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2015蟷エ2譛9譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

February 0922015

 恋猫の身も世もあらず啼きにけり

                           安住 敦

能的生理的な現象とはいえ、猫も大変だ。芭蕉の詠んだ〈麦飯にやつるゝ戀か里の猫〉も、恋の猫ゆえに麦飯も喉に通らないほどやつれはててしまっている。なるほど、哀れである。安住敦の一句は、猫のむき出しの本能に圧倒されている。愚かしいと言うにはあまりにも哀れであり、あたりはばからずの姿を羨ましいと言うにはいささか浅薄に過ぎる。しょせん、猫は猫なのであり、人間とは違うのだ。そう思うしかないほどのすさまじさである。そういうことを知らない人間の子供たちにとっては、単なる喧嘩だろうくらいの認識しかない。むろん、私も子供の頃はそうだった。うるさい猫どもめ、といつも不機嫌になったものだ。『安住敦句集』(1975)所収。(清水哲男)


February 0822015

 蕗の薹母の畳にとく出でよ

                           清水喜美子

春を過ぎても、寒い日々が続きます。探梅する粋人は、早や梅の花を見たとおっしゃっておりましたが、私はまだです。掲句も、蕗の薹が芽吹き始める早春を待ち望んでいます。ところで、「母の畳」とは何なのでしょう。句集を読むと、掲句より前に「はさみ合う母の白骨花八ッ手」があるので母は故人でしょう。考えられるのは、母がよく蕗の薹を採集した場所をさすということです。「母の畳」を母の縄張りのように考えるのかもしれません。あるいは、それよりも広く考えて、火葬された母 の煙も灰も大地の一部になっていて、母なる大地ととらえることもできそうです。春になると、亡き母は、蕗味噌を作ったり天ぷらにしてくれたりして、旬の苦みを食卓に出してくれたのでしょう。そのとき、母の生活の場は畳の上でした。「母の畳」という表現に、多様な含意を味わえます。『風音』(2009)所収。(小笠原高志)


February 0722015

 紅梅のゆるく始まる和音かな

                           宮本佳世乃

の季節は春を待ちながら静かに始まり、その花は香りを放ちつつ早春を咲きついでいつのまにか終わってゆく。丸く小さい蕾はいかにもかわいらしく、その濡れ色を一輪ずつほどく濃紅梅もあれば、夕空の色にほころぶ薄紅梅もある。一言で濃い、薄い、と言っても数え切れないほどの色があり、纏う光や風によっても趣が変わる。そんな紅梅のさまざまな視覚的表情が、和音、という聴覚的表現で見えてくる。と、こんな風に理屈で、和音、という言葉に意味付けすることは作者の意図するところではないのかもしれない。ともあれ、独特の感覚で対象を捉えて自然に生まれた言葉にすっと頬をなでられたような、不思議な気がした。『鳥飛ぶ仕組み』(2012)所収。(今井肖子)




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