2015N4句

April 0142015

 あの人もこの人もいて春の夢

                           矢崎泰久

もが若いころに見る夢は果てしなく拡がりをもった、まさに「ユメのような夢」が多いのではあるまいか。大いにユメ見るべし、である。しかし、齢を重ねるにしたがって、見る夢も当然ちがってくる。「あの人もこの人も」のなかには、もちろん生きている人もいるだろうけれど、生前交流があって、黄泉に旅立つ「あの人・この人」がどうしても年々歳々増えてくる。それゆえ現実よりも、春の夢のなかに登場する人たちとの交流のほうが賑やかになってくることになる。敬愛する先人や良友悪友たちが登場する夢も、春なればこそ懐かしく忘れがたいものとなる。泰久は「話の特集」の名編集長として、各界の錚々たる人たちとの交遊があった。そうした人たちが集まる「話の特集句会」は、1969年から今日に到るまでつづいているユニークな句会である。ちなみに、その句会では短冊が賞品。賞金は天:700円、地:500円、人:300円。いいなあ。一昨年春の句会で、三人が掲出句を〈天〉に抜いたという。泰久の句には、他に「飛び魚は音符散りばめ海を舞ふ」など多数ある。俳号は華得。『句々快々』(2014)所載。(八木忠栄)


April 0242015

 ほぞの緒をくらきに仕舞ひ落花踏む

                           吉田汀史

ぞの緒はへその緒。生まれてすぐ臍帯を切断するが、新生児のおなかについた臍の緒が乾いてぽろっと落ちたものを小さな桐の箱に入れて退院時に渡してくれる。多くはそのまま母親の箪笥の奥に仕舞われて、ふたを開けられないまま何十年も忘れ去られてしまうのだろう。胎内で母親から栄養を送り込まれるのに大切な役割をしていたものが、黒く乾いて干からびてゆく。掲句は「くらきに仕舞ひ」と箱に入れられた直後から次にその臍の緒の主である子どもが自分の臍の緒を再び手に取るまでの時間が畳み込まれているようだ。その時間は臍の緒を断ってから母と子が別々な生を歩み続けてきた時間でもある。地面に散り敷く落花が生れ落ちてから今までの長いようであっけない時間を凝縮しているように思える。『汀史虚實』(2006)所収。(三宅やよい)


April 0342015

 吉野よき人ら起きよと百千鳥

                           川崎展宏

野は佳いな・みなさん目を覚まして見てごらんと・百千鳥が鳴いて知らせた、と言うところか。吉野は奈良県の吉野山、桜の名所で知られている。いま吉野山は霞か雲かと見紛う桜爛漫の季節である。そんな中を百とも千とも沢山の鳥たちが囀っている。喜びに満ちた囀りの只中に身を置けば誰でも吉野を讃歌したくなる。時は今、鳥も人も一様に桜に魅せられて寝ているどころではない。他に<桃畠へ帽子を忘れきて遠し><「大和」よりヨモツヒラサカスミレサク><壊れやすきもののはじめの桜貝>など。「俳壇」(2013年4月号)所載。(藤嶋 務)


April 0442015

 ニセモノのあつけらかんと春麗

                           岩田暁子

物とニセモノは違うのだな、とこの句を読んで思った。偽物、と書くとそこには、騙そうとする悪意が見えるが、ニセモノ、と書かれるとまさに、あっけらかん、という言葉がぴったりくるようななんちゃって感が生まれる。それは、本物と見紛うほどよくできているかどうかとは別で、思わず失笑してしまう偽キャラクター人形などは、騙すという意識さえない図々しい偽物だろう。この句のニセモノの正体はわからないが、作者はその明らかなニセモノぶりを楽しんでいる。「うららか、はそれだけで春なので、春うらら、と重ねるのはあまり感心しない」と言われることもあるのだが、この句の場合は、春麗、と重ねた文字が大らかにニセモノにも光をあてて、まさに春爛漫という印象だ。『花文字』(2014)所収。(今井肖子)


April 0542015

 朝寝して寝返りうてば昼寝かな

                           渥美 清

画『男はつらいよ』で親しまれた俳優・渥美清の句です。亡くなったのが1996年で没後20年ですが、親しみのある顔と愛嬌のある声質が、まだ瞼に耳に残っているせいか、つい最近までお元気だったような気がしています。いや、映画の寅さんは、これからも新しい観客の心の中で産まれ親しまれるでしょうから、渥美清は死んでも、寅さんは、映画と日本語が存続する限り、観る人の心の中で産声をあげるはずです。なぜなら、寅さんはベビーフェイスだからです。赤ちゃんだから、よく寝ます。「とらや」の二階で、旅先の旅館で、よく横たわっていました。「とらや」のおじちゃんと喧嘩をしては、二階に上がって不貞寝をし、「いつまで寝てるんだよ、寅」と、はたきをかけているおばちゃんに、朝寝をたしなめられていました。掲句も、そんな寅さんの自堕落な午前中を描いているようにも思われます。しかし、朝から昼へとモンタージュで編集するところに、映画人が作った俳句だな、と感心します。また、「朝寝」という春の季語から「昼寝」という夏の季語へと一気に飛躍できるところに、この人の心の中に棲む風羅坊を感じます。ほかに、「朝寝新聞四角いまままっている」。俳号は風天。『赤とんぼ』(2009)所収。(小笠原高志)


April 0642015

 黒鍵を打つ調律師春の猫

                           嵩 文彦

語「春の猫」は、発情期にある猫、恋猫のことである。狂ったように鳴きわめく様子は、まことにうるさくもあり哀れでもあり…。この猫と調律師を結びつけるキーが「黒鍵」だ。誰がいつごろ作ったのかは定かではないけれど、誰もが知っている曲に「猫ふんじゃった」がある。この曲は♯や♭が六つもつくので楽譜を見ると目がまわりそうになるが、ほとんど黒鍵だけを使って演奏することができる。したがって、いま調律師が打っている黒鍵の音をたどっていくと、なんとなく「猫ふんじゃった」に聞こえるというわけだ。ただしあくまでも調律師が冷静に辛抱強く何度でも黒鍵を叩いている一方で、春の猫のほうはそうはいかない。猫の身にしてみれば、冷静でも辛抱強くしてもいられないから、とにかく相手を求めてやみくもに走り出すしかないのだ。この黒鍵をはさんでの対比の妙というか、滑稽さと可笑しさと哀れさ。なかなかに面白い視点だと思う。『ダリの釘』(2015)所収。(清水哲男)


April 0742015

 一人だけ口とがらせて入学す

                           福島 胖

学校、中学校、高校、大学と進学するごとに入学式を体験するが、期待と不安でこれほど胸を高鳴らせるのはやはり初めての入学式である小学校をおいてないだろう。みんなで遊ぶことが主だった幼稚園から、勉強する目的の小学校への入学は、子どもの心にどれほど大きな不安を感じさせることだろう。一年生になるためにランドセルを買ってもらい、自分だけが使う文房具が揃えられ、返事の練習などさせられてみたり、家庭のなかでもそこかしこでもそこかしこでプレッシャーが与えられる。一方、親はよその子と同じように元気に小学生になってくれたことが嬉しくて仕方がない。そんな晴れがましい場で、笑顔で胸を張る新一年生のなかでただ一人、わが子だけが不機嫌に口をとがらせているのを目撃してはっとする。いつもの癖かもしれないし、緊張からなるものかもしれない。それを微笑ましいとするか、落胆するかは親次第。昨日は多くの小学校で入学式が行われた。どこの会場でも口をとがらせたり、袖のボタンを噛んだりして、親をはらはらさせている新一年生がいたことだろう。『源は富士』(1984)所収。(土肥あき子)


April 0842015

 春の旅おまけのような舟に乗り

                           平田俊子

業詩交流歌会句会という集まりの「エフーディの会」がある。そのメンバーのうち女性ばかり六人が、昨年4月に四国へ二日間の吟行に出かけたらしい。俊子もその一人。吟行というものはそもそも楽しい催しだが、詩・短歌・俳句・小説の錚々たる女性ばかり六人が寄ってたかって……となれば、さぞかし……と推察される。掲出句は、その折に俊子が「いよいよ伊予2」と題して後日発表した九句のうちの一句。(彼女は「いよいよ伊予1」と題して、短歌六首も同時に発表している。)御一行の「春の旅」は、かしましくも華やいでいたことだろう。俊子の短歌には「男らの悪口いえば女らの旅の車内はいよよ華やぐ」という一首がある。なるほど、さぞや! 「おまけのような舟」がこの句のポイントだが、東直子のレポートによれば、ごく幅のせまい川を小舟で所要数分、タダで渡ったらしいから、ご立派ではなくていかにも「おまけ」ほどの舟だったのだろう。そこにかえって、春にふさわしい彼女たちのにぎやかな吟行の様子が見えてくる。「おまけ」がうれしくも、つかの間の舟旅だったにちがいない。俊子の他の句「細首に薄きもの巻く春の旅」が可憐(?)である。「エフーディ」1号(2014)所載。(八木忠栄)


April 0942015

 カンニング見つけし刹那啄木忌

                           岡本紗矢

の昔、まるで勉強のできない小学生だったわたしは試験用紙を目の高さまで上げて隣の席の答えを盗み見たことがある。その刹那、先生の雷が落ちた。首を縮める私めがけて突き刺さる同級生の視線が痛く、二度とズルはやめようと思い知った。その自分が教壇に立って試験監督をする立場になったとき、人の答案を盗み見る不審な動きがどれだけ目立つものであるのかがわかった。試験を突破していくことで次のランクを目指すシステムの渦中にあって、勉強が得意な子もいれば哀しいぐらい出来ない子もいる。本人がわからぬようやっているつもりのその行為を見咎めて一喝するのも教師、衆目の中で怒る言葉を呑み込んで、どうやってその不当な行為を本人にわからなせようか悩むのも教師。その刹那、さまざまな感情が交叉する。その複雑な気持ちが人間の心の機微を歌にした啄木とも交わる。啄木忌は4月13日。27歳の若さで貧困のうちに生涯を閉じた。『向日葵の午後』(2014)所収。(三宅やよい)


April 1042015

 マラケシュに水売る男つばくらめ

                           中島葱男

ラケシュはモロッコ中央部の都市。アトラス山脈のうち最も険しい大アトラス山脈の北に位置し、「南の真珠」と呼ばれてきた。そんな地方に生を受け一生をそこに埋める土着の生活がある。その日その日を糧を得るだけ働き明日の事を考えない。この男も水売りとして何疑う事なく日々を過ごしている。そんな男の傍らを翼を展ばしたつばくらめがすいすいと飛んでいる。そして又明日は旅の鳥となって山脈を越えてゆくのであろう。さて土着と旅と二つの営みの選択をどう選ぼうか。他に<うぶごえはそのみどりごのゆめはじめ><草清水きららの石を積みにけり><月天心まつすぐ跳ねるマサイ族>など。「丘ふみ游俳倶楽部」(2008年号)所載。(藤嶋 務)


April 1142015

 夕日には染まらぬ花の白さかな

                           長谷川槙子

開花前線は東北地方を北上中、東京は散り時に寒が戻ってやや潔さに欠けている。雨の中近所の公園に行くと、無数の落花が土に還ろうとしながら白く輝いていたが、この句の桜もそんなソメイヨシノだろう。そして、夕日の中にあって夕日の色に染まっているように見えている。しかしさらにじっと見ていると、桜の花の一つ一つが光をはね返し、その白さが際立っていると気付くのだ。自ら光を放っているような花の白、今を咲いて明日には散る桜を見上げつつ、花と心を通わせている作者なのだろう。『槙』(2011)所収。(今井肖子)


April 1242015

 奥山の風はさくらの声ならむ

                           飴山 實

を愛でる人は、桜を待ち、桜を見て、桜と別れます。花びらが散り終わったあとの萼(がく)の臙脂(えんじ)に満開の名残を見、葉桜になれば初夏を予感し始めます。中には、一度の別れでは満足できない人も居て、掲句の場合はそうなのかもしれません。平地では桜の盛りが過ぎても、山地に行けばまた桜に出会えます。山の奥の方から風が吹いてきて、それを桜の声なのかと感じています。しかし、強い風ではないようなので、花びらは届いていません。「奥山の風」は、おそらく山桜が放つ匂 いも届けてくれています。桜は見えていなくても、匂いから花の盛りの期待は高まります。「さくら」とひらがな表記しているところにも、やや官能的な匂いの気配を読みとります。なお、句集の配列から見て、「奥山」は吉野山と思われます。『飴山實全句集』(2003)所収。(小笠原高志)


April 1342015

 百歳の日もバスとまり蠅がたつか

                           竹中 宏

文的な意味での句意は明瞭だ。百歳になった日にも、バスはいまと同じように動き、蠅はたっているであろうか、と。それ以上の解釈はできない。だが、この句の面白さは、百歳になる日を作者は決して待ち望んだりしていないところにある。それがどこでわかるのかと言えば、いまと変わらぬ日常を指し示すものとして、「バス」と「蠅」を持ってきたところにあるだろう。「バス」と「蠅」はお互いに何の関連もないし、特別に作者の執着するものでもない。そのようなどうでもよろしい日常性を提示することで、作者にとっての「百歳」もまた、どうでもよろしい年齢となるわけだ。この二つの事項を、たとえば作者の愛着するものなどに置き換えてみると、そこで「百歳」は別の趣に生まれ変わり、そこまでは何とか生きたいという思いや、生きられそうもないことへの悲痛を訴える句に転化してしまう。そうしたことから振り返れば、句の「バス」も「蠅」もが、実は作者の周到な気配りのなかから選ばれた二項であることがわかるのだ。「バス」も「蠅」も、決して恣意的な選択ではないのであった。俳誌「翔臨」(第82号・2015年2月)所載。(清水哲男)


April 1442015

 卵かけご飯大盛り山笑ふ

                           嶌田岳人

いご飯に生卵を落として食べる。今や卵かけご飯専用醤油まで販売されるほどメジャーになったが、やはりお行儀はあまりよろしいものではない。よろしくないからこそ、お茶碗に山盛りにしたご飯が似合うのだ。たびたび紹介している1928年に来日したイギリス女性、キャサリン・サンソムの『東京に暮す』に、日本人がご飯を食べる姿がこう書かれている。「ご飯をかき込む姿は、戸を一杯に開いた納戸に三叉で穀物を押し込む時のようで、大きく開けた口もとに飯茶碗を添えて、箸でせわしく動かしながらご飯を掻き込みます」そして「これがご飯をおいしく食べる方法なのです」と続く。おいしく食べている様子は、見ている側にも伝わるのだ。掲句では「山笑う」の季語が、山盛りのご飯のかたちとしても効いており、また「なんとおいしそうなこと!」と笑っているようにも思わせる。最後にお気に入りの卵かけ御飯レシピ。卵の白身と黄身を分けて、ます白味とご飯だけでぐるぐるっと混ぜる。たちまちふわふわのメレンゲ状になるので、そこに黄身を乗せ、くずしながら醤油などをたらして食べる。新鮮な卵が手に入ったらぜひお試しください(^^)〈瀧音といふ水の束解けたる〉の抒情や、〈どこまでがマンボーの顔秋暑し〉の俳味など、句柄の自在も魅力の一冊。『メランジュ』(2015)所収。(土肥あき子)


April 1542015

 花冷えを分けて近づく霊柩車

                           嵩 文彦

の開花はもちろん年によって一定ではない。今年、東京では3月末に満開になった。私は4月2日に好天に恵まれて、地元の船橋で満開の花見をした。また市川の公園で、親しい友人たちと30年以上毎年お花見をやってきたが、今年は高齢や何やかやあって男4人しか集まらず、上野の飲み屋で昼酒を飲んで、お山の葉桜をさらりとひやかして解散となりそう。さて、来年はどうなりますることやらーー。「花冷え」は、桜が咲くころに決まってやってくる寒さのことである。確かにそんな日があるし、夜桜見物は寒くてストーブを持ち込んで、ということも珍しくない。それでも桜は桜、春は春。誰の気持ちも浮き浮きする。しかし、一方で人の死は季節を選ぶことなく待ったなしである。霊柩車は花冷えのなかを走ることも、満開の花に見送られて走ることもある。文彦には詩集も詩画集も何冊かあるけれど、句集も『春の天文』から、これが4冊目である。「表現者は個に徹し、個を深く追求してゆくべきだ」「心安く自然と和合することなく」という句集のあとがきが心に残る。他の句に「隙間ある頭蓋に残る花月夜」がある。『天路歴程2014』(2014)所収。(八木忠栄)


April 1642015

 春塵や毛沢東のブロマイド

                           柳生正名

ロマイド懐かしい言葉だ。簡単に言えば、映画スターや歌手の写真。携帯で写真を何枚でもとれる今と違って、スターが雲の上の人だった時代には貴重なものだったろう。ファンをじっと見つめる視線の置きかたやポーズなど、肖像写真と言われるだけあって照れくさくなるほどカッコつけたものが多いけど、ファンにとっては貴重なものだったろう。時代がかった言葉だけど、今もプロマイドってあるのだろうか。毛沢東と言えば天安門にある毛沢東の肖像画を思う。毛沢東は語録とともに文化大革命の象徴的存在だったけど、現在、彼を信奉する人はどのぐらいいるのだろう。時代がかって色あせた毛沢東のブロマイドにうっすらとつく春の塵。同じく砂塵ではあるが黄沙ではなく、「春塵」としたことで、空間的、時間的な距離が強調されているように思う。『風媒』(2014)所収。(三宅やよい)


April 1742015

 河原鶸天地返しの田に降りる

                           嶋崎茂子

原鶸は山林や田、河原などで群れをなしている雀に似た鳥で、飛ぶ時の鮮明な黄色で鶸だと分かる。双眼鏡で見るとピンクの太いくちばしと翼の太く黄色いしま模様が見える。見晴しのよい葦先にとまりキリキリ、コロロと鳴いたりジュイーンとさえずったりする。農事では厳寒期に土を氷雪にさらして病害虫を殺すために「天地返し」という作業がなされる。そんな労苦も終わった頃に春の兆しがやって来る。鶸の訪れもその一つである。今百羽にも及ぼうかという河原鶸の群れが一斉に大地に舞い降りてきた。春到来したり。その他<御慶いふ小さな町の小さな駅><夏草の匂ひいのちのにほひかな><冬鴎飛ぶといふこと繰り返す>などあり。『ひたすら』(2010年)所収。(藤嶋 務)


April 1842015

 鶯のしきりに鳴いて風呂ぬるし

                           本田あふひ

の句を引いた『本田あふひ句集』(1941)は遺句集。手ざわりの佳い和紙の表紙で、大正五年から六十三歳で亡くなった昭和十四年までの作、百三十句余りが収められている。虚子の序文には「あふひさんが、一度ホトトギスの巻頭になりたいものだな、といはれたときに、私は<屠蘇つげよ菊の御紋のうかむまで >といふあなたの句がある。あなたは其一句の持主であるといふことが何よりも誇ではありませんか、と言つたことがある」というエピソードが語られている。格調高くおおらかな作風を持つ、女性俳句開花期の俳人の一人と言われているが、ふと呟いたような掲出句はどこかとぼけた味わいと人間味があって、思わず見開きの本人の写真を見返してしまった。鶯の声はきれいだったけれどちょっとお風呂はぬるすぎたのよ、でもまあゆっくり浸かってその声を楽しむにはちょうどよかったかしらね。くりっと大きい目でこちらを見ているあふひが、そんな風に言っているようにも思えてくる。(今井肖子)


April 1942015

 春星のめぐる夜空を時計とす

                           末永朱胤

時記の上では晩春となりましたが、掲句は、冬の名残のある初春の句でしょう。凍てついた夜空には、春の星座がくっきりと見えていて、しばらく佇んでいると、星座はゆっくりと動いているような気がします。贅沢な時計です。地球上で、一番大きな時計です。そして、デザインも美しい。空は深い色あいで、数多の星々が幾何的に結びついて、春の夜空をデザインしています。春星がめぐる天体の運行が時の経過を告げ、「時計とす」に、作者の意志が表れています。それは、高級腕時計をはめ て社会的な時間に生きることよりも、ときに、宇宙的な時間に身を委ねて、則天去私の境地に遊ばんとする意志です。俳誌「ににん」(2015年春号)所載。(小笠原高志)


April 2042015

 待ちどほしきことなくなりぬ春の闇

                           矢島渚男

田夕暮のこの歌「木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな」は、青春時代の愛唱歌だった。この句を読んで思い出した。結婚は人生上での大きな「待ちどほしきこと」であり、歌に込められた歌人の待ち遠しい思いは、十代の少年にもよく理解できたのだった。若い間の待ち遠しいことどもは、結婚、あるいは進学や就職などのように、多く社会制度に関連しており、そのシステムに参加することで実現されてゆく。子供のころの運動会や遠足などについても同様である。したがって、実現の度合いに満足できるかどうかは別にして、たいていの「待ちどほしきこと」は、待っていればそのうちに実現するものだと言ってよいだろう。一見社会的システムへの参加とは無関係のような、たとえば創作意欲の実現などについても、よく考えてみれば、これまた社会制度と無関係ではあり得ないことがわかる。ところがある程度の年齢を過ぎると、当人の存在そのものが物理的に社会システムのあれこれから外れていくから、句のようなことが起きてくる。しかも、そのことを受けとめる気持ちは淡々としたものなのだ。この気持ちのありようが、「春の闇」にしっくりと溶け込んでいる。『延年』所収。(清水哲男)


April 2142015

 土を出てでんぐり返る春の水

                           森島裕雄

元の歳時記によると「春の水」とは、豊かであることが本意であるとされる。水が「でんぐり返る」ことで、勢いよく豊富な水量を思わせ、また春らしい瑞々しさを感じさせる。それはまるで、生まれたばかりの赤ん坊が誕生してすぐ大きな泣き声をあげるように、暗い地中を這っていた水が、春の日差しに触れたことで、喜びにもんどりうっているようにも見えるのだ。水が流れとして誕生する瞬間に立ち会っている感動に、作者もまた胸をおどらせながら春の水面を見つめているのだろう。〈筍ご飯涙のやうな味がして〉〈立ち乗りの少年入道雲に入る〉『みどり書房』(2015)所収。(土肥あき子)


April 2242015

 早蕨よ疑問符のまま立ちつくせ

                           狩野敏也

どものころ蕗の薹の時季が終わると、すぐ薇や蕨採りに野へ山へと走りまわったものである。あの可愛くておいしそうな蕨の「拳のかたち」を、土の上に発見したときの喜びは格別だった。今でさえ時々夢に見るほどである。まさに「……早蕨の萌え出づる春になりにけるかも」である。蕨の季語には「早蕨」もあるが、「老蕨」もあるのが可笑しい。うっかりしていると、たちまち拳を開いてのさばってしまう。早蕨のかたちを「拳」とか「拳骨」と称するけれど、敏也は「疑問符」ととらえてみせた。そう言われれば、なるほど「疑問符」にも見えるし、「ゼンマイ」のようにも見える。「薇」は芥川龍之介の句に「蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな」があったなあ。ここでは蕨の形体にとどまらず、中七・下五は蕨に対して「成長とともに開いてしまうのではなく、いつまでも疑問符をもちつづけ、物事を簡単に了解するなよ」という作者の気持ちがこめられているように、私には思われる。これは早蕨を自分に見立てて、詩人が自分に対して「立ちつくせ!」と言っている、一つの姿勢なのではないか。そんなふうにも解釈したい。他に「譲ること多き日々衣被」がある。「花村花2015」(2015)所収。(八木忠栄)


April 2342015

 たんぽぽを活けて一部屋だけの家

                           佐藤文香

ンポポは野原で明るい日差しを受けて輝く花、摘んできてもだんだん首を垂れてしぼんでしまう。例えば母親のために子どもがタンポポを摘んで、はいと渡す。渡された花はコップに挿されて母親の胸を暖かくする。たわむれに持ち帰るたんぽぽはそんな光景を想像させる。掲句では野の花を「活ける」、一部屋なのに「家」という言い回しに殺風景なアパートの一室を満たしている若さを感じる。「家」と呼ぶのは自分を同じ時間と空間を共有する相手があってこそのもの。そんな「君」との恋愛がこの句の下敷きにあるのだろう掲句が収められている句集には定型のリズムをはずれての句またがりをはじめ様々な試みが見られる。これなら短歌やほかの詩形でもと思わないでもないが、俳句でこそ詠むことでこの人独自の世界を築こうとしているのだろう。『君に目があり見開かれ』(2014)所収。(三宅やよい)


April 2442015

 九官鳥同士は無口うららけし

                           望月 周

官鳥は人や動物の声真似、鳴き真似が上手で音程や音色だけでなく抑揚までも真似する。この習性を利用し人は言葉を教えて飼い慣らす。日頃から色々と話しかけて根気よく付き合ってゆく。鳥と人間の相棒関係が頻繁な言葉の話し掛けによって構築されてゆく。真偽は定かでないが、飼主であった九官さんの名を発生するので九官鳥と名付けられたという。そんな九官鳥もお相手が同類の九官鳥となると無口なってしまうとか。真似事ばかりして本来の鳥語を忘れてしまったか。明るい春の陽を浴びて、のんびりと長閑であるのもいいものだ。<流灯の白蛾を連れてゆきにけり><流れ星贈らんと連れ出しにけり><一本の冬木をめがけ夜の明くる>など。『白月』(2014)所収。(藤嶋 務)


April 2542015

 もつれつゝとけつゝ春の雨の糸

                           鈴木花蓑

つれてとける糸、とはいかにも春の雨らしく美しいが、今頃の雨は遠い記憶を呼び起こす。確か中学二年の春、理科氓フ授業で自然落下の公式を教わったその日も、先生の声を遠く聞きながらぼんやり雨の窓を見ていたのだがふと、雨の速さってどのくらいなんだろう、と考えた。帰宅して、雲の高さから習った公式で雨が地上に着くまでの秒数を計算してそこから時速を計算すると、確か九百キロ近くに。うわ大変、傘に穴が開く・・・しかし窓の外の雨は静かにもつれてとけていたのだった。翌日、先生が空気抵抗の話と共に実験を見せて下さりほっと納得したのだが、晩春の雨の記憶は未だマッハの衝撃と共にある。『ホトトギス 新歳時記』(2010・三省堂)所載。(今井肖子)


April 2642015

 いづかたも水行く途中春の暮

                           永田耕衣

は、水行く季節でもあったのですね。雪解けの水は、山から谷へ、谷から里へ流れて行きます。樹木、草花、農作物は、根から水を吸います。昆虫も魚も鳥も動物たちも、水行く季節になると捕食と生殖活動を活発化させていき、体液の循環も盛んになるでしょう。動植物を支えている大気から地表、地下水まで、水行く水量は増していきます。それは、暖かくなってきたからです。温度が上がると水の分子の運動も活発になる。当たり前ですね。そんな暮春の候の句ですが、ここからは、二つの見解が可能です。一つ目は、中七で切って読む場合です。森羅万象の活動は、人も含めて全て「途中」なのだという見解で、水行きには終点がないということです。水は循環している から常に「途中」です。 二つ目は、中七で切らない場合です。そうすると、「春の暮」が句の主眼になってきて、冬を過ぎて暮春になったから、水行きは活発なんだという見解になります。どちらを選ぶかは、各人の好みになるでしょうが、句から驚きを得られるのは、前者です。なぜなら、無常観を「途中」という俗語で言い表しているからです。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)


April 2742015

 臍の緒を家のどこかに春惜しむ

                           矢島渚男

句自解で、作者はこう書いている。「小さな桐の箱に入った自分の臍の緒を見たことがあった。たしかここだったと思って、もう一度探したが出てこない。どこかへいってしまったらしい。どうしたのだろう。そんな思いがあって浮んだ句だった」。私も、まったく同じ体験をしたことがある。母から臍の緒を見せられたのは、小学生のころだったが、その桐の箱は母が嫁入りのときに持ってきた桐の箪笥の小さな引き出しにしまわれていた。その箪笥は数度の引越しのたびに新居に納められ、いまでも実家の六畳間に健在だ。しかし、箪笥は健在だが、引き出しの臍の緒は忽然と姿を消していた。まるで春の霞か靄のように、いつしか霧消していたのだった。この句の「春惜しむ」も、そんな気分の表現なのだろう。『木蘭』所収。(清水哲男)


April 2842015

 春たけなは卵のなかの血流も

                           秦 夕美

けなわとはものごとのもっとも盛んになった頂点ともいえるとき。春のたけなわは光りに満ちあふれ、万象の命の健やかさに満ちる。卵もまた、ひしめく命そのもの。そこに脈打つ血流も春の高まりとともに今まさに生まれんと息づいている。固い殻と親鳥に守られた卵の世界と比べ、外の世界は危険がいっぱいにも関わらず、小さな命は一刻も早く外に出ようとせっせと育つ。日に日に増す春の深まりとともに、かわいらしい鳴き声ももうすぐ聞こえてくるに違いない。〈うらゝけし一枚たりぬ魔除札〉〈朝川やあうらに春のひしめきて〉『五情』(2015)所収。(土肥あき子)


April 2942015

 子らや子ら子等が手をとる躑躅かな

                           良 寛

どもたちが群れて遊んでいるのだろう。「子らや子ら子等……」という呼びかけに、子どもが好きだった良寛の素直な心が感じられる。春の一日、おそらく一緒になって遊んでいるのだろう。子らと手をとりあって遊んでいるのだ。この「手」は子どもたちの手であり、良寛の「手」でもあるだろう。あたりには躑躅の赤い花が咲いている。子どもたちと躑躅と良寛とーー三者の取り合わせが微笑ましい春の日の情景をつくりだしている。子ども同士が手をとりあっているだけではなく、そこに良寛も加わっているのだ。良寛の父・以南は俳人だったが、その句に「いざや子等こらの手をとるつばなとる」がある。この句が良寛の頭のどこかにあったのかもしれない。子どもらとよく毬をついて遊んだ良寛には、「かすみ立つ長き春日を子どもらと手毬つきつつこの日くらしつ」など、子どもをうたった歌はいくつもあるけれど、おもしろいことに『良寛全集』に収められた俳句85句のなかで、子どもを詠んだ句は掲出した一句のみである。他の春の句に「春雨や静かになでる破(や)れふくべ」がある。大島花束編著『良寛全集』(1989)所収。(八木忠栄)


April 3042015

 弔砲や地獄に蝶の降りつぐ朝

                           竹岡一郎

獄とは強い言葉である。一度「地獄」が句会の兼題になったことがあるがさっぱり出来なかった。現実との接点を見つけられなかったのだ。掲句は「破地獄弾」と題した章の中の一句。二十句に渡って地獄絵図を描き出している。空に響く弔砲は誰のためのものなのか、その音にとめどなく蝶が落下してくる、蝶は降りやまずやがては地を覆いつくすのだろう。「弔」の字型は人の屍を野に捨て、朽ちてから骨をおさめに行く。そのとき獣を追う弓を携えていったことに由来すると白川静の『字統』にある。人は人を弔うことで生をつないできたが、この弔砲は人類すべてが滅んでしまった朝に撃ちあげられる空砲に思える。『ふるさとのはつこひ』(2015)所収。(三宅やよい)




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