二十日正月、骨正月、団子正月……。そして大寒なり。(哲




2015ソスN1ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2012015

 このあたり星の溜り場穴施行

                           酒井和子

施行(あなせぎょう)とは、餌が乏しくなる寒中に鳥や獣に食べものを施す習俗。寒施行、野施行ともいい、三升三合三勺の米を炊いて作った小さな握り飯を獣が出入りしそうな洞の前や大樹の根方などに置く。翌朝、食べものがなくなっていると豊作になると言われるが、この習俗は吉兆占いというより、ときに害獣となる敵であっても、この地に生きるものとして寒さや飢えを思いやる気持ちが勝っているように思われる。凍るような空に満天の星がひとところかたまり灯っているのも身を寄せ合っているようにも思え、また、この冬に命を落とした生きものたちがまたたいているようにも見え、その明るさに胸がしめつけられる。〈紙子着てわがむらぎものありどころ〉〈水仙の木戸より嫁ぎゆきにけり〉『花樹』(2014)所収。(土肥あき子)


January 1912015

 葉牡丹の飽きたる渦となりにけり

                           有原正子

ところまでは、てっきり西洋からの伝来種だと思っていたが、純粋に日本で開発された「花」だった。結球しない古い品種のキャベツが主に観賞用として栽培されるうち、品種改良されたと見られている。冬で花の少ない時期に、葉っぱを「花」に見立てるとは、さすがにやりくり上手な日本人の智慧だと感心はする。が、やはり「花」ではない哀しさ。色合いもくすんでいて地味だから、私などははじめから飽きていると言ってもよいほどだ。作者は何日かは楽しんだようだが、あまりの変化のなさに、だんだん食傷気味になってしまったのだろう。品種によっては違うのかもしれないが、句は似是非「牡丹」の基本的様相をうまく捉えている。『現代俳句歳時記・冬、新年』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


January 1812015

 霜百里舟中に我月を領す

                           与謝蕪村

筆句帳にある安永四年(1775)、六十歳の作。前書に、「淀の夜船 几董と浪花より帰さ(ママ)」とあり、淀川の夜舟に乗って大阪から京へ帰ってくる途中の句です。実景に身を置きながら、舟中の流れは、そのまま漢詩の世界に辿りつくようなつくりになっています。淀川の両岸は霜が降りて白く、舟は月光が反射する川の流れをゆっくりと遡上しています。見上げれば岸辺の樹木の葉は落ち、枯れ枝ゆえ空は広く、我(われ)と月とを遮る物は何もありません。今、我は月を独り占めしている。いい酒に酔って、詩想を得たのかもしれません。李白の『静夜思』に、「床前月光をみる。疑うらくはこれ地上の霜かと」があり、また、『つとに白帝城を発す』に、「軽舟すでに 過ぐ万重の山」があります。蕪村は、これらに類する漢詩文を踏まえて、掛軸のような一句を創作したのかもしれません。『蕪村全句集』(おうふう・2000)所収。(小笠原高志)




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