都立高入試。私のころはアチーブメント・テストと言った。(哲




2015ソスN2ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2422015

 雪解風産着のにほひのせてくる

                           福谷俊子

が降らない場所に生まれ育ったこともあり、雪解風という実感は残念ながら分からないが、それは待ちこがれたものであり、厳しい季節の終わりを告げる嬉しい知らせであることだけは理解する。やや逸れるが、一番好きな匂いという質問のなかで、「雪が降る前の匂い」という答えを見つけた時、雪国生まれの友人が「わかるわかる」と頷いたのち、「絶対に説明できない」と言い放ったことなども思い出しつつ、雪への羨望は深まるばかりだ。掲句によって雪解の時期に吹く風は、清潔な産着の匂いがもっともふさわしいものだと知った。雪解風とは春の赤ん坊を包んでいるのだと気づくと、その匂いはしごくもっともで、健やかさと幸せにふたたびうっとりと思いを馳せるのである。〈さよなら△またきて□鳥雲に〉〈名を知らぬ星がいつぱい朱欒咲く〉『桐の花』(2014)所収。(土肥あき子)


February 2322015

 時老いてふぐりおとしもせざりけり

                           矢島渚男

はや俳句をする人のなかでも、「ふぐりおとし」が季語であることを知らない人のほうが多いのではなかろうか。厄落としの習わしの一つで、大厄(四十二歳)の男が、節分の夜に氏神様へ参詣し、人に見つからないように褌を落してくる行事だ。江戸期には、やはり節分の夜に、氏神詣でではなく、人通りの多い十字路で、人に気づかれないように褌を落として厄落としをしたと言われているが、こちらはあまりアテにならない。いずれにしても、厄落としの風習さえすたれてゆく時代だから、忘れ去られてゆく運命にある季語と言えよう。ところで、この「時老いて」という発想は、私などにはないものだ。一般的に言っても、時は老いるのではなく、逆に常にあらたまるというのが通念だろう。時はあらたまりつづけ、刻々と生まれ変わり、その一方で老いてゆくのは、我々生きとし生けるもののほうである。時は老いない。しかしこの通念をひっくり返して句のように捉えてみると、にわかに生きとし生けるものの存在は、よりはかないそれとしてあぶり出されてくるようだ。時も老い、我らも老いる。そうなると、厄年が「時にまで及ぶ」ように感じられ、その厄は我ら人間が厄落としできると信じているようなちっぽけなものではないはずである。そんな大きな厄の存在を感じている作者には、自身の「ふぐりおとし」などはどうでもよろしいとなったのだろう。『木蘭』(1984)所収。(清水哲男)


February 2222015

 共に死ねぬ生心地有り裏見の梅

                           永田耕衣

神大震災に被災した春の句です。耕衣最終の第十六句集『自人』(1995)所収。この句集を制作中の1995年1月17日、震災によって版元の創文社では、活字棚が総崩れとなりました。創文社の岡田巌氏は、急きょ湯川書房を通じて東京の精興社に活版活字を依頼するために上京します。掲句は、「白梅や天没地没虚空没」とともに、精興社が活版印刷をしている途中に補追された句です。同年2月21日、耕衣は『自人』の<後記>を岡田氏に渡します。「ミズカラが人であり、オノズカラ人であることの恐ろしさ、その嬉しさを原始的に如何に言い開くか」。掲句の「生(なま)心地」は造語です。この語を「生身、生意気」に通じる、観念ではない生きものの本情ととります。「裏見の梅」も造語句といっていいでしょう。これは、実際にやってみました。梅の花を正面からではなく、花弁の裏側から見てみました。すると、花をつけている枝が、青空に向かって斜めに伸びていく姿を見ることができます。それは、手のひらではなく手の甲を見る所作であり、人を正面からではなく、後ろ姿を見送る所作に通じます。「裏見の梅」には、震災によって、目に見える物が反転したこと、また、死者の後ろ姿を天に向けて見送る鎮魂が込められているのでしょう。(小笠原高志)




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