2015N49句(前日までの二句を含む)

April 0942015

 カンニング見つけし刹那啄木忌

                           岡本紗矢

の昔、まるで勉強のできない小学生だったわたしは試験用紙を目の高さまで上げて隣の席の答えを盗み見たことがある。その刹那、先生の雷が落ちた。首を縮める私めがけて突き刺さる同級生の視線が痛く、二度とズルはやめようと思い知った。その自分が教壇に立って試験監督をする立場になったとき、人の答案を盗み見る不審な動きがどれだけ目立つものであるのかがわかった。試験を突破していくことで次のランクを目指すシステムの渦中にあって、勉強が得意な子もいれば哀しいぐらい出来ない子もいる。本人がわからぬようやっているつもりのその行為を見咎めて一喝するのも教師、衆目の中で怒る言葉を呑み込んで、どうやってその不当な行為を本人にわからなせようか悩むのも教師。その刹那、さまざまな感情が交叉する。その複雑な気持ちが人間の心の機微を歌にした啄木とも交わる。啄木忌は4月13日。27歳の若さで貧困のうちに生涯を閉じた。『向日葵の午後』(2014)所収。(三宅やよい)


April 0842015

 春の旅おまけのような舟に乗り

                           平田俊子

業詩交流歌会句会という集まりの「エフーディの会」がある。そのメンバーのうち女性ばかり六人が、昨年4月に四国へ二日間の吟行に出かけたらしい。俊子もその一人。吟行というものはそもそも楽しい催しだが、詩・短歌・俳句・小説の錚々たる女性ばかり六人が寄ってたかって……となれば、さぞかし……と推察される。掲出句は、その折に俊子が「いよいよ伊予2」と題して後日発表した九句のうちの一句。(彼女は「いよいよ伊予1」と題して、短歌六首も同時に発表している。)御一行の「春の旅」は、かしましくも華やいでいたことだろう。俊子の短歌には「男らの悪口いえば女らの旅の車内はいよよ華やぐ」という一首がある。なるほど、さぞや! 「おまけのような舟」がこの句のポイントだが、東直子のレポートによれば、ごく幅のせまい川を小舟で所要数分、タダで渡ったらしいから、ご立派ではなくていかにも「おまけ」ほどの舟だったのだろう。そこにかえって、春にふさわしい彼女たちのにぎやかな吟行の様子が見えてくる。「おまけ」がうれしくも、つかの間の舟旅だったにちがいない。俊子の他の句「細首に薄きもの巻く春の旅」が可憐(?)である。「エフーディ」1号(2014)所載。(八木忠栄)


April 0742015

 一人だけ口とがらせて入学す

                           福島 胖

学校、中学校、高校、大学と進学するごとに入学式を体験するが、期待と不安でこれほど胸を高鳴らせるのはやはり初めての入学式である小学校をおいてないだろう。みんなで遊ぶことが主だった幼稚園から、勉強する目的の小学校への入学は、子どもの心にどれほど大きな不安を感じさせることだろう。一年生になるためにランドセルを買ってもらい、自分だけが使う文房具が揃えられ、返事の練習などさせられてみたり、家庭のなかでもそこかしこでもそこかしこでプレッシャーが与えられる。一方、親はよその子と同じように元気に小学生になってくれたことが嬉しくて仕方がない。そんな晴れがましい場で、笑顔で胸を張る新一年生のなかでただ一人、わが子だけが不機嫌に口をとがらせているのを目撃してはっとする。いつもの癖かもしれないし、緊張からなるものかもしれない。それを微笑ましいとするか、落胆するかは親次第。昨日は多くの小学校で入学式が行われた。どこの会場でも口をとがらせたり、袖のボタンを噛んだりして、親をはらはらさせている新一年生がいたことだろう。『源は富士』(1984)所収。(土肥あき子)




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