マンション改装工事。騒音で、少しの昼寝もままならない。(哲




2015ソスN3ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1932015

 本名は知らず付き合ふすみれ草

                           森泉理文

会をはじめとする俳句の集まりは来るものは拒まず、去る者は追わずが原則。俳号を知っていても、本名や仕事はもちろん私生活もわからないことも多い。句会という場を通じて句を読みあう仲で、10年以上毎月顔を合わしていながらに何も知らないままいつの間にか付き合いが途絶えることも珍しいことではない。淡い付き合いだけど句を取り合う間に相手の感性の在りどころも考え方も自ずとわかってくる。そんな相手と顔を合わすのはトレッキングやハイキングでひっそりと咲くすみれ草を足元に見つけた気持ちに似ているのかも。芭蕉の「山路来て何やらゆかしすみれ草」の心持にも通じる。道のべに咲くこの花のように目立たなくて、かそけき付き合いかもしれないけど大事な付き合い、本名を知らないままふと気づけば会うこともなくなった。それもまた心にしみるものだ。『春風』(2014)所収。(三宅やよい)


March 1832015

 肩ならべ訪ふぶらんこの母校かな

                           柳家小三治

句では「ぶらんこ」は「ふらここ」「ふらんど」「鞦韆」「秋千」など傍題がいくつかある。その状況や句姿によって、さまざまな遣い方があるわけだ。小学校だろうか、何かの用があって友人と一緒に母校を訪ねたのだろう。単に訪ねたというだけでなく、その折に昔よく遊んだぶらんこが懐かしく、二人そろって乗ってみたときの情景である。その気持ちはいかにも「母校かな」(!)であろう。ところで、こんなことが数年前にあった。ーー四谷四丁目に、しっかりした木造の廃校になった校舎をそのまま活用して、区民の公共施設として今なお使われている大きな旧小学校がある。私が参加しているある句会は、ここで毎月開催されている。この旧小学校にかつて柳家小三治が学んでいたことを、何かで知った私は俳句もやっている小三治師に、その旨ハガキを出した。さっそく返事が来て「四谷第四小学校卒業生・柳家小三治」とあった。さすが落語家、シャレたものです。愉快! 但し、掲出句の「母校」が旧四谷第四小学校か否かはわからない。二期四年間務めた落語協会会長を昨年任期満了で退任された。他に「天上で柄杓打ち合う甘茶かな」がある。『五・七・五 句宴四十年』(2009)所載。(八木忠栄)


March 1732015

 春星へ回転木馬輪をほどく

                           対馬康子

遠に回り続ける回転木馬が、輪を解くことがあるとしたら。掲句はそんな想像から始まっている。春の夜にうっとりと灯る星空こそ、回転木馬たちの帰るところなのではないかと思う気持ちに強く共感する。先週、ピエロの句を鑑賞したが、回転木馬もまた楽しいような悲しいようなもののひとつである。日本最古の回転木馬は東京としまえんにある「カルーセルエルドラド」だという。1907年ドイツの名工によって作られ、ヨーロッパ各地を巡業したあと、アメリカのコニーアイランドの遊園地に渡り、1971年としまえんにやってきたという。100年の時を駆け続ける木馬の列に、うるんだ星のまたたきがやさしく手招いているように見えてくる。馬たちが春の空へと帰ってしまう前に、ひさしぶりに乗ってみたくなった。〈春の雲けもののかたちして笑う〉〈能面の目をすり抜けて蘖ゆる〉『竟鳴』(2014)所収。(土肥あき子)




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