日差しはたしかに春めいてきた。が、朝夕の寒さはまだ厳しい。(哲




2015ソスN3ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1332015

 数へてはまた数へけり帰る鴨

                           牧野洋子

に渡ってきた鴨類が春には列をなして帰ってゆく。冬鳥は主として越冬のために日本より北の国から渡ってきて、各池沼に分散して冬を過ごす。冬が終わると再び繁殖のために北の国に帰ってゆく。小さな群れが次第に数を拡大させつつ大群となって帰って行く。さてこの帰る鴨の隊列を空に見るに数えるのはかなり厄介である。目の子で百羽単位で何単位まで数えられるだろうか。まだ水面に散っている時でさえ、どれも同し顔でくるくると泳がれては中々数えにくいものである。とはいえ興に乗ってしまうと数える事を止められない。そんなこんなの季節もやがて移ろってゆく。再び春の気配と共に池沼に羽ばたきを繰り返し、いざ時が来ると飛び立ってゆく。後には留鳥のカルガモが残るのみとなる。他に<郭公やフランスパンの棒立ちに><雁渡る砂漠の砂は瓶の中><冬の雁パンドラの箱開けてみよ>などあり。『句集・蝶の横顔』(2014)所収。(藤嶋 務)


March 1232015

 すかんぽと半鐘の村であった

                           酒井弘司

かんぽは野原、土手などに生え「酸葉」「すいすい」等とも呼ばれる。と歳時記にある。写真をじっと見てもどんな植物かわからず、もちろんすかんぽを噛み噛み学校へ行ったこともない。都会暮らしで漫然と日々を過ごしてしまったので植物にまつわる思い出がないのが殺風景でさみしい。さて、掲載句は空を背景に火の見櫓に吊るされた半鐘とすかんぽが主役であるが、それ以外目立ったものが何もない村とも読める。自分のふるさとの村ではあるが、大きな川も自慢できる特産物もない。段々畑にできる作物を細々と収穫して生計をたてているのだろうか。あるものと言えば春先になればいたるところに生い茂るすかんぽと村のどこからでも見える半鐘が記憶に残っているのだろう。日本の山間にある村のほとんどは貧しい。今や過疎化を通り越して無人になる村も多くなり、すかんぽと半鐘だけが取り残されているのかもしれない。『谷戸抄』(2014)所収。(三宅やよい)


March 1132015

 春の夕焼背番「16」の子がふたり

                           ねじめ正也

番号「16」と言えば、わが世代にとって巨人軍の川上哲治と決まっていた。文句なしに「スーパー・スター」だった。「16」は特別な数字であり、当時の子どもたちはいつでも「16」という数字にこだわっていた。私などは今でも下足札で「16」にこだわっていることがあって、思わず苦笑してしまう。日が暮れるのも忘れて、野球に夢中になっている子どもたち。背番号「16」を付けた子がふたり……いや、みんなが「16」を付けたがっていた。そんな時代があった。今でも忘れない、千葉茂は「3」、青田昇は「23」、藤村富美男は「10」、別当薫は「25」etc. 正也はねじめ正一の父で俳人だった。この句は昭和33年に詠まれた。正也33歳、正一10歳。正也は川上哲治の大ファンで、「あの川上の遠心力を使ったようなスイングが魅力的だった」とよく語っていたという。正一も野球少年で、小六のとき草野球チームに入っていて、大の長嶋ファンだった。父はキャッチボールの相手をしてくれたという。(私なども小学生だった息子を相手に、よくキャッチボールをしたものだ。)今の野球少年たちにとって、憧れの背番号は何番だろうか? 野球よりもサッカーで「10」か。正也には息子を詠んだ「啓蟄や俳句に父をとられし子」がある。嗚呼。『蝿取リボン』(1991)所収。(八木忠栄)




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