February 252015
春待つや寝ころんで見る犬の顔
土屋耕一
まだ寒さは残っているが、暖かい春を待つ無聊といった体であろう。忙しい仕事の合間の時間がゆったり流れているようだ。下五は「妻の顔」でも「おやじの顔」でもなく、「犬の顔」であるところに素直にホッとさせられる。耕一は犬が好きだったのだろうか。この句をとりあげたのには理由がある。よく知られている「東京やなぎ句会」とならんで、各界の錚々たる顔ぶれが集まった「話の特集句会」があることは知っていた。現在もつづいている。そのリーダー・矢崎泰久の新著、句会交友録『句々快々』を愉快に読んだ。同句会は1969年1月に第一回が開催されている(「東京やなぎ句会」も同年同月にスタート)。そのとき兼題は五つ出され、「春待つ」はその一つ。耕一はコピーライターで、回文の名手で知られた。例えば回文「昼寝をし苦悩遠のく詩を練る日」もその一つ。回文集のほか、句集に『臨月の桃』がある。俳号は「柚子湯」(回文になっている)。第一回のとき、同じ兼題で草森紳一「長いカゼそれっ居直って春待たん」、和田誠「春を待つ唄声メコンデルタの子」他がならんでいて賑やかだ。この日の耕一には「ふり向けばゐるかも知れず雪女郎」の句も(こちらは兼題「雪女郎」)ある。『句々快々』(2014)所載。(八木忠栄)
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