メーデー歌をうたえますか。うたえる人が減ってきましたね。(哲




2015ソスN5ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0152015

 囀りや野を絢爛と織るごとく

                           小沢昭一

鳥たちは春が来ると冬を越した喜びの歌を一斉に唄う。それぞれの様々な声は明るく和やかである。折しも芽生えた若葉の色彩と相まって野は誠に錦織なす絢爛さを醸しだす。こうした雰囲気に満ちた山野に身を置けばとつぷりと後姿が暮れていたお父さんの心にも春がやって来てしまう。お父さんもまた織り込まれた天然の一部となって「あは」と両手を広げる。本誌では小沢昭一100句としての特集であるが、所属した東京やなぎ句会では俳号を変哲という。他に<父子ありて日光写真の廊下かな><春の夜の迷宮入りの女かな><ステテコや彼にも昭和立志伝>など小沢節が並ぶ。「俳壇」(2013年5月号)所載。(藤嶋 務)


April 3042015

 弔砲や地獄に蝶の降りつぐ朝

                           竹岡一郎

獄とは強い言葉である。一度「地獄」が句会の兼題になったことがあるがさっぱり出来なかった。現実との接点を見つけられなかったのだ。掲句は「破地獄弾」と題した章の中の一句。二十句に渡って地獄絵図を描き出している。空に響く弔砲は誰のためのものなのか、その音にとめどなく蝶が落下してくる、蝶は降りやまずやがては地を覆いつくすのだろう。「弔」の字型は人の屍を野に捨て、朽ちてから骨をおさめに行く。そのとき獣を追う弓を携えていったことに由来すると白川静の『字統』にある。人は人を弔うことで生をつないできたが、この弔砲は人類すべてが滅んでしまった朝に撃ちあげられる空砲に思える。『ふるさとのはつこひ』(2015)所収。(三宅やよい)


April 2942015

 子らや子ら子等が手をとる躑躅かな

                           良 寛

どもたちが群れて遊んでいるのだろう。「子らや子ら子等……」という呼びかけに、子どもが好きだった良寛の素直な心が感じられる。春の一日、おそらく一緒になって遊んでいるのだろう。子らと手をとりあって遊んでいるのだ。この「手」は子どもたちの手であり、良寛の「手」でもあるだろう。あたりには躑躅の赤い花が咲いている。子どもたちと躑躅と良寛とーー三者の取り合わせが微笑ましい春の日の情景をつくりだしている。子ども同士が手をとりあっているだけではなく、そこに良寛も加わっているのだ。良寛の父・以南は俳人だったが、その句に「いざや子等こらの手をとるつばなとる」がある。この句が良寛の頭のどこかにあったのかもしれない。子どもらとよく毬をついて遊んだ良寛には、「かすみ立つ長き春日を子どもらと手毬つきつつこの日くらしつ」など、子どもをうたった歌はいくつもあるけれど、おもしろいことに『良寛全集』に収められた俳句85句のなかで、子どもを詠んだ句は掲出した一句のみである。他の春の句に「春雨や静かになでる破(や)れふくべ」がある。大島花束編著『良寛全集』(1989)所収。(八木忠栄)




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