていても気持ちがいいものだ。鏡花が注目する「新築」とは……読者の想像をいやがうえにもかき立ててやまない。つい先日までは、まるまる見えていたのに、夏らしくなって青葉がうっそうと繁り、せっかくの家を視界から隠してしまった。残念だが、夏だから致し方ない。とは言え、この場合、作者は青葉を恨んでいるわけではない。「やってくれたな!」と口惜しそうに、ニタリとしているのかもしれない。「新築」の姿もさることながら、いきいきと繁ってきた「青葉」もじつはうれしいのである。鏡花には他に「花火遠く木隠(こがくれ)の星見ゆるなり」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


May 2052015

 夏場所やひかへぶとんの水あさぎ

                           久保田万太郎

催中の大相撲夏場所は、今日が11日目。今場所は誰が賜杯を手にするのだろうか? 先場所まで白鵬が六場所連続優勝を果たしてきた。ところが今場所、白鵬は意外にも初日に早くも逸ノ城に不覚をとった。さて、優勝の行方は? 力士が土俵下のひかえに入る前に、弟子が厚い座布団を担いで花道から運ぶ。座布団の夏場所にふさわしく涼しい水あさぎ色に、作者は注目し夏を感じている。二つ折りにした厚い座布団に、力士たちは腕を組んでドッカとすわる。一度あの座布団にすわってみたいものだといつも思う。暑い夏の館内の熱い声援と水あさぎの座布団、力士がきりりと結った髷の涼しさ、それらの取り合わせまでも感じさせてくれる。万太郎は相撲が好きでよく観戦したのだろう。私は家にいるかぎり、場所中はテレビ観戦しているのだが、仕切りの合間、背後に写る観客席のほうも気になる。今場所はこれまで林家ぺー、張本勲、三遊亭金時らの姿を見つけた。落語家は落語協会が買っているいい席で、交替で観戦している。万太郎のほかの句に「風鈴の舌ひらひらとまつりかな」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


May 2752015

 景気よく閉す扉や冷蔵庫

                           徳川夢声

この家庭でも、冷蔵庫が季節にかかわりなく台所のヌシになってから久しい。「冷蔵庫」が夏の季語であるというのは当然だけれど、今どき異様と言えば異様ではないか。同じく夏の季語である「ビール」だって、四季を通じて冷蔵庫で冷やされている。飲んべえの家では、冷蔵庫のヌシであると言ってもいい。だから歳時記で「冷蔵庫」について、「飲みものや食べものを冷やして飲食を供するのに利用される。氷冷蔵庫、ガス冷蔵庫などもあったが、今日ではみな電気冷蔵庫になり、家庭の必需品となった。」と1989年発行の歳時記に記されているのを改めて読んでみると、しらけてしまう。1950年代後半、白黒テレビ、電気洗濯機とならんで、電気冷蔵庫は三種の神器として家々に普及しはじめた。冷蔵庫の扉はたしかにバタン、バタンと勢いよく閉じられる。普及してまだ珍しい時代には、家族がたいした用もないのに替わるがわる開閉したものだ。せめて冷蔵庫の扉くらいは「景気よく閉す」というのだから、景気の悪い時代に詠まれた句かもしれない。辻田克巳には「冷蔵庫深夜に戻りきて開く」という句がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


June 0362015

 青嵐父は歯を剝き鎌を研ぐ

                           車谷長吉

夏の頃、よく使われる季語である。手もとの歳時記には「五月から七月頃、万緑を吹く風で、強い感じの風にいう」と説明されている。そういう一般的な季語を使いながらも、「歯を剝き鎌を研ぐ」と長吉らしい展開の仕方をして、わがものにしているのはさすが。嵐雪の「青嵐定まる時や苗の色」のようにはすんなりと「定め」てはいない。強く吹きつける青嵐に抗するように、この「父」は「歯」と「鎌」という鋭いものをつらねて向き合っているのだ。剥き出している「歯」が研がれる「鎌」のように、青嵐に敢然と対向しているような緊張感を生み出している。風が強く吹くほどに、「父」の表情は険しくなり、「鎌」はギラギラと研ぎあがっていくのだろう。デビュー時から異才を放って注目されてきた長吉は、俳句もたくさん作った。残念ながら先月十七日に急逝してしまった。生前の彼とかかわりのあったあれこれが思い出される。合掌。雑誌等に発表された俳句は、「因業集」として『業柱抱き』(1998)に収められ、のち『車谷長吉句集改訂増補版』(2005)に収められた。他に「雨だれに抜け歯うづめる五月闇」がある。(八木忠栄)


June 1062015

 飛魚や隠岐へ隠岐へと海の風

                           渡部兼直

日、魚屋の店先にならんでいる、光っているイキのよい飛魚を見つけて買った。「飛魚」は夏の季語。南の種子島から、夏にかけては北海道南部まで北上して行くらしい。大きな胸鰭で海面すれすれに、先を競うように舳先をカッコよく飛ぶ。沖合でのあの姿には惚れ惚れと見とれてしまうし、格別旅情をかきたてる。飛魚が魚というよりも海風そのものになって、隠岐を目ざしてまっしぐらに飛ぶという句である。飛魚の干物のうまさはたまらないものがある。クサヤは最高。掲出句には思い出がある。九年前、東京からわれら詩人四人で、境港から出航して隠岐へ船旅をしたことがある。その際、米子在住の兼直さんが同行して案内してくれた。秋だったが、沖の強い海風を食らいながら島へ渡ったのだ。そのとき舳先を波しぶきあげて、スーイスイと飛魚が飛ぶのを目撃した。そのときの旅がモチーフになっている句かと思われる。お人柄もそうだが、自在で楽しい詩を書く兼直さんは俳句も作る。『続ぽえむかれんだあ』の序に「『俳』のない句では俳句にならない。ただ『短句』である」とある。むべなるかな。他に「飛魚の翅の雫や眉に風」がある。『渡部兼直全詩集2』(2015)所収。(八木忠栄)


June 1762015

 万緑に入れば万緑の面構え

                           原満三寿

緑の季語は、草田男の「万緑の中や吾子の歯生え初むる」の句に代表されるが、草田男は王安石の「万緑叢中紅一点」によっている。「万緑」は初夏に活発に繁茂する緑を表わしていて、掲出句でも力強い表現となっていて、下五の「面構え」が万緑のパワーを受けとめているようだ。いかにも男性的な響きを生み出している。万緑に入り、万緑と真正面から正々堂々と対峙している。すっかり万緑に浸り染まったたくましい「面構え」が、頼もしいものに感じられる。どんな事情あるいは用があって、万緑に分け入ったのかは、この際どうでもいいことである。「万緑の面構え」とはどのようなものか、わかるようでわからないけれど、勝手に想像をめぐらしてみるのも一興。万緑の句と言えば、私は「万緑や死は一弾を以て足る」という上田五千石の句が好きだ。満三寿(まさじ)はもともと詩人で詩集が多いけれど、俳論『いまどきの俳句』、句集『日本塵』などがある。春の句に「春の橋やたらのけ反りはずかしき」がある。『流体めぐり』(2015)所収。(八木忠栄)


June 2462015

 母恋ひの舳倉(へくら)は遠く梅雨に入る

                           水上 勉

登半島の先端輪島の沖合に舳倉島はある。周囲5キロの小さな島である。一般にはあまり知られていないと思われる。近年は定住者もあり、アワビ、サザエ、ワカメ漁がさかんで、海士の拠点になっているという。野鳥観察のメッカとも言われるから、知る人ぞ知る小島である。私はもう40年ほど前に能登半島を一人旅したとき、輪島の浜から島を眺望したことがあった。鳥がたくさん飛び交っていた。作者は「雁の寺」や「越前竹人形」「越後つついし親不知」などで知られているが、母恋物を得意とした。梅雨の時季に淋しい輪島の浜にたたずんで、雨にけむる舳倉島をじっと眺めて感慨にふけっている様子が見えてくる。「母恋ひの舳倉」の暗さは、心憎いほどこの作家らしく決まっている俳句である。母への愛着恋着は時代の変遷にかかわりはあるまいけれど、「母恋ひ」などという言葉は近ごろ聞かれなくなった。作者には似た句で、他に「母恋ひの若狭は遠し雁の旅」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


July 0172015

 夏を病む静脈に川の音を聞く

                           岸田今日子

だから半袖の薄い部屋着で臥せっているのだろう。病んで白っぽくなってしまった自分の腕をよくよく見ると、静脈が透けて見えるようだ。そこを流れる血の音までが、頼りなくかすかに聞こえてくるようでさえある。病む人の気の弱りも感じられる。静脈の流れを「川の音」と聞いたところに、この句の繊細な生命が感じられるし、繊細にとがった神経が同時に感じられて、思わずしんとしてしまう。身は病んでも、血は淀んでいるわけではなく生きて音たてて流れている。今さらながら、女性特有の細やかさには驚くばかりである。今日子は童話やエッセイ、小説にも才能を発揮した女優。俳号を「眠女」と名乗り、冨士眞奈美や吉行和子らが俳句仲間であった。三人はよく旅もした仲良しだった。昔あるとき、父國士が言い出して家族句会が始まった。そのとき一等賞に輝いたのが、今日子の句「黒猫の影は動かず紅葉散る」だったという。他に「春雨を髪に含みて人と逢う」がある。いずれも独自な世界がひそんでいる。内藤好之『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)




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