この一週間は雨模様。そろそろ花もおしまいになる。(哲




2015ソスN4ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0642015

 黒鍵を打つ調律師春の猫

                           嵩 文彦

語「春の猫」は、発情期にある猫、恋猫のことである。狂ったように鳴きわめく様子は、まことにうるさくもあり哀れでもあり…。この猫と調律師を結びつけるキーが「黒鍵」だ。誰がいつごろ作ったのかは定かではないけれど、誰もが知っている曲に「猫ふんじゃった」がある。この曲は♯や♭が六つもつくので楽譜を見ると目がまわりそうになるが、ほとんど黒鍵だけを使って演奏することができる。したがって、いま調律師が打っている黒鍵の音をたどっていくと、なんとなく「猫ふんじゃった」に聞こえるというわけだ。ただしあくまでも調律師が冷静に辛抱強く何度でも黒鍵を叩いている一方で、春の猫のほうはそうはいかない。猫の身にしてみれば、冷静でも辛抱強くしてもいられないから、とにかく相手を求めてやみくもに走り出すしかないのだ。この黒鍵をはさんでの対比の妙というか、滑稽さと可笑しさと哀れさ。なかなかに面白い視点だと思う。『ダリの釘』(2015)所収。(清水哲男)


April 0542015

 朝寝して寝返りうてば昼寝かな

                           渥美 清

画『男はつらいよ』で親しまれた俳優・渥美清の句です。亡くなったのが1996年で没後20年ですが、親しみのある顔と愛嬌のある声質が、まだ瞼に耳に残っているせいか、つい最近までお元気だったような気がしています。いや、映画の寅さんは、これからも新しい観客の心の中で産まれ親しまれるでしょうから、渥美清は死んでも、寅さんは、映画と日本語が存続する限り、観る人の心の中で産声をあげるはずです。なぜなら、寅さんはベビーフェイスだからです。赤ちゃんだから、よく寝ます。「とらや」の二階で、旅先の旅館で、よく横たわっていました。「とらや」のおじちゃんと喧嘩をしては、二階に上がって不貞寝をし、「いつまで寝てるんだよ、寅」と、はたきをかけているおばちゃんに、朝寝をたしなめられていました。掲句も、そんな寅さんの自堕落な午前中を描いているようにも思われます。しかし、朝から昼へとモンタージュで編集するところに、映画人が作った俳句だな、と感心します。また、「朝寝」という春の季語から「昼寝」という夏の季語へと一気に飛躍できるところに、この人の心の中に棲む風羅坊を感じます。ほかに、「朝寝新聞四角いまままっている」。俳号は風天。『赤とんぼ』(2009)所収。(小笠原高志)


April 0442015

 ニセモノのあつけらかんと春麗

                           岩田暁子

物とニセモノは違うのだな、とこの句を読んで思った。偽物、と書くとそこには、騙そうとする悪意が見えるが、ニセモノ、と書かれるとまさに、あっけらかん、という言葉がぴったりくるようななんちゃって感が生まれる。それは、本物と見紛うほどよくできているかどうかとは別で、思わず失笑してしまう偽キャラクター人形などは、騙すという意識さえない図々しい偽物だろう。この句のニセモノの正体はわからないが、作者はその明らかなニセモノぶりを楽しんでいる。「うららか、はそれだけで春なので、春うらら、と重ねるのはあまり感心しない」と言われることもあるのだが、この句の場合は、春麗、と重ねた文字が大らかにニセモノにも光をあてて、まさに春爛漫という印象だ。『花文字』(2014)所収。(今井肖子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます