全国的に気温が高いようだ。東京地方の最高気温予想は19度。(哲




2015ソスN3ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1732015

 春星へ回転木馬輪をほどく

                           対馬康子

遠に回り続ける回転木馬が、輪を解くことがあるとしたら。掲句はそんな想像から始まっている。春の夜にうっとりと灯る星空こそ、回転木馬たちの帰るところなのではないかと思う気持ちに強く共感する。先週、ピエロの句を鑑賞したが、回転木馬もまた楽しいような悲しいようなもののひとつである。日本最古の回転木馬は東京としまえんにある「カルーセルエルドラド」だという。1907年ドイツの名工によって作られ、ヨーロッパ各地を巡業したあと、アメリカのコニーアイランドの遊園地に渡り、1971年としまえんにやってきたという。100年の時を駆け続ける木馬の列に、うるんだ星のまたたきがやさしく手招いているように見えてくる。馬たちが春の空へと帰ってしまう前に、ひさしぶりに乗ってみたくなった。〈春の雲けもののかたちして笑う〉〈能面の目をすり抜けて蘖ゆる〉『竟鳴』(2014)所収。(土肥あき子)


March 1632015

 ものの芽の出揃ふ未来形ばかり

                           山田弘子

意は明瞭だ。なるほど「未来形ばかり」である。誰にでもわかる句だが、受け取り手の年代にによって、読後感はさまざまだろう。中学生くらいの読者であれば、あまりにも当たり前すぎて、ものたらないかもしれない。中年ならば、まだこの世界は微笑とともに受け入れることが可能だろう。だが、私などの後期高齢者ともなると、思いはなかなかに複雑だ。つまり、みずからの未来がおぼつかぬ者にとっては、ちょっと不機嫌にもなりそうな句であるからだ。「ものの芽」ばかりではなく、私たちは、日々こうした「未来形」の洪水のなかで生きているような気分であるからだ。考えてみれば、これは今にはじまったことではなく、いつの時代にも、人々は「未来形」ばかりに取り囲まれてきた。作句年齢は不明だが、作者はそこらあたりの人生の機微をよく承知していたのだと思う。「未来形」ばかりの世の中でひとり老いていくのは、人の常とはいえ、神も非情な細工をしてくださると言いたくもなる。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


March 1532015

 うなり落つ蜂や大地を怒り這ふ

                           高浜虚子

事でよく訪れる長野県の人々は、蜂と密接な暮らしをしています。森を歩けば「蜂を保護しています。近寄らないでください」の立て看を見かけます。高校には養蜂部があり、秋になると市場では蜂の巣が売られていて、蜂の子が羽化してブンブン飛ぶのを見かけます。蜂蜜の味がする蜂の子の缶詰も売られていて、長野特有の食文化が生きづいています。一方で、花が咲き始める頃になると、家の軒下では蜂が巣作りを始めます。蜜蜂ならば歓迎するのですが、スズメバチが巣を作り 始めたら大きくなる前に退治しなくてはなりません。句集では、掲句の前に「巣の中に蜂のかぶとの動く見ゆ」があり、連作です。(昭和二年三月十七日の作)。「かぶと」と見立てるところに蜂に対する身構えがあります。蜂蜜は、このうえなく甘い味をもたらしてくれるけれど、刺されたことのある身は、生涯その一撃を忘れることができません。私も小学六年の時、蜂の巣箱を襲撃した後、自転車をこいで逃げても逃げても追いかけられて、頭皮を突き刺された痛みを恐怖とともに覚えています。多かれ少なかれこのような経験は皆もっていて、蜂をモチーフに句作する場合も畏怖の念をともなうことになるのでしょう。掲句は、上五と下五で動詞を二つずつ使用して、それらが対称的に配置されています。「うなり落つ」は、羽ばたく音の激しさと落下をやや客観的に描写しているようなのに対して、「怒り這ふ」は、主観を含んで擬人化されています。ただし、その擬人化は比喩というよりも、作者の身から率直に出てくる表現で、蜂は、蝿や蚊とは違った「怒り」の情念を持てる種として尊重しているように思われます。また、中七では「蜂や」で切ることによって、一匹の蜂と「大地」という言葉を同じスケールの中で受けとめることを可能にしており、蜂の最期を広大な空間における一つの出来事としてその様態を注視しています。「うなり、怒り」は、雷神のようであり、「落つ、這ふ」は、落ち武者のようです。『虚子五句集』(岩波文庫・1996)所収。(小笠原高志)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます