阪神淡路大震災。あれからもう二十年も経ってしまったのか。(哲




2015ソスN1ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1712015

 寒いからみんなが凛々しかりにけり

                           後藤比奈夫

かに、暑さにたるみ切った姿より寒さに立ち向かう姿の方がきりりと引き締まっている。それにしても前半の口語調と後半の、かりにけり、とのアンバランスが得も言われぬ印象を与える掲出句だが、既刊十句集から三百八十句を選って纏められた句集『心の花』(2006)の中にあった。そしてこの二句後に<一月十七日思ひても思ひても >。作者は神戸在住。思えば寒中、寒さの最も厳しい時に起こった阪神淡路大震災である。寒さは何年経ってもその時を思い出させるのかもしれないが、この句の肉声にも似た口語調と、凛々しかりにけり、にこめられた深く強い思いに励まされるような気がしてくる、二十年目の今日である。(今井肖子)


January 1612015

 弄ぶ恋があるらし温め鳥

                           平林恵子

め鳥は一つには、親鳥がひなを羽の下に抱いて温めるそのひなの事。母の想い出には抱かれた日の温かき懐の記憶がある。温め鳥のもう一つには冬の寒い夜、鷹が小鳥を捕らえて掴かんで足を温めるその小鳥の事を言う、翌朝には放すらしい。揚句の場合は後者の鷹に弄ばれた小鳥のほうだろうか。恋は片想い専門の小生であるが一度は弄ばれてみたかった、いや面目ない。他に<山の子が海の子へ振る夏帽子><十六夜や兎の型に切る林檎><東京の大坂小坂金木犀>など。『チョコレート口に小春日臨時列車』(2005)所収。(藤嶋 務)


January 1512015

 祖父逝きて触れしことなき顔触れる

                           大石雄鬼

寒のころになると「大寒の埃の如く人死ぬる」という高浜虚子の句を思い出す。一年のうちでもっとも寒い時期、虚子の句は非情なようで、自然の摂理に合わせた人の死のあっけなさを俳句の形に掬い取っていて忘れがたい。私の父もこの時期に亡くなった。生前は父とは距離があり、顔どころか手に触れたことすらなかった。しかし亡くなった父の冷たい額に触れ、若かりし頃広くつややかだった額が痩せて衰えてしまったことにあらためて気づかされた。多くの人が掲句のような形で肉親と最後のお別れをするのではないか。掲載句は無季であるが虚子の句とともにこの時期になると胸によみがえってくる。『だぶだぶの服』(2012)所収。(三宅やよい)




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